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キチキチミチミチ(既知既知未知未知)

断片が断片のまま消えていく。
あー、鬱だ。

正確には「鬱」ではない。
たまに、死にたくなるだけだ。

「生きてる」という大前提に、体重を掛け過ぎないようにしているので、こういうこともある。
――鬱病などという大層なものではないけれど、たまに死にたくなる程度のことはある。

今は、調子がいい。
大体の人が知っているダルビッシュ有という野球選手が発した言葉の中で、これは面白い言葉だなと思っていたものの中に、「再現性」というものがある。
世間的には、言語化能力の高いアスリートという評価らしいが、インターネット空間で情報や人間性を発信し始めた10年前くらい(かな?)はもちろんのこと、現時点においても言語化能力の高いアスリートを挙げるなら、「イチロー」や「中田英寿」、「村田諒太」などが対象になるので、その他のアスリートと相対比較した時に、良い方なのだろうなというくらいの印象。だけど、この言葉だけは“良い言葉”として覚えている。

鬱病もどき、もしくは鬱になる時がある、というのは、そうではない時間に対しての「再現性」がないということである。
“非遅刻”が常態化したことなど、人生で一度もない――逆から言うと「今日もアイツ遅刻してきた」――し、振り返ってみるに、朝の支度で「制服をすべて着替え終えられた時点へと、毎日ループしてくれればいいのに」と小学生の時から思っていたことからも、それへの欠損の予感があったのかもしれない。

感覚の言語化は、障壁に対して取っ手を付けるようなものだ。
「呪術廻戦」の作者である芥見下々先生が、“魂の輪郭が、うんたらかんたら……”と、「乙骨、死んじゃったよー」と読み飛ばしながらも何となく知覚できる中でほざいていることも、このようなことなのだろうと思う。

しかし、3日に一回ほど、小便以外は地べたとの一体化を願わんばかりに、どろどろの日があってしまうことを考えると、「ドア」を開けるだけでもシンドい時はシンドいのだ。
嗚呼、すばらしき哉「自己反重力機構(セルフアンチグラビティシステム)」(順転では心許ない出力と発動時間の制限を自身の肉体を領域とし、術式反転で使用することによって、何故か底上げされた。最早、定期的に訪れるお決まりのやつだから、肝なんか冷えることもなく、ただ死にたくなるだけだ)。

そして、そもそも、どういった色彩で文字群をまとめようとしていたのかがわからなくなってしまった。
途中でそのことに気付き――ダルビッシュ有をこねくり回していた辺り――、再構築し直して、終わりのみ、前もって文章化していたのだが、現在の色味はそこへすらも繋がらない。

今、今まさに頭の中にあるのは、「僕の記憶をブラックホールから返して下さい九十九由基先生」と「芥見下々に受肉したい」の二股(二択)。
後者の場合は、「芥見先生が男だったら、どうすんねん」を挟んだ後――

でも、「勃起」の「再現性」がないから、挿れる側より挿れられる側の方が合理性があるのかー。ギギィ……バッタン。

ただ、にしても何なんだろう一体全体。大谷翔平の結婚報道が世に出た日であると考えると……。
「男」という生き物の多様性の確保という観点で見た時、素晴らしい。素晴らしい文章を残してしまった。

中の人の染色体は未知のまま

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