アビガン サザンな気分&壇蜜さん

情報収集の偏りなんでしょうね。
自分にとって、気持ちのよいテレビ番組ばかりをいつの間にか見てしまうのですが、NHKのはずれに位置する(タモリさんのいうところの境目がおもしろい)教育テレビやBSには、希望をもらえる番組が結構あって、制作する人たちの感性と情熱と、NHKトップのお下劣体制への内部からの反骨が見えてきます。



①100分de名著 ミヒャエル・エンデ“モモ”時間を奪う“灰色の男たち”
https://www.nhk.or.jp/meicho/

 この時代に時間泥棒かい!やってくれるぜ!

 30年前、”モモ”を題材にした北村想さんの”11年の少年”を公演したこともあって、”モモ”には特別な思いがあります。2016年に柄本明さんの演出で東京乾電池でも公演されていましたね。(見逃した、非常に残念)
 ちなみに30年前の舞台に出ていた仲間が、半沢に出演し、時間泥棒を演じた一人は、あるテレビ局の編成局長をしています。(笑)
 主人公が座る椅子を作製した道具担当は、いまだにマンションの一室で椅子を大切に保管しているし、照明を担当していたのは蜷川舞台の照明をやっていた。当時はみんな、単なる学生で名前もなければ、ただやみくもにいい芝居を熱く一生懸命に作ろうとしていただけ、そういう気持ちの集積がある作品には、不思議と感動が生まれるものです。あの時間を共有した仲間はほんとに財産です。盗まれることのない、とてもいい時間を過ごさせていただきました。


② 世界の哲学者に人生相談
https://www.nhk.jp/p/tetsugaku-soudan/ts/K6KQ5G3VN5/

 先々週は、「デマやフェイクニュース・情報~マクルーハン」。完全にこの時代の当てつけのように思いました。(笑)

 先週は、「新型コロナ・心の不安“虚無感”〜カミュ」。
番組の中でコロナには薬がないと高田純次さんはいうけれど、そこは違う!

アビガンがあります!

さて、コロナ騒ぎの事実を伏せているところはNHKだね、って思っていると
ゲストの壇蜜さんのコメントがとても興味深い。

 番組では、意味をなくし抽象化された人々にとって、「抗うことが人間の証し、すべての人間の価値を築きあげる」とのカミュの主張に対し、


”反抗というのはあるときは大事なのかなって!同調圧力を求められたとき、私はこう考えるけれどあなたの考えは傷つけない、でも、あなたの考えを私は肯定するけれど、あなたは私のことを傷つけるよね!ってことをちゃんと言える人だと思います”


 全体主義への猛烈な批判です。
 そして論理学。論理的矛盾でもって抗っています。キリスト系の大学でがっつり学んだであろう壇蜜さんだからこそ、言葉に響きがあるように感じました。ほんとに壇蜜さんが自分の言葉で語っているとしたら、相当な人です。
 不条理をもたらすのは”神”、その神に抗うのが人間の証し、神に対し、論理学で抗うってのが、数学の根底にある。西洋の発想の源、日本人の私にとっては堅苦しくてしょうがない、正直、面倒だなって思ってしまうところです。(単に頭が悪いだけかな・・・。)
 自由ばかりを主張し、同調圧力をかけまくる迷惑なおっさんである自分に対し猛省をうながすコメントでした。(壇蜜さんに悟られたい。)

 コロナが、神が与えし不条理のように演出している輩がいると私は強く思っていますが、そんなことより、現状のコロナ騒動を現実としてとしっかりと向き合い、自分を見失わないようにというのが番組の主旨=やさしさです。

 いろんなことに興味をもたらしてくれるという意味で、「世界の哲学者に人生相談」は面白いですね。(ゲストであったキムラ緑子さんも良かった。)


ほかにもチェックしているNHKの番組は、「京都人の密(ひそ)かな愉(たの)しみ」(源孝志さんのNHK内追っかけです。)「雲霧仁左衛門」(松竹グループのやる気・本気度に注目⇒半沢直樹もそうですぞ!) 等々、


そんな中、8/16に放送された
「サザン特別ライブ2020「Keep Smilin’~素晴らしい明日を夢見て~」

が、よかった。
300人のスタッフとともに、一丸となってステージを作り上げている姿が描かれていました。
けっして、時間泥棒に奪われることない、ライブを作った人も、ライブを見た人も、ライブを振り返ってみる人も、みんなにとって、かけがえのない時間であるのがよくわかります。ライブの余韻を、伝えてくれてありがとう!


コロナを仕掛ける連中がいたとしても、
人々の平和な暮らしは揺るがない! ぞ!

マスクを強要される不条理な世の中を演出されても
次の時代との境目で、しっかりと現実を見つめ、
思いを持って、あるべき行動をとっている人たちがこんなにもいる。


明日への希望!サザンな気分!ありがとうさんです。


コロナを過剰に恐れることはあまりないと思いますが、
コロナを仕掛ける連中の悪意には恐れるべきです。
人を顧みない自分だけの輩がこの世にはゴロゴロいます。
でも、そんな中であっても、
人々ができることをしっかりとやることで、
道は、明るい方向へ開けてゆく。
いざとなれば、とんでもない状況となったとしても
この時代までに持ち合わせた常識感やこだわりをはがすことで、
あらたに、生きるための覚悟が芽生えるでしょう。
捨てる勇気、覚悟を見極め、新たな生き方を選んでゆく。
自分を抽象させられることもいいプロセスかもしれませんね。
時代の節目で、
あらたな自分との出会いを楽しみましょう。



壇蜜としてできることは、
”みちょぱ、脱ぐか!”

・・・・・。

はい!私は、脱ぎます!

教養ってのはそうじゃなくては・・・ね!!!。

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