【ネタバレ注意】ここが変だよ『政権変容論』
どうもご無沙汰しております。海原雄山です。
維新創業者の1人、橋下徹氏の新刊が発売されました。
各方面で話題になっているようですが、私も泣きながら一気に読みました(元ネタがわかる人は多分同年代。)
賛否両論あるようですが、私なりの感想を備忘録的にまとめておきたいと思います。
なお、本書のネタバレを一部含んでいますので、まだお読みでない方はご注意ください。
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現状認識は「なるほど!」しかし・・・
結論から申し上げて、今回の橋下徹氏の論について私の感想としては、「言いたいことはわかる。でも、それって難しいよね」ということです。
現状の民意の分析と考察については、流石だなという思わせるものでした。
しかし、その現状認識に対する解決策がどうにも現実離れした方法論であるため、そこのところは正直賛成できないなというところです。
そこのところをもう少し詳しく書かせていただきます。
民意の今
まず、かいつまんで橋下徹氏の民意の現状認識を書かせてもらうと、国民は現状として政権交代を望んでいないということ。
これは当方の認識にも合致するところです。
自民党はふがいない、しかし、立憲民主党も日本維新の会も政権を任せるだけの頼り甲斐は無い。
大方の国民の認識はこれくらいではないでしょうか。
確かに、相変わらず政治と金の問題が噴出する自民党にあきれている国民も多いところですが、民主党政権のトラウマの記憶もまだまだ鮮明な中、ましてや、あまりにも「理想主義的すぎる」共産党と組む立憲民主党を政権につけることに抵抗感はあるし、日本維新の会は人材不足とガバナンスがまだまだ未熟な部分も多いのでそれ以前の問題と考えているのが現状ではないでしょうか。
それなら、まがりなりにも外交も防衛も安定感のある自民党政権を消極的ながらも肯定していくしかないというある種のあきらめがあるのが国民の空気感かと考えられます。
確かに、(くどいようですが)普天間飛行場の移転計画を停滞させる等、威勢よくぶち上げたものの新機軸のものが悉く失敗に終わった民主党政権の失敗を散々見てきた我々国民は、案外外交では世界での日本のプレゼンスが高めてくれた今の自民党政権に政策に100点満点とはいかないまでも70点くらいはあげてもいいとは思っていて(いやいや、こんだけ円安に振れて日本円が紙くずになっているとか、GDPシェアも30年間で大幅に低下したとか、そういうのは確かにありますが・・・)、そこまで大幅な政治的刷新を望んでいないというのは、それなりに説得力のある話かと思います。
これからの野党のあり方
では、野党は何をすればいいか。
政治家になったのはなぜか。それは自分たちの政策を実現させること。
政権に就くことは、一番確実な政策実現の手段ですが、あくまで手段であり、それは目的ではないはずです。
もう一つの政策実現の手段は、与党と交渉して政策を飲ませることです。
しかし、純粋な交渉では野党の政策を飲んでもらえないことは、国民民主のトリガー条項を巡るあれこれや、維新の旧文通費を巡るあれこれを見てもわかるはずです。結局、与党が過半数取っているわけですから、野党の賛否なんてどうとでもなるのです。
だから、与党を過半数割れに持っていくことが大事なのです。
これは、私もまったく同じことを考えていました。
いくらきれいごとを述べても、与党は過半数を握っているんだから、野党の政策を丸のみする誘因なんてほぼ無いに等しい。
だから、野党が与党に政策を飲ませる交渉を行うにしても、衆参どちらかで与党過半数割れを実現することが大事。
政治と金で自民党が揺れに揺れている今、実はその絶好の機会が巡ってきているのです。
野党分裂がもたらす弊害
しかし、衆院選が小選挙区比例代表並立制を採用している現状において、野党が分裂状態で、各々候補者を立てれば政権側を利するわけで、与党過半数割れは夢のまた夢。
世論調査で無党派が60%にも上る現状にあって、それでは野党にも流れてくるであろう無党派の票は分散してしまうわけで、勝機を掴めないわけです。
なので、小選挙区において野党が候補者を一本化することが求められるわけです。
「だから予備選」は正しいのか?
野合ではない?
ここから先が、本書で語られる課題解決策なのですが、それがかねてより口酸っぱく橋下徹氏が説いて来た「野党間予備選論」なわけです。
氏曰く、予備選は、あくまで「与党過半数割れを目指すため候補者を一本化する手段」であって、これは、「野党が組むことや理念政策を無視した野合を意味しない」ということだそうです。
この議論には少々疑問符が付きます。
確かに野党で連立して政権を取るのではなく、与党過半数割れを目指しているわけではないというのは、確かに理屈としてはあり得るにしても、一般国民には少々わかりにくくないでしょうか。
野党一本化して共通して目指すものが与党過半数割れで、政策や理念の合致もないのであれば、反自民党だけで固まった野合と何が違うのかというツッコミが飛んできそうです。
仮に予備選で野党間の候補者を一本化したとして、特定の政党が予備選と本選で野党第一党になったすれば、他の野党はそれに手を貸したわけで、じゃあその野党の政策を是としたのかという話になりはしないでしょうか。
もっとわかりやすく言えば、麻生太郎元総理あたりが、予備選で野党候補一本化したことを揶揄して、「立憲共産党」「日本共産党の会」「国民共産党」というネガキャンを行うことは目に見えているわけです。それは違うでしょう。
「予備選の結果としての候補者一本化」という理屈が、どれだけ国民に理解されるかが正直読めないところです。
あまりに理想主義的すぎる前提
また、本書では、巷にあふれる野党間予備選論への批判について再反論も試みています。
例えば、「予備選で負けた側の党支持者は野党統一候補には票を入れない」という良くある批判に対しては、野党の支持率はおおむね1桁台なので気にせずとも良くてあくまでボリュームゾーンである無党派の票を狙っているから問題ないという趣旨の反論を行っています。
しかし、無党派はそもそも選挙に行くのでしょうか。天候が悪いだけでも投票所に行かないわけで、いくら全体の60%を占めるといっても、実際の投票率は未知数なわけです。
また、無党派はすべて野党に親和的とは限りません。むしろ現状を消極的にでも肯定しているからこそ、野党に流れていない層も少なからず含まれていると考えらます。
無党派の票が丸々野党に入るというのは、やや皮算用が過ぎるのではないでしょうか。
さらに言うと、多くの野党は組織票を持っており、選挙後の党利党略を考え、むしろ与党候補に戦略投票させることなんて容易に想像できることです。
橋下徹氏は、与党過半数割れが日本政治を前進させるものとして野党間にその理念の共有を期待しているフシがありますが、表向きそれを受け入れたとしても、権力闘争の政治の世界にあって、自党の力=議席数が最大化することを企図して謀略をめぐらすのは当然あり得ること。
ましてや政党助成金という政党の資金源に関わることです。今後の人材確保にも影響があります。互いに自分たちの収入が最大化するよう、いや、最大化しないまでも、他の野党よりは多くなるよう策謀を働かせることでしょう。つまり、他党の足を陰で引っ張るなんてことが考えられるわけです。
だとしたら、野党間予備選論の企図する効果というものが十分得られるか、本当に与党過半数割れが実現できるか、少々疑問が付くところです。
生身の人間はピュアではない
橋下徹氏の前提がおかしいのは、想定している政治家像が、「政策実現のみを純粋に追及する」というピュアなものだからです。
野党の政策を実現するために、与党過半数割れを実現するために、「補選で負けた金澤ゆい氏は本選に出ない」「維新スピリッツを持った政治家は身分に固執せず野党間予備選論に賛成する」と言った論を展開されていますが、人間そんな理想論ばかりではないわけです。
例えば、金澤ゆい氏が、前回の衆院選から地道に何年活動して、どれだけの私財をなげうってきたか。
別にお金だけの問題でもないでしょうが、さはさりとて、お金が無ければ、政策実現どころか生きていくことさえもできないのも現実としてあるわけです。
そもそも、自分自身が理想とするものがあって、それを自分の手で実現したいという強い思いがあるからこそ、有権者として一票を投じるだけにとどまらず、政治家になることを志したわけですから、本選でもない補選や予備選で負けたくらいで引っ込むことをそのまま飲み込めるかと言えば、そういうわけでもないのが人間の性というものかと考えられます。
橋下徹氏は本書で、「維新スピリッツがあれば、予備選に負けた維新の候補は本選立候補は辞退する」という趣旨の主張しますが、これは少々違うのではないかと。
むしろ、自分たちの目指す社会にこだわりがあって維新スピリッツがあるからこそ、大事な選挙において維新の政策を掲げた候補者擁立を諦めるのではなく、候補者擁立にこだわるでしょう。
※余談ですが、私は維新スピリッツという言葉を使うことに少々抵抗があります。党の精神・思想を表すものなら党の綱領や基本政策のようなものがありますから、それを示せばいいわけで、位置づけも定義もあいまいな維新スピリッツなるものを持ち出して自説を補強するのはいかがなものかと。(まあ、私も直近のパラグラフでそれに頼っていますが・・・この維新スピリッツと唱えるのはいかがなものかという話は、別の機会で論じたいと思います。)
野党間予備選論の構造的欠陥
そもそも、野党間予備選論の根本的な構造上の欠陥は、無所属候補の存在が忘れ去られていることです。
仮に野党間で予備選のルールが徹底され、予備選敗者は立候補を取りやめる紳士協定が守られていたとしても、比例当選もない無所属政治家となれば、そんな紳士協定なんぞお構いなしなわけで、与党に対峙する候補の一本化ができない恐れがあります。
また、小選挙区で勝ち抜ける自力のある政治家は与野党問わず案外いるわけです。
例えば、郵政選挙のときの野田聖子氏や、最近では、希望の党騒動で希望の党にも立憲民主党にも与せず無所属で当選した元民進党議員の面々。野田佳彦氏等結構多くの無所属議員が選挙区を勝ち抜いていたのは、記憶に新しいかと思います。今は立憲民主党に籍を置いている中村喜四郎氏も、長らく無所属で勝ち抜いてきました。
政党の看板無しでも勝てる自信のある候補がいれば、予備選の理念なんぞに与することを良しとせず、政党を抜けてでも強硬出馬すれば、野党間予備選論の取り決めも水の泡となるでしょう。
もっとも、それだけ強い候補なら予備選も難なく勝ち抜けそうですが、実力がなくとも、「支持者の期待に背くわけにはいかない」等ともっともらしいことを言って、予備選の結果で立候補断念を良しとしない政治家ならば、党を離れて強硬出馬することもあり得るわけです。
いずれにせよ、無所属で出る候補にまで予備選の取り決めを守ることを強制できないわけで、そこが野党間予備選論の大きな欠陥のように思います。
とは言え、読めば楽しい橋下徹新刊
色々批判めいたことを書きましたが、さはさりとて橋下徹氏の本は、色々と考えさせられたり、新たな気づきを得られたりと、常に新鮮な驚きに満ちています。
みなさまも、どうか一度手に取ってお読みいただければと思います。
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