わたしのなかの、幼いわたしに

いい歳して、生育環境のせいにしていつまでもぐだぐだぎゃあぎゃあ文句を言うのはナンセンスだ、と思う、割と年相応な、おとなの自分が押さえつけてたこと。
それでも消えず、折り合いをつけられず、忘れられずにいままで持ってきてしまったこと。

わたしのなかの、幼いわたしに、目線をあわせて、話をきいて。

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物心ついたときから、その人は他の人と違ってて、なんとなくおかしいかも、と思ってて、
それが確信に変わったのは、10歳になる前だった。
「きょうだい」としてのわたしがはじまった。

外では、自分が、その人が、そしてほかの兄弟メンバーが、まわりからなめられないように振る舞うのが第一。
幸い、勉強はできたからよかった。
たぶん、運動も続けていればできたと思う。
でも、すべてが完璧で、突出しすぎると、その人のプライドを傷つけるかもしれない。
当時はっきり意識していたかはわからないけれど、たぶんそれが気にかかって、一定程度以上の努力をやめる癖がついた。

家では、家族の調整役と親の相談役に徹していた。
他人の強い感情に引っ張られてパニックになるその人と、まだ幼いためにその人への違和感を言語化できず、かんしゃくを起こすほかの兄弟メンバー。
その人への対応にいっぱいいっぱいで軽いヒステリーを起こす親と、我関せずな親。
その人のパニックを誘発しないよう感情をゼロにして、
親の愚痴を知ったような顔で聞き、
親がほかの兄弟メンバーの要求に対応できるよう、自分のわがままは言わない。

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それから数年後。
兄弟メンバーのひとりが人生を自ら終わらせた。
「自死遺族」としてのわたしもはじまった。

おかしな理論で自分を責め続ける親と、現実を受け止めきれずに逃げ出してしまう親。
親と社会に気づかわれてきたその人は、TPOをわきまえる器用さこそ絶望的に不足しているものの、わき上がった自分の気持ちを無視せず外に出すことができる人になっていた。

周りの人たちは親に心から同情する。
親をよろしくね、支えてあげてね、あなたがしっかりしなきゃね、親の悲しむことはしないんだよ。
きょうだいとして生きてきた中で散々言われ続けていたことが、さらに重みをもった状態で再びわたしのまえにあらわれる。
いわゆる田舎のコミュニティで生きる親戚周りの人々の前では、彼らの持つ規範にときどき違和感を覚えながらも、自分がどうしたいかを探すことにもそもそもそれ以外の物差しがあることにも思い至らず、そこで正しいとされる振る舞いを続けてきた。

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自分の外は、安全じゃない。
困ったり迷ったりしていることや、悲しみ怒りを、下手に奪われ否定されることも、不本意なかたちで増幅させられることもなく、外に出せる安全が保証された場所がなかった。

できあがったわたし。
自分がどうしたいかをリアルタイムにうまく感じとれない。
自分のことなのにどこか他人事のような語り方をする。
自分について話すことばが極端に少なく、そのため会話では人の話を聞くのに徹する。
自分の感情や欲求に気づくまでに時間がかかりすぎる。
気づいたとき、それをぶつけたい相手はその出来事自体を忘れている。
「今更そんなこといわれても」「なんでその時言わなかったんだよ」。
相手の立場になればそう思うのも理解できる。
だから、結局ぶつけるのをやめる。
その人に悪影響が出ないよう、ネガティブな話題は基本的に話さない。
外に出すときは、迷いや揺らぎの結果が決まったときや、その出来事をユーモア混じりの小話に再構築できたときに限る。

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きょうだいであること。
自死遺族であること。
「それらはあなたをつくる要素のひとつではありうるけれど、それらだけがあなたのすべてを規定するものだとは思わないでほしい。」
わかる、わかる。
でも、実際、これまでの人生でそれ以外のことを考えていた時間が思い当たらない。
わたしは他に何を持っているというのか。
それらを取り除いたとき、わたしを形づくるものとして何か残るのか。
恐ろしすぎる、考えたくもない。

きょうだいであること。
自死遺族であること。
当事者の家族であることには変わりないのに、
どうして親ばかりが同情されるのか。
兄弟であるわたしの気持ちはどうなるのか。
親じゃないってだけでなんでこんなに差があるのか。
こんなこと、親や親戚まわりには絶対に言えない。
友達や仕事仲間に気を遣わせてしまうのは、言わないで我慢することよりもつらい。
いったいどこに発散すればいいのか。
どうしようもなくいらいらして、どうしようもないことだと思い至ってやるせなくなる。

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