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心の弾力トレーニング


学校の縮図みたい。


SNSを彷徨ってるとそんな気持ちになる。

目立つ人。
人を扇動する人。
それに付いてく人。
それを嫌悪する人。
何でもなくただ見ている人。

体育祭の出し物を
何にするかクラスで決めてる時のような、
あの頃の気持ちになる。

「これやろうぜ!!」
と数十人の前で自分の意見を言える人を
すっげ〜〜って思ってたし、
それにわらわらと
似た人が集まり扇動集団が出来上がるのも
すっげ〜〜と見ていた。

私は何の意見もない奴だったので
引っ張って行ってくれる人達に
迷惑をかけない程度にヘラヘラしていた。
ありがたい。
私みたいな人が大半で
「やろうぜ!!」と叫ぶ少数派がいないと
「ど〜する〜…」と言い合ううちに日が暮れてしまうんだろう。


だから目立つ人は絶対に必要で、
いろんな凸凹が合わさって
まぁるい円になる、
それが集団なのかなと思う。


でも学生でもなくなり
大人になると
生活水準やら数字やら透けて見えるSNSでは
なかなか、まぁるい円にはなれない。
平たい円ではなく
高さがある円錐のように感じる。

でも勝手にそう感じてるのは
誰でもない自分であって、
この四角いスマホの中だけで、なんだ。

そして円錐の先っちょよりも
自分の居場所が不幸か?というと、
全くそうではない。

せっかく大人になったのにさ、
あの頃みたいに誰かと比べたような
気持ちになるの、もったいないじゃない。


自分で丁寧に作ったご飯は私を癒すし
陽射しを浴びて読む本は心ときめくじゃない。

私が何かを考えようが、
考えまいが、
勝手に冬は終わるし春になるじゃない。

そんなこんなしてるうち
あっ!という間に10年20年、
経つじゃない。


そんでみーんなじいちゃんばあちゃんになって
みーんな忘れちゃうじゃない。


色々考えても結局は。

って時は頭ん中に
【にんげんっていいな】
が流れる。

人間ってだけでは
みんな横並列なんだよ。

私はたくさんの人に
強い影響を与えたい訳じゃ、ない。
でも近くに居てくれる
大切な人たちが
沈んだり涙に暮れそうになった時には
大丈夫だよ!掴まれ!って
引っ張り上げるくらいの力は持ってたいと
いま、努力している。


大きな土俵には登ってないけど
土俵の隅で、
ずうっとしっかり、四股を踏んでいる。








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