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28.神との対話【解説】P48~49 なぜ辛いことが起きるのか①三位一体

前回まで、宇宙の創生について4回にわたって説明してきました。
神との対話の本では、P39~47の間にあたります。

宇宙が創られ人間が生まれた理由は、神(愛)の性質を根源に持つ私たちが、愛を経験するためでした。
そしてワンネス…すべては一つであるという真実も、示されていました。

そのような素晴らしい真実がこの本…神さまからのすべてのメッセージの基礎・根底にあり、これから、その続きがつづられていきます。

48ページから神さまは、ニールさんのもっとも知りたいことである世界はなぜこんな状態なのか?という”問い”に答えつつ、奥深い内容を教えてくださっています。

ふつうはこんな問われ方をしてきた。
神が完璧であって、完全なる愛であるなら、どうして神は伝染病や飢餓、戦争、病気、地震や竜巻、ハリケーンといった天災、深い失望、世界的な災厄などを創ったのか。

神との対話1 P48

上記の問いの答えについて、私たち読者は、これまで学んできたことから「愛を経験するため」ということが解ります。

しかし実際に被害にあって大切にしていた存在を失ってしまった人たちの悲痛な気持ちを察すると、そうそう簡単に答えられるようなことではありません。

私たち人間は神の一部なので、喪失感や苦痛について神さまも充分にそれを知っています。
でも、あまりの辛さに「愛を経験するためだって?そんなもののために・・・」と、いまいましく感じたり不信感を抱いたりするかたもいらっしゃることでしょう。

本では、神さまがこの質問に対して長く慎重に答えてくださっています。

ここではその一部しか引用できませんが、抜粋しつつ説明していきます。

この質問に対する答えは、宇宙のさらに奥深い神秘と人生のさらに高い意味のなかにある。
わたしは神のすばらしさを示すために、あなたがたのまわりを完全ずくめにしたりはしない。
神の愛を実証するために、人間が愛を実証する余地をなくしたりはしない。

神との対話1 P48

私たちは何かが欠乏することで、その欠乏した場所が愛で満たされる…他人からの愛も自分からの愛も…経験をすべく生まれてきているようです。

不安であることは、愛していないということでもあります。

欠乏していて不安という経験は、その場所がいつか再び豊かに愛で満たされることを信頼していないことであり、今は神(自分)を愛して…信頼していないということなのです。

根源的に愛そのものである私たちは、まず、愛の真逆の不安(欠乏を含む)を経験しなければなりませんでした。
その状態を何とか愛に満たされた良い状態にしたいと”望む”ことで、みずから「知る」ことと「体験する」ことを選び、そしてついに満たされた状態に「在る」自分へと、変化していきます。

ここで、「知る」「体験する」「在る」ということを、神さまは聖なる三位一体(さんみいったい)と言われています。

知ることを”父なる神”と呼んで体験の始まりとし、
経験することを”息子である神”と呼んで父が知り得たことを体現・行動化する存在とし、
在ることを”聖霊”と呼んで体験して会得したすべてを超越した存在としています。

またそれを別の言葉で、”生じさせるもの”と”生じるもの”と”在るもの”とも、書かれていました。

この三位一体の在り方が、神のしるしであり、聖なるパターンだ。
三つでひとつ、それは崇高な領域のどこにでも見られる。
~略~
人生の微妙な関係を扱う者は、誰でもその中に三位一体の真実を認める。

神との対話1 P49

他にも、
父と子と聖霊(宗教の一説)、超意識と意識と潜在意識、精神と身体と霊魂、エネルギーと物質とエーテル、思考と言葉と行為、過去と現在と未来、・・・こことあそことその間
以上が三位一体の例として本に書かれていました。

繰り返しますが、崇高な領域には「三位一体」という真実が存在します。

三位一体とは、”三つの存在についてその本質が同一であること”という意味を持ちます。

三つのうちのどれか一つが存在するなら、他の二つも必ず存在します。

つまり愛を望み、選び続けるのであれば、それが「愛を知る」ということにつながり、同時に「愛を経験する」ことや「愛で在る」ことが約束されているのです。

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