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心字点

 「点前には重きを軽く軽きをば重く扱う味わいをしれ」は利休百首のひとつである。茶道における道具には重いものと軽いものがある。“鉄で出来ているものでも、如何にも重そうに持つのではなく何事もないように平然と持ち上げなさい。また、茶筅のように竹で出来た小さいものでも、軽々しく持ち上げるのでなく、大切に重いものを持ち上げるような気持ちで丁寧に扱いなさい”という意味が込められている。
 少し違った例だが、プラスチック皿と、陶器皿であれば、どちらを大切に扱うだろうか。恐らく陶器皿だろう。理由は壊れやすいから。逆に、陶器皿は100円均一で手に入れたもので、プラスチック皿が形見であったり、世界に一つしか存在しなかったりしたらどうか。扱い方は前者の場合とはきっと変わるに違いない。つまるところ、物をどう捉え、扱っていくかはその人次第なのである。
 では、上記のことは物に対するものだが、“命”ならばどうなるか。たとえば、大切なものを友だちに貸して、返されたときにボロボロだったらあなたの気持ちはどうであろう。どうしてと思うし、心穏やかでなくなる人はいるに違いない。皆さんの“命”はもらったもの、それとも借りたものだろうか。確かに、皆さんの命は皆さんのものだけど、天から借りている(与えられた)もので、いずれは返すもの。だから、勝手に皆さんが勝手に捨てたり、始末したりしていいものではない。奇跡的に、かつ神秘的に我々は命を授かった存在なのだから、生きる価値や資格や意味などは、問う必要がないくらいに、大いにあるのである。そもそも、生きていること自体が凄いし、途轍もなく素晴らしいことなのだ。まさしく、テーマに掲げたように「日々是好日」であり、いいとか悪いとかという価値判断で捉える必要がなく、どんな日も完璧であって好い日なのであり、その日を生きられるだけで素晴らしい。
 今生きている瞬間というのは間違いなく“一つ”である。これしかない。ここしかない。今しかない。やり直しなんてあり得ない。取り替えもきかない。一生に一度だけの瞬間。だからこそ、すべてが輝いている。このように満ち足りた、素晴らしい世界で生きているなんて素敵ではないか。
 砥上裕將著『線は、僕を描く』によると、水墨画には「心字点」という言葉がある。点を打つとき、“心”という字を書くくらい大事に打ちなさい、という点描を指す。つまり、ただの点だからといって疎かにしてはいけないという教えであり、最後の一点を心して書くことを意味する。
 皆さんが自分の中のみで体験している、見る、聞く、匂う、味わう、感じる、思うなどのすべては、どれも大切なことで、いいとか悪いとかはない。1月に放送されたドラマ『にじいろカルテ』で流れた童謡『にじ』にあるとおり、虹を見るとなんだか幸せに感じる。ずっと雨が降り続けることはない。雨も決して悪くない。虹が現れて、観ることができるのだから。今日が自分の中で悪く感じたことがあったとしても、明日もきっと好い日が訪れる。完璧な世界で生きているのだから。今という瞬間はまさに「心字点」そのものである。一つ一つのことを大切にしたい。

2021.8.26

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