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第二章 三匹のコブタとオオカミ

世間では、言語訓練学校ではどういうことを学んでいる環境なのか、なかなか知る機会が少ないだろう。実際、経験した人にしかわからない特別な空間・時間かもしれない。「訓練」と聞くと学校が何やらいろんな授業をぎっしりと詰め込んだ「育成」学校みたいなイメージを持たれるかもしれない。

でも、実際、そんなことはなくて(本人はそう思ってるけど、親は違ったかもしれない)、学校というよりも、自由に何をしてもいい、何か自分を主張できる場所のような感覚だったのを覚えてる。学校内で一番嫌いな時間はなかったが、学校を終えた時、学校以外の時間で1番嫌いな時間があった。

学校では特に声の出し方を1人1人じっくり時間をかけて教える時間ではなかった。どちらかと言えば、学校生活以外の時間をどのように過ごしてきたのか、クラスのみんなに話す時間が多かった。
では、声の出し方をどうやって私は出すようになったんだろうか。と思うと、家に帰宅した時に必ず、毎日母と向き合い、言葉のカード一文字を見せる。私は声を出す。母はその発音を聞く。発音の違いは全て、口の動き方と声を出した時の振動を同時に覚えるために、私の手を母の耳下と喉の間に、当ててくる。発音が1つでも正しい発音を繰り返すまで、1時間、2時間と繰り返した。
それでも、分からない言葉がある。「し」と「ち」は似ている。口の動きも振動も似ている。そして、「ば」と「ぱ」。声の振動を伸ばすか、切るのか違いをゆっくり見せてくる母。「た」行、「さ」行、「ら行」は舌の使い方で発音が大きく変わる。母は舌の動き方を絵にしたカードを作って見せた。そのカードを見せて、母は舌の動きを私に見せる。365日、ずっと繰り返した。

3歳の私にとって、話しているように話せていないことが理解していなかった。だからこそ、何がダメなのかが分からないことの方が大きかった。母は私に伝えようとしていても、私はわからない。私は似せるように動かすけど、わからないものはわからない。自分が動かしていることが母と同じだと思っているのに「それは違う」と言われて、その「違う。」が私はわからない。そして、そのわからないことに自分が悔しくて泣く。わからない自分が嫌いになりそうで泣く。わかりたいのにわからないことが許せなくて、今度は母に当たる。

それでも、母は諦めなかった。私がやりたくないと話していても、絶対諦めなかった。私が母を大嫌いと思えなかったのは、母は必ず何時でもいつでも、私から離れる時がなかったからだ。だから、私はいつしか、母が望むことに答えようといつの間にか変わっていった。

聞こえないから、話せないのではなく、話したいけど出し方がわからないだけ。「声」はどこから出るのか、お腹からなのか喉からなのか。自分の声が聞こえないから、自分の声がどういう声になって伝わるのか怖いから、声を出すことを恐れていることだってある。だから、声が出ないのではなくて、声をだす勇気をもつことだって、必要だと思う。
「声」を大にして叫びたい。きっと、それは人は皆、同じく思っているんじゃないかなと思う。聞こえるか聞こえないか、関係なく。
健聴者ほど発音が良くないことは十二分知っている。それを認めることもずいぶん時間がかかった。
私は滑舌が良くないけど、それでも話したいことを伝えることが大事だという気持ちは失いたくないと思い、どんな声であれ、受け取ってくれたら嬉しいと思っている。そう思わず、自然にこういう人なんだ。と感じて受け止めてくれたら、もっと嬉しいなと思う。

クラスは私の年では3つクラスがあった記憶。そして、3年生が最高学年なので、3年×3つクラス、生徒数は1クラス4人。(私のクラスは4人だったので、もしかしたら、一部多いか少ない可能性もあります)

年間を通して言えば、春夏秋冬の行事イベントがある。例えば、七夕には浴衣を着て、短冊を書く、そして親と一緒に花火をする。新年明けには臼が用意されていて、一人ひとり餅つきをして、親御さんが裏できな粉、醤油、海苔を用意してお餅を作る準備をして、一緒にお餅を作る。

365日、ずっと家族と常に一緒だった。特に母は学校がある日は必ず、授業最後まで後ろで座って何やらメモをしたり、時には他のお母さん方と話していたり。私のこの3年間は母と一緒に常にいた時間でもあり、泣いたり笑ったり、どこに行くにも一緒だった。

そして、とある日、年に1回、クラスごとに劇をするイベントがあった。私のクラスは「三匹のコブタとオオカミ」

私の役は「オオカミ」

誰が役を振り分けて決めたのか知らないけど、2人は私より身長が低いので、コブタに決定したのは聞いた。もう1人の男の子は私より少し大きい。けど、一番上のコブタ役になった。なぜ、私がオオカミ?とずーっと今もわからないまま。特に、オオカミは台詞が多かった。
衣装も全て母たちの手作り。台本はそれぞれ役ごとに、暗記をして発音も声を出す練習を本番まで何時間も繰り返していった。
発音、声の出し方を繰り返す練習は嫌い。でも、誰かが見る舞台で発表することを知ると、自分の役目を知ることに意欲が出てくる。

発音、声の出し方を覚えようと思うことは、もっとかっこいい自分を見せたい、苦手な発音が話せることに自慢をちょっとしたい。他のクラスや知らない人が沢山いるなかで、私がオオカミ役をやったことに注目してくれたら嬉しい。色んなことを巡り巡って楽しいことを想像をかきたてると、練習に意味があることを教えてくれた。

聞こえない私でも、誰かが見てくれる、楽しみにしてくれる。ことを知るだけで、「私」という存在に意味があること知ることで、聞こえなくても、私は私で楽しいことがある。と思えるようになっていく。

練習を繰り返すことで、何かに繋がる意味があること。毎日泣いて、自分のできなさを知らされて何もしたくない時だってあるけど、できないことを1つでも、1mmでも、何かできた喜びは障がいを持つ人にしかわからない特別な感情や達成感がある。時にそれを過信して、間違った姿勢にならないようにする障がい者のマナーを心得ることも必要だと覚えていく。

一人の劇ではなく、クラスのみんなと一緒に動くイベント。1人1人が話す言葉、1人1人が動かす口の動きの癖、話しているリズム、動くタイミングを読み取る練習を幾度繰り返していく。それが、私の今の、人を良く見ているね。と言われる原点だったのかもしれない。

『楽しく覚えたい、楽しくやりたい、楽しく終わりたい。』

オオカミになった私は知らぬうちに、「言葉」と「チーム」の教育を受けていたんだろう。


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