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再会、そのつづき book review

『チェロの木』
いせ ひでこ・作
偕成社

 この著者のことを、本のことを、いつか書きたいと思っていた。初めての出会いは、学生の頃……。

 当時、決まって私は休日になると、ほぼ一日を本屋で過ごしていた。偶然、眺めていた本棚で『カザルス』の文字に目が止まった。あのカザルスだ! カタロニアが生んだ偉大なチェリスト、パブロ・カザルス。背表紙の四つの文字だけで、確信があった。間違いない。

 手に取ると表紙には、音符のない五線譜。『カザルスへの旅』伊勢英子の文字。そしてその下にひとこまの小さな絵。細長い窓辺にロープが張られ、バイオリンとチェロが干してあった。まるで洗濯物のように……。

 私はその本をそのままレジに持って行って、その日はその足で自室に帰った。帰り道、なんだか普通に歩けなかった。つい走りだしてしまいそうで、頬が緩んでくる。探していたわけじゃない。出会うべき本に、偶然、出会った瞬間だった。

 私はチェロの音色が大好きで、カザルスは今も特別な存在だ。でも、その頃、私の身辺にはそのことを共有できる人がいなかった。それどころか、それまでのまだ短い人生で、ただの一人とも出会わなかったし、カザルスの名前さえ、口から発したこともなかった。以来、私は伊勢英子さんの著書を見かけると、つい手にとってしまうのだ。

 彼女の作品には、度々チェロが登場する。『1000の風1000のチェロ』では、様々なチェロ弾きたちを描いていた。『ルリユールおじさん』では、父の代から受け継ぐ職人を『大きな木のような人』では、植物学者を、そして本書『チェロの木』は、森の木を育てていた祖父と、楽器職人の父、チェロに目覚める少年を描いている。

 語り手のわたしは、幼い頃、祖父と一緒に森を歩くのが好きだった。父は自宅に隣接した工房で、バイオリンやチェロをつくっている。母も作業を手伝う。そこには楽器の材料になる様々な種類の板があった。祖父の育てた木も、あったのだろう。

 ある日、わたしと父は出来上がったばかりのチェロを届けに行く。本物のチェリストに会うのは初めてだ。

 チェリストのパブロさんは、父の作ったチェロを手にすると、音階を何度も弾いた。パブロさんは、カザルス、その人だ。

 その後、学校の帰り道で偶然わたしはパブロさんと出会い、教会の演奏会に誘われる。そこでパブロさんは、バッハの曲を父の作ったチェロで弾いた。わたしは瞬きも忘れ、一瞬で心を奪われる。

 パブロさんのバッハは、言葉では言い表せないことを、思いおこさせるようだった。そして、そのチェロをつくったのは父……。曲を作った人がいる。演奏する人、楽器を作る人、木を育てる人も。

 仕事の終った夜の時間をよせ集め、父はわたしにチェロを作ってくれた。その時からずっと、わたしはチェロを弾き続けている。

 人が何かに出会うとき、何かを始めるとき、それは、どんなだろうか。人が何かを選ぶとき、決めるとき、どんな理由があるのだろうか。生き方は、人生は、何をもって決まるのだろうか。

 わたしは、チェロの演奏家にも、楽器職人にもならなかった。別の道を、選んだ。

 亡きパブロ・カザルスのチェロは、ヨーヨー・マが弾いているそうだ。私は思いがけずその話を、娘から聞いた。

同人誌『季節風』掲載

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