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小学生時代

日本に帰国後、私は中国と日本の違いや日本人の思考に沢山苦しみました。日本にいなかったからこその経験はありましたが(前回の記事参照)だからこそ帰国後の日本は分からないことだらけでした。

入学式

 帰国後一番最初に苦しんだこと。それは大勢の日本人の中に溶け込まなければない入学式。周りは幼稚園からのお友達や顔見知りがいる中、私は誰一人いませんでした。(他にも私みたいな人はいたかも知りませんが、、)その上、中国語が母国語みたいな状況で私は日本語があまり出来ませんでした。自分からコミュニケーションは取れず、相手から話しかけられてもどう返せばいいかパニック。

「今すぐ中国に戻りたい」そう思っていました。今思い出しても入学式初日は地獄です😂

小学校生活

 入学式後、待っていたのは『毎日学校に行くこと』でした。当たり前ですけど(笑)
しかし、私にはこれがとてもしんどいことでした。というのも入学してからすぐに以前中国に6年間住んでいたことを打ち明けたんです。その際に、9割の人たちが「え、あの中国、、」「汚いところだよね、、、」だったりと中国を悪い国という目で見ていました。当時日本と中国は関係が悪かったらしく仕方ないのかもしれませんが、、、。そんな事知る由もなく、当時の私はその言葉に大きなダメージを受けました。自分が生きてきた6年間を全否定された。そんなふうにも思いました。
自分の住んでいた中国がそんなに悪い所だったのか、そんなところに住んでいた私はみんなに受け入れられないんだ。そう思いました。
この日を境に私は大好きだった中国が大嫌いな国へと変わり、中国に住んでいたこと恥ずかしい。人と違うことがコンプレックスになりました。(母が中国ラジオを聞いていたのが嫌になり、中国語を完全に忘れるほどになっていました。)

さらに、上記でも述べたように日本語が苦手でした。そのため周りの子に「なんか変な言葉喋ってる」「聞いたことない言葉話してる」と言われていました。親がそれを聞き「学校で中国語話してんの?」と聞かれましたが、流石に学校で中国語は話してません。(あとから聞いたことですが、この時私が話していた言葉は標準語だったみたいです笑)
これを言われている事を知り、本当に毎日学校に行くことが辛かったです。自分は他の人とは違うんだと思いましたし、自分が浮いている存在となっているのが目に見えてわかっていたからです。両親にも心配をかけたくない、弱い自分を見せたくない一心で毎日学校に行っていました。(休んでいる時に私の悪口を言われていないか怖かったのもあります)

しかし、そんなある日。クラスメイトの1人が私に話しかけてくれました。

「お前中国住んでたん?」

と一言。私はまたバカにされる。その話題に触れないでって思いました。しかし、その子が次に発した言葉は

「いいなぁ!!俺中国好きやねん!羨ましい!」

でした。涙が出るくらい嬉しかったです。誰一人として中国に住んでいた私を受け入れてくれなかったのに、この人はすんなりと受け入れてくれたからです。きっとそんな深い意味はなかったと思います。

しかし、何気ないこの一言で私は何度も救われました。中国に住んでいても良かったんだ。中国好きな私でいてもいいんだ。みんなと違うけどいいんだ。そう思わせてくれました。あの言葉がなかったら今でもきっと中国が大嫌いなままでした。
(しかし、トラウマは消えないもので今でも中国に住んでいたことを広められるのは苦手です。。)

これをきっかけでというかこの友達のお陰で私は少しではありますが、友達が出来ました。

常識

性格形成は主に幼少期に行われると言われます。私はその期間を中国で過ごしました。そのため日本人の常識というか考え方とは大きく違いました。(○○人の思考はこう!と決めつけるのは苦手ですが、やはり少しはあると思います。)

私は、どちらかと言うと自分の意見をはっきりと述べる方だと思っています。これは中国で過ごした日々が大きく影響していると思います。中国では自分の意見をはっきり述べないと生きていけない環境でした。逆に思っている事を口にしないと「何考えてるのか分からない」と気分を害されてしまいます。
一方で私が見てきた大半の日本の人は気を使いながら自分の意見遠回しに伝えたり、時には皮肉を述べているよに見えます。それが悪いとは思いません。むしろ気遣いができるのは素敵なことだと思います。

ですが、当時の私には理解し難い考え方でした。そのため、どストレートに言いたいことを言う私に対して、周りの友達は嫌悪感を抱かせてしまっていたと思います。

「どうしてみんなは言いたいこと言わないんだろう?」「自分が損するし、言えないことを人のせいにするのは違うくない?」「あとから言われても、、」など思っていました。なんなら「意見言わないくせに否定だけするの違うくない?」そう思っていました。

でも、それがその人なんだ。私がストレートに発言してしまうように相手も意見を述べないのがその人なんだそう考えるようにしました。みんなが私みたいになんでも言ってしまうと、何もまとまりません。逆に何も言わない人しかいなくなると、何も発展しませんよね。どちらもいい具合に存在しているからこそ新しいものが生まれたり、お互い成長できるなと気づきました。

残念ながら、小学生の頃の私にはそんなことは理解出来ず、友達に対して言いたいことをぶちまけて毎日のように喧嘩していました。女子に限らず、男子にも、、。そして小学生の私は人をからかいガチでしたし、きっと私のトゲトゲな性格が原因でものを隠されたり、集団の輪から追い出されたのでしょうね。今思うと良い経験をしました。この経験のおかげで私の尖った性格は少し丸くなったような気がするので。(まだまだ尖ってるとは思いますが。)

少し前に宗教でLGBT主題にした「普通を押し付けない」の授業を受けました。見た目だけでは性別は判断できない。既成概念に囚われないこのが大切だということを学びました。

この授業を受けながら性別だけではなく、性格や容姿などにも当てはまるということです。自分中での普通(中国は汚い国、自分の意見を述べる、述べない、茶髪はチャラいetc.....)を相手にまでも求めることや強制すること。これはどうなのかなということです。普通の押し付けになっていると思います。普通なんて誰の物差しで見たものなのか。そんなものに囚われる必要ないですよね。既成概念なんて必要ないんです!

欅坂46『不協和音』の歌詞にもあります。

『不協和音で既成概念を壊せ!』

てね。自分の中での普通はあってもいいと思います。しかし、やはり押しつけはしてはいけないことだと思います。
自分は自分、他人は他人。みんな違ってみんないい。人って一人ひとり違うからこそ面白いんだと思います。違う考えを持っている人と話すことで新しい考え方に気づけるじゃないですか。それが私にはすっごく素敵な事だと思います。実際、私の親友は私と真反対な性格です。だからこそ新しい捉え方や見方ができます!きっと彼女にとっての私もそうなんじゃないかなと勝手に思っています(笑)

しかしながら、今でも自分勝手や人の事を考えていないと言われることがあります...。考えて発言しているつもりなのですが、言葉選びが下手くそみたいで誤解を与えていることがしばしばあります。例えば、「変わってますね〜」と褒め言葉で言ったつもりが相手に「それ失礼やん。」と言われてしまったり😅日本語って難しいですね。裏を読む力などもみにつけていかないと会話が難しい(笑)受け取り方も人それぞれ違うのでね。
もう少し語彙力あげないとなって思いました。まだ上手く自己表現出来ていないなと反省する日々です。実は上記の既成概念に関しての言葉は自分に対して述べているようなものです(笑)

まとめ

とまぁ小学生はこんな感じです。人と考え方が違うことに沢山悩まされました。みんな考え方は違うのが当たり前なのにね。。
高校生の私は冷静に客観視できたのではないでしょうか。まだまだ直せていないこともありますが、少しずつ成長していきます。周りになじめるよう必死に自分の意見を抑えていた時期もありましたが、やはり自分らしく生きていたい。ズバッと言う自分も失いたくない、今はそう思います。

今はこう振り返って過去の出来事を思い出すとみんながぶち当たる壁なのかなとも思います。中国に住んでいたことは関係ないのかもしれないです(笑)
小学生は本当に本当に思い出したくない思い出で溢れていますが、それでも毎日学校に行っていた自分本当に偉いよ。小学生〜中学生まで皆勤とったのすごいよ本当によく頑張ったよ😌 正直、貰ったものをビリビリ破ってしまったことは一生後悔していますが。

今回はこんな感じでnoteを終えたいと思います(笑)
年内にもう一度書けるかな?

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