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〆切は「足枷」であり「翼」でもある

〆切がなかったら一行も書けない

昔、一度だけ〆切のない仕事依頼(ブックライティング)を請けたことがある。「じっくり書いていただきたいので、〆切はとくに設けません」と、先方の編集者は言った。

半年ほど経って進捗伺いの電話をもらったが、一行も書いていなかった。正直にそう言ったら、「もうけっこうです!」と先方ブチギレで、話が流れた。

えっ? だって、「〆切は設けません」って言ったじゃん。ライターは〆切をたくさん抱えているのだから、〆切のない仕事はどんどん後回しになるに決まっている。
「悪いことをした」とは思うけど、いまも反省する気持ちは持てない案件である。

「ライターは〆切がなかったら一行も書けません。〆切を設定してください。そうでないとお請けできません」と言うべきだったのだな。いまならそう言う。

もう1つ、知人の編集者から昔聞いた話を紹介する。
ある高名なノンフィクション作家に、〆切当日に「先生、原稿はいかがでしょうか?」と電話をしたところ、相手はこう言ったという。

「キミねえ、物書きってのは〆切が来てから書き始めるものなんだから、〆切当日に原稿が上がっているわけがないだろう」

もちろん、我々ライターは作家センセイより立場が弱いから、こんなエラソーなことはとても言えない。言えないけれど、頭の中では似たようなことを考えていたりする(笑)。
「〆切がきてから書く」というのはちょっとひどいけれど、短い原稿の場合、〆切前夜になってようやく書き始めることも多い。

では、必ず一晩で書き上がるかといえば、工場の流れ作業でモノを作るのとは違うから、書き上がらない場合もある。ならばもっと前から少しずつ書き進めればよいようなものだが、人間心理として、〆切直前にならないと書けないものなのだ。

なぜなら、ライターが書く原稿の大半は「書きたくてたまらない原稿」ではなく、「依頼があったから書いている原稿」だからだ。
嫌々書いているわけではないが、〆切という足枷がなかったら一行も書けないものなのである。

「〆切を破る側」の心理

業界外の人たちから見ると、「〆切という約束を守れないようなヤツは、真人間ではない」というイメージがあるかもしれない。「だらしなくて不真面目で不誠実な、社会不適応人間」という感じがするだろう。

しかし、原稿を書く側に身を置いてみればわかるが、〆切というのは時に「破らざるを得ないこともある」ものなのだ。

それは1つには、すでに書いたように、計画どおり筆が進まないこともあるから。もう1つには、売れっ子であればあるほど、キャパぎりぎりの原稿依頼を常に請けているからである。
余裕を持ってクリアできる量ではなく、「頑張れば何とかなるかな?」という程度の〆切を恒常的に抱えているのだ。

ではなぜ、余裕を持った仕事量にセーブしないのか?
たくさん原稿をこなして稼がないと生活が危ういということもあるが、それ以上に、ライターにとって原稿依頼はことわりにくいものだという事情がある。
とくに、新規クライアントからの原稿依頼は非常にことわりにくい。原稿依頼というのは「一度ことわると来なくなるもの」だからである。
 
もちろん、レギュラー的に仕事をしているクライアントの気心知れた編集者が相手なら、「スイマセ~ン、いまちょっと立て込んでいて……」と軽い気持ちでことわれる。一度原稿をことわったくらいでつきあいが断たれるわけではないからだ。

しかし、編集者にしてみれば、未知のライターに原稿依頼をしてことわられた場合、同じ人に再度依頼をする気にはなりにくい。

相手が人気作家であれば、原稿依頼をことわられても、編集者は何度でもアタックする。しかし、相手はたかがライター、かわりはいくらでもいるのだから、ことわられてまで仕事を回してやる義理はないのだ。
ライター側もそうした編集者心理はよくわかっているから、新規の仕事先からの原稿依頼は万難を排して受けようとする。

そんなわけで、売れっ子ライターは常に綱渡り状態で〆切の山を越えている。だからこそ「破らざるを得ないこともある」のだ。

「そうはいっても、〆切に遅れたら相手に迷惑をかけるだろう」と思う向きもあろう。まったくそのとおりで、〆切に遅れがちなライターは、編集者諸氏(と、デザイナー、印刷所など関係各位)に頭を向けて寝られない立場である。

そのことをわきまえたうえで、これもホンネを言えば、「1日や2日の遅れは、まあ許容範囲」なのが出版業界なのだ。
なぜなら、編集者というのは、書き手の原稿が多少遅れることを見越して少し早めに〆切を設定しておくものだからである。

だからこそ、「物書きは〆切がきてから原稿を書き出すもの」などという不埒な言いわけが通用するのだ。

〆切破りの言いわけはこのへんにしよう。そろそろ殺気も感じるし(笑)。

〆切に対する意識が昔より厳格化

……さて、ここまでのところを書いたのは約20年前である。
この20年間で、出版業界全体の〆切に対する意識が昔より厳しくなったことを、私は肌で感じている。

昔は、多少の〆切遅れは笑って許される「ゆるさ」が、業界全体にあった。それが、昨今はもうない。
本も雑誌も売れなくなり、出版業界全体が「椅子取りゲーム」的状況になっているいまは、〆切を守れないルーズなライターから切り捨てられていく時代なのである。

『〆切本』(左右社)という、小説家・評論家など広義の「物書き」による、〆切にまつわるエッセイなどを集めたアンソロジーがある。2016年刊で、続編『〆切本2』も翌年に出たくらいだから、そこそこ売れたのだろう。

これを読むと、出版業界全体には長年、「多少の〆切遅れは笑って許容する悪しき文化」があったことがよくわかる。

〆切を破らない作家たち(吉村昭、村上春樹、北杜夫、三島由紀夫など)の話も載っているが、彼らが稀有な存在として目立ってしまうのだから、オソロシイ世界だ。

もう一つ例を挙げる。
『小説新潮』編集長を9年務めた文芸編集者・校條剛氏が、つきあった作家たちのエピソードを綴った『作家という病』(講談社現代新書/2015年)という本がある。

この中に、次のような一節がある。

原稿の催促は文芸編集者が一番に緊張するときで、誰でも怒鳴られた経験が一度や二度はあるはずだ。

〆切までに原稿を仕上げないのは作家の落ち度なのに、催促すると怒鳴られるというのだから、理不尽な話である。〆切など守らなくて当たり前、作家は編集者に威張って当たり前の時代があったわけだ。

とはいえ、それももう過去の話。
いまは、〆切を平気で破るような作家はほとんどいなくなったらしい。そんな作家はすぐさま干される時代だからだ。

ライターの世界もしかり。というか、作家とは違っていくらでも替えのきく存在だから、もっとシビアである。

町山智浩氏と春日太一氏が、共著の原稿遅れを巡って絶縁した事件が3年ほど前にあった。あれの背景要因の一つは、両者の世代間ギャップだと私は思っている。
町山氏は、多少の原稿遅れは許容される時代を生きてきて、そのころの感覚を引きずったままでいた。しかし、15歳年少の春日氏にとって、大幅な原稿遅れは許し難い“罪”になっていたのだろう。

一昔前まで、売れっ子ライターは多かれ少なかれ、“許容範囲内の〆切破り”をくり返しつつ仕事をしていた。
しかし、もうそんな時代ではない。「遅筆」のレッテルはライターにとって致命傷になり得る。
そして、同程度の能力を持つライターが2人いたら、〆切を破りがちなライターより、厳守するライターに仕事が振られるのは、当然のことだ。その意味で、出版業界はようやくまともになってきたのである。

だからこそ、これからライターを目指そうという人は、「何が何でも〆切を守ろう!」と決意し、努力すべきだ。それはライターとしての大きなセールスポイントになる。

〆切を厳守できることも「才能」だ

ツイッターのライターアカウントで、「自分のライターとしての強みがどこなのかわからない」というツイートを、たまに見かける。
かりにその人が一度も〆切に遅れたことがないなら、それはライターとしてすごい強みだし、「月収◯◯万円突破!」なんてことよりもよほど大きな“売り”になる。プロフに掲げるべきだ。

ライターとして〆切を厳守できることは、それ自体が一つの「才能」なのである。

高額月収をプロフに書いても、「それだけ稼いでいるからには優秀だろう」と素直に思う編集者は皆無に等しい(その月収が事実である証拠もないし)。
が、「一度も〆切に遅れたことがありません。〆切厳守が私の誇りです」などと書いてあったら、「依頼しようかな」と思うものだ。

その点でお手本になるのは、売れっ子ブックライター・上阪徹氏である。
氏は、四半世紀以上もフリーライターとしてやってきて、一度も〆切に遅れたことがないのだという。これはとてもすごいことで、同業者として脱帽せざるを得ない。

そして、上阪氏がどのようにして「〆切守り率100%」を達成し続けてきたかのノウハウを明かした著作が、『〆切仕事術』(2016年/左右社)だ。

これの巻末に掲げられた「〆切を守るための10箇条」を、ライター諸氏は拡大コピーしてデスクの前に貼っておくべきである(私は貼ってあるw)。

同書の中で、ホントにそのとおりだと思ったのは、次の一節だ。

 若い書き手の方などに講演するときによくする話があります。原稿を書く仕事というのは、200点満点である、と。
 何かといえば、原稿のクオリティ100点、〆切を守ること100点です。
 先にも書いたように、〆切を守らない人も多い業界ですから、〆切を守るだけで、これだけの価値があるぞ、ということをまず伝えたいわけですが、それだけではありません。
(中略)
 200点のうち、原稿のクオリティ100点を取るのは、極めて難しいのです。ところが、もう100点の〆切はどうか。
 ただ期日通りにきっちり仕上げるだけ、なのです。それだけで100点が取れてしまう。とても簡単ではないか、ということです。

肝に銘じるべき言葉だろう。

〆切はライターを縛る「足枷」であると同時に、「翼」でもある。
〆切をクリアするために必死になることの積み重ねで、ライターは自らの潜在能力を引き出し、成長できるのだから……。



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