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31.神との対話【解説】P51~52 自分原因説①他の人に起きる災難

前回の”なぜ辛いことが起きるのか③(P51)”で、災難も苦難も、自分自身が引き起こしていることをお伝えしました。
また、目の前にしている苦難について、非難するのではなく、「私は何を『悪』として、何を変えたいのだろう。私は何を体験したいのだろう。自分のどの部分を引き出したいのか。何者になりたいのか。」等と自問することが神さまに勧められていました。

ちょうどトルコとシリアで大きな震災が起きています。皆様は、何を思われたでしょうか…。私自身は継続して少額の寄付をしています。ほんの小さな力にしかなりませんが、善意が世界中から向けられて、人々の悲しみや苦しみが癒え、トルコが再び美しく活気のある街になるよう祈っています。

52ページには、他の人に起きているものごとについて、私たちはどのようなスタンスを保つと良いのかが書かれてあります。

あなたがたは他者が歩む因果(カルマ)の道を、善いとか悪いとか判断してはならない。
成功をうらやまず、失敗を憐れむな。
魂の決算の時がきたら、何が成功で何が失敗になるかわからない。
ものごとを災難とか、喜ばしい出来事とか言うのは、それをどう活用するかを決めてから、あるいは見届けてからにしなさい。
ひとつの死が数千の生命を救うなら、それは災いだろうか。
~略~
何をするにしても、レッテルを貼ったり、決めつけたりするのは避けなさい。
それぞれの環境が贈り物であり、それぞれの経験が隠された宝なのだから。

神との対話1 P52

善いことも悪いことも、ただ自分のために起きているとすれば、その状況が「いったいなぜ起きたのか」と考えることはとても良いことです。

また、自分が受けた苦難の理由を掘り下げて探っていくと、出てきた答えは、大変個人的なものとなるはずです。
「自分の強さを引き出すため」「自分の価値を思い出すため」「より自由に表現していくため」「過去(あの時)の自分を許すため」「信頼することを知るため」「希望を捨てない自分を育てるため」…千差万別の答えと人生の目的が、そこにはあります。

神々や守護天使に守られていることを信じて、すべての出来事が自分のために起きていると仮定すれば、起きているほとんどのことへの意味付けが「良いもの」になることでしょう。
受難の原因を掘り下げていくうちに、手放しや浄化や許しが起き、起こすべき行動とそのために必要な勇気が見えてくるはずです。

それぞれが自分の高い目的のために、そしてできるだけ早く真実の自分を思い出すために、状況と環境を創造しつづける。「いま」と呼ばれる一瞬一瞬に。

神との対話1 P52

それが苦難であったとしても、状況や環境はすべて他ならぬ自分の成長のために、自分自身がどこかのレベルで起こして(創造して)いるとのことです。

そこにある苦労や災難が起きた原因(意味)について考え、答えを探り出し、思考パターンや考え方を変えたり、勇気を出して行動を起こしたりするうちに、
私たちは成長して、より楽に、幸せに生きられるようになれます。

それは、他人であっても同様です。
人に起きるものごとは、良くも悪くもその人が自分のために創造した出来事であり、状況が起きる理由は、その人にしか分かりません。
だから「かわいそうな人」とか「悪い人」など、勝手なレッテルを貼らないのが良いです。

また、過去の自分自身であっても同様です。
幼かった自分に起きたことや起こしてしまったことについて、「かわいそうな自分」「悪い私」など、レッテルを貼らないのが良いことが理解できるでしょう。

けれども、災難を受けている人たちを目の前にしたときに、私たちは「自分は何者か」を選ぶ(創造する)ことができます。
「助けたい」とか「この人のために何かを変えたい」という思いによって行動を起こすこともまた、自分の人生を創造するきっかけになります。

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