末路

ADHD/鬱/薬物依存 闘病の記録と言えるほどかっこいいものではないけれど、日記のよう…

末路

ADHD/鬱/薬物依存 闘病の記録と言えるほどかっこいいものではないけれど、日記のようなものを書いていきます。

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わたしのこと

末路と申します。インターネット上でいくつか名前はありますが、noteでは末路という名前を選択しました。 2019年9月現在、いわゆるアラサーでありながら現在無職です。厳密にはたまにガールズバーに出勤しています。 無職になった経緯はnoteにも書いているのですが、精神薬のオーバードーズの末岸壁から落下→約1ヶ月の入院となり派遣先から契約を切られたためです。 noteでは闘病日記と言えるほど大層なものではありませんが、文章を書くことは好きなため精神病患者の心の内を書いていこ

    • 仕事を辞めた

      昨年末、派遣期間満了により退職した。何度も派遣社員はやっているけど、3年勤めきれた会社は初めてだった。 特別時給がいいわけでも環境がいいわけでもなかった。でも在宅勤務があったからなんとかやっていけたんだと思う。 直接雇用を打診されるも、契約社員で時給は変わらずだったのでお断りをした。今は子供部屋おばさんだから暮らしていける額だけど、とても一人では生活できる額ではなかった。 年始に母親に障害者手帳を取得したことを伝えた。一緒に地元のバスに乗る機会があり、伝えざるを得なかったん

      • お金

        お金に少し余裕ができたら精神にも余裕ができた、というnoteを書こうと思ったら3年前にも似たようなことを書いていた。 今はまた派遣で働いているが、これまで派遣で働いた中でも一番時給が安い。実家に寄生していてもお金の不安は消えない。 でも障害者手帳を得られたことで税金が控除されたこと、そして私は横浜市に住んでいるのだけれど、横浜市の福祉パスを買ったことで交通費がかなり浮くこととなった。 横浜市の福祉パスは横浜市内のバスと横浜市営バスが年間1,200円で乗り放題になるパスなの

        • ウチらの地元は

          最近ハロープロジェクトの末っ子グループ、OCHA NORMAを追っかけている。 最初のきっかけはイワクラと吉住の番組で吉住の推しに寄りそう回でハロプロの特集が組まれたことだった。OCHA NORMAのことはさらりとしか触れていなかったが、芸人で例えると令和ロマンと言われていた。若手とは思えぬベテラン感と滲み出る下積み。 番組では少ししか触れていなかったのと、唯一曲を聞いたことないグループだったのでYouTubeでMVを見てみた。まだその時は2枚しかシングルを出していたかったの

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        わたしのこと

          通信制大学

          2019年の秋、通信制大学に編入学した。 ひとつ目の理由は、仕事をクビになったが精神疾患ため働く気持ちにもなれず、次就職活動をするとき空白期間の言い訳になると思ったこと。もう一つは短大卒の学歴で、四年制大学に対しての学歴コンプレックスがあったことだった。 短大での勉強は、元々興味のある分野だったことから講義を聞くことはとても楽しかった。そのため同じ分野を学べる四年制大学へそのまま編入学したいと当時は考えていたが、私の家にはそんな余裕もなく、また私の学力もそこまで良くはなかっ

          通信制大学

          ストラテラ

          久しぶりに文章を書く。noteのログインって切れないもんなんだね。 ストラテラを再開してからあまり文章を書きたいと思わなくなった。しかし効果といえばそれくらいで、ADHDの諸症状が抑えられているわけではないので結果的に欲しい効果は得られていない。 最近のことでいえば、やっと障害者手帳を取得した。税金もかなり安くなるし、市内のバスと地下鉄が年間乗り放題、最寄駅は地下鉄じゃないけど通勤にはバスを使っているし陸の孤島で雨の日にはバスを使わないと駅に行くにも結構しんどいので、もっと

          ストラテラ

          精神の安定

          生理後の疲労(わたしは生理前よりも生理後の方が疲れが出やすい)がおさまってからすこぶる調子がいい。こんなに安定しているのは久しぶりだ!と思いnoteを書いているが世の中幸せを僻む人も多い。確かに嫌いな人が幸せになっているとこんなにわたしに嫌な思いをさせてるのに!と思わなくもない。 調子がいいことの要因はいくつかあると思う。でも一番の理由は失業保険が入ったことによりお金の心配が減ったことだと思っている。 鬱になると仕事に行けなくなる。仕事に行けなくなるとお金がなくなる。お金が

          精神の安定

          メンヘラ.jpに記事が掲載されました

          https://menhera.jp/8077 わたしはオーバードーズで飛び降りをして全治6ヶ月の骨折をしました。 入院していたのは1ヶ月だったのですが、その入院の退院前夜に書いた日記になります。

          メンヘラ.jpに記事が掲載されました

          幸せになる方法

          先日整形のカウンセリングを受けた。施術自体は受けるつもりでいたのだが、思ってた以上にかかる金額、そして整形をして私は幸せになれるのか?わたしはわたしに何をしてあげたら幸せになれるのか?と考えていたら、カウンセリングのあとは電車の中で涙が止まらなかった。 二重の埋没をして多少生きやすくはなった。しかしカウンセリングでも言われたが、わたしの二重はもう線が薄くなってしまっている。この線を戻すためにはお金がいる。しかしわたしは今干されたガールズバーでたまに働くだけの無職だ。生きやすく

          幸せになる方法

          普通というハードルの高さ 1

          前回映画『溺れるナイフ』について書いたのだが、 https://note.mu/mm_nt_mr/n/n63097f87dd39 いつもならばオタク用のはてブではなくこのnoteに書いた理由のひとつに溺れるナイフにおける大友の【普通】について、という問題がある。 普通の基準は人それぞれだと思うが、わたしの場合【平均的】や【マジョリティ】が普通に該当する。わたしは外見、学力、職歴等同世代の平均には到底及んでいないしマジョリティ側の人間ではない。 最近こそ外見に関してむや

          普通というハードルの高さ 1

          映画『溺れるナイフ』における大友と普通に生きたいということ

          わたしはジャニーズWEST重岡大毅くんのことが好きだ。 好きになった理由はいくつかあれど、その一つに彼が出演した映画『溺れるナイフ』が挙げられる。 https://gaga.ne.jp/oboreruknife/ 溺れるナイフのあらすじはリンクを見てもらえればいいのだが、重岡くん演じる大友は主演2人に次ぐ役柄であるのに3人の中では異質な存在である。世間から、大友目線からしたら2人が異質なのだそれがゆえに小松菜奈演じる夏芽に募せた大友の恋は実ることがない。 しかし作中、普通

          映画『溺れるナイフ』における大友と普通に生きたいということ

          精神病疾患が働くということ

          入院前勤めていた派遣先から復職不可能と言われ契約を切られることになった。幸い、営業担当者がうつ病で休職経験あり、現在もメンクリに通院中という理解のある方だったので2週に1日半休がもらえる会社(リハビリと伝えているけれど実際は薬物依存のグループミーティング)があったら紹介してくださいということになった。先日理解のある会社の職場見学に行くも、ご縁はなく相変わらず無職の生活が続くことになった。 今日は通院しているクリニックの診察があった。困っていることはあるかと問われ、仕事が決ま

          精神病疾患が働くということ

          診断結果:薬物依存症

          前回のオーバードーズ後、わたしは母に連れられ依存症を専門とするクリニックに向かった。どうやら母の目にはわたしは薬物依存症だとうつったらしい。 初診の際、臨床心理士なのか精神保健なんとか士なのか忘れたが軽く問診を受ける。それまでの性格や経歴、なぜオーバードーズをしてしまうかなど。そこでは母も同行していたんだけれど、母は○○を気にかけてあげることができなかった、辛さに気づいてあげられなかったなどと話していた。 わたしはまぁ話してないし知る由もないよなという気持ちであった。母に

          診断結果:薬物依存症

          薬とアルコールが無いと本音が言えない

          noteにまとめる、と呟いてまとめていないものがいくつかあるけれど結局新しくまた文章を書いている。 自殺未遂により1ヶ月近く入院し、一人暮らしの家を引き払うことになり実家に帰ることになった。 まだ左手が不自由とはいえほとんどの家事をやってもらっている罪悪感、一人暮らしの家から持ってきた荷物をせかせかと片付ける親、など要因は挙げたらキリがないが結果として実家暮らし3週間目にして限界がきた。 一人暮らしの家を片付けすると前々から言われていた日、うつ状態がひどくお風呂にも入れな

          薬とアルコールが無いと本音が言えない

          雑記

          死にたいというよりは生きていたくない。明確なときは覚えていないが、小学校高学年のあたりから生きていたくないという感情を常に抱いていたように思う。 ODをして外出や仕事に行ったこともあったがODがバレることもなく倒れることもなかった。 メンヘラ芸と思われるかもしれないがODをして街に出るときはここで倒れれば、運ばれれば、生きていたくないという気持ちを他人に理解してもらえるのではないかという希望だった。生きていたくないという言葉に希望という単語は不釣り合いかもしれないけれど。