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私視点の名古屋の音楽シーン〜自分と鶴舞公園〜

私は高一の時にバンドをやろうと思い小学校からの友達の丹羽くんを誘いバンドを作るのでした。
バンド名は『RUSH ACT』かっこいいなぁと
自画自賛をするのでした。
メロコアとかハードコアをやりたいなと思い結成したバンド。
16歳の時なので1998年結成となりますかね。
中3の時に丹羽くんとハイスタンダードのライブを観に行き2人とも完全に魅了されバンドかっこいいと思ったんだろうなと。なので丹羽くんも2つ返事でサクッとバンドをやろうということになったんですが、
メンバーがなかなか集まらず。
自分がギターで丹羽くんがベース。
数回スタジオに入ったか入ってないかくらいで、
なんとなくフェードアウト。

そして数ヶ月後、丹羽くんがバンドに誘ってきたのである。
あれ『RUSH ACT』は?
と思ったものの、ボーカルは正式に決まっていて、
あと音楽できる子がもう1人くらいいるとの事。
それを聞いて、あ、なら入るわとあっさり加入を決めるのでした。

そして初めてのスタジオ練習の日。
ベースが2人。
ボーカル。
私ギター。

どう考えてもバランスがおかしい。
ドラムがいない。
さすがにこんなぶっ飛んだ編成のバンドはみたことがない。
アヴァンギャルドにも程があるなと。
そして話し合いの結果、
丹羽くんじゃない方のベースの子にドラムを叩いてもらうことに。
1番器用に楽器が出来たのでこれならドラムもできるだろうと、他のメンバーでお金を出し合ってドラムスティックをプレゼントして契約成立。

それで出来たバンドがあの名古屋の伝説のバンド、
『反婆具(ハンバーグ)』である。
知っている人はおそらく知っている。
精力的には活動をしてたので。
高校から20代前半までそれなりに活動を続ける。
カセットテープでスプリットを出したのと、
CDでもオムニバスに2作品参加したり。

あとは名古屋の伝説のイベント
『エ工(エコー)』という激ヤバイベントがあった。
フライヤーには架空のバンド名が書き込まれ、
出演バンドが100組くらいあるように書かれていたが、実際でるのは10組くらいだったように記憶している。ライブの内容もイカれていて、ライブハウスにファミコンを持ち込みマリオ1をビーダッシュのまま全クリするとか、意味不明なバントが多かった。
そこにいたのが『明日は明日のコルベッツ』とか『ウノミッフィー』とかだった。
高校生の自分にはただただ衝撃だった。
ライブハウスはたしか大須のオイス?まだオイスって名前でもなかったかも。

他には新栄にある『ロックンロール』というライブハウスでもライブをやらせてもらっていた。
当時のブッキング担当はバスケットシューズというバンドの松倉さんという方によくしていただいててブッキングでよく呼んでもらっていました。
当時は高校生でがっつりライブしてる人も少なかったので、対バンする人は大概年上の方で可愛がってもらってました。

この当時よく名前見たバンドは、
中部トラックとか仏陀頭とかクローズとかレプチンとかランカーズとか。
自分はランカーズが好きで、
見た目もいかにもパンクなかっこうで、
ボーカルの方はツンツン頭、
ベースの方はモヒカン。と
自分が好きなパンクがそこにあった。

そして鶴舞のデイトリップ。
ここには春日井さんという方がいて、
その方にお世話になっていたように思います。
反婆具のメンバーがノイズとかも大好きだったので、
そこら辺もあって可愛がってもらえてたのかなと。
デイトリップはたしかノイズのレーベル?かなにかをやっていた?ようなちがうかもですが。

そして今池のハックフィン。
見事オーディションライブで落選し、
呼ばれることはありませんでした。

そしてちょっと年月が経った時、
今池の得三に山本精一がくるって言う話を聞き、
対バンをオーディションで決めると言う話で、
我々ももちろんカセットテープを持ち込み、
オーディションに参加した。
また落選した。

その何日後かに
鶴舞ロックフェスティバルというイベントに誘われる。これが初めて鶴舞公園でしたライブである。
主催はKDハポンのモモジさん。
モモジさんと先ほどあげたイベント『エ工』の方々が繋がりがありそこら辺で誘われたんじゃなかったかな?と記憶してます。
鶴舞ロックフェスもめちゃくちゃ面白くて、
ここにも『明日は明日のコルベッツ』が出ていて、
人形焼きとかいってプラスチックの人形を焼き出して、今考えたら公園でそんなことをしたらすごい怒られそうだが、この時はみんな笑っていた。そして最後ラジコンカーがステージに乱入してきてそれを明日コルのメンバーが追いかけてハエ叩きみたいので叩くという。また意味不明でおもしろかった。
そしてこの時の対バンに流星?というバンドがいて、
噂で流星は山本精一のオーディションに合格したと聞いていた。なのでメンバー全員で声大きめで『うらやましいな』『山本精一いいな』とかをいう嫌なバンドでした。

そんなこんなで反婆具時代は解散もしないまま、
フェイドアウトをしていくのでした。

そして20代後半に別のバンドをやり始めるのでした。
それが『the  dual gestalt tarte phychologics/DGTP』というバンドを始めるのでした。
なんで始まったかもイマイチ覚えてないですが、
うる覚えですが、『ラリーとビリー』と言う4人編成のバンドをやっていて、それがあまりうまくいかず、
そのバンドでドラムを叩いていたのが炭酸くんという子だったのです。子と言ったけど一個上で、自分はこの時仲良かったのがビリーくんという子だったのだけど、ビリーくん伝いに出会った炭酸くんとツーピースバンドを始めるのでした。

そしてこの炭酸くんという人がとにかく敏腕だったのです。
曲は彼に全曲作ってもらってました。
歌詞は自分が作るものもありました。
あとドラムも自分が好きなタイプのドラムでした。
当時はめちゃくちゃ上手いかと言われたらアレでしたが、イカれたドラムでかっこよかった。

なのでけっこう本当にウケはよかった。
なのでたくさんの有名バンドとも対バンさせていただいた。自分がミーハーだったので、ブッキング担当の人に『有名な人とやりたいんですよね、てへ』みたいなイかれた発言をよくしていた。今考えると失礼かもしれない発言ですが、このバンドではハックフィンにも呼んでいただけるようになるのですが、ハックフィンの下平さんとかは『わかった』といって本当に有名どころが来る時に対バンをぶつけてくれるのでした。
なのでそれが嬉しくて気合い入れてその対バンに負けないようにライブやるぞー!って言って良いライブができたり、空回りして変なライブをとかを繰り返すのでした。

でなによりもお世話なったのはデイトライブなのですがここを書き出すとキリがないのでこれはまた別の回で。

そしてライブを繰り返してると、
この辺りでイベンターさんの耳にも我がバンドの名前も届きはじめ『龍宮ナイト』や『HOIP』にも呼んでいただけるのでした。
ここら辺に出ることを炭酸くんと結成当初に目標としてあげていたこともあり出れた時には感慨深かったです。


龍宮ナイトのページより引用
龍宮ナイトのページより引用
龍宮ナイトのページより引用
龍宮ナイトのページより引用
龍宮ナイトのページより引用
龍宮ナイトのページより引用
龍宮ナイトのページより引用
龍宮ナイトのページより引用

龍宮ナイト 汗まつり。
すげぇメンツですね。
ここにもスギムさんいました!

あとHOIPは唯一、私をソロで誘ってくれたイベント。
うかいさん、正気ですか?
超嬉しかったです。

笑えるくらい凄いメンツの中に自分がいる。
(あかだまりが私のソロ名義)


そんなこんなで、
昨日の鶴舞公園公園でのイベントは
私にとってはすごく感慨深く
めちゃくちゃ楽しく過ごせました。
最高だった。

フライヤー描かせてもらえた!
わかめさん、うかいさん、ありがとう



次回『おいしい餃子の作り方』です。

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