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映画「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」

 この映画は2020年に制作された、田部井一真監督の作品で、上映時間は98分です。

 映画の主題はホセ・ムヒカの目を通して日本とは、また日本人とはなにかを問いかけ、そして日本や日本人の姿を見つめなおすというものですが、それと並行して監督を日本人とかぶらせることで、自身の自分探しも語られています。

 スペインの思想家ホセ・オルテガ・イ・ガセットは、ひとりひとりの人間の生きざまをより普遍的なものへ高める「生の理性(razón vital)」について考えを深めていました。そして、オルテガの弟子であるフリアン・マリアーレスは師匠の思想をさらに進めて「あったこと」や「なされたこと」だけが現実ではなく、なされるべくして「なされなかったこと」や「ありえたであろうこと」もまた、生きることのひとつだと考えました。さらに人生とは望まれ、計画されつつも、成し遂げられずに挫折し、方向転換を余儀なくされる、惰性と偶然の連続にほんろうされながら、それでもなんらかの決断を迫られるものと考えたのです。
 このマレーアスの人生観と、のちに説明するオルテガ・イ・ガセットが定義した危機の意味を踏まえつつムヒカの言葉を考えれば、映画の主題がよりはっきり姿を現すだろうと思います。

 まず、冒頭にムヒカが語った「そして人生とは(Y la vida)」から始まる言葉が映し出され、続いて監督が生まれたばかりの自分の子供へ語りかけるようすが流れます。これはかなり唐突で、いささかめんくらうかもしれませんが、ちゃんと映画の終わりには結びつくので、ご安心ください。
 場面は変わって、次は有名なムヒカの演説を紹介します。ムヒカが演説したのは、地球環境の危機について話し合われた国連の会議です。先にふれたスペインの思想家であるホセ・オルテガ・イ・ガセットは「無脊椎のスペイン(España  invertebrada)」という著書で「危機とはことなるふたつの信念のあいだで、そのいずれの信念にも人々が向かえない状態のこと」と定義しました。
 地球環境をめぐる危機は、環境保護と経済との間で、まさにオルテガが定義した状態となっています。その危機に対して、ムヒカは映画の冒頭でしめされたような美しい言葉を語り、世界の人々に強い印象を与えました。なぜなら、ムヒカは地球環境と経済の衝突を踏まえたうえで、生きることの意味を問うたのでした。
 その後、本編はアポなし取材と銘打って、貧困層向け住宅の建設現場を視察するムヒカに、監督がインタビューするまでを描きます。ただ、アポなし取材といっても視察先に待ち構えていた地元メディアに混じってのインタビューですから、最初は答えるムヒカもなれた感じです。ところが、ムヒカは日本人から取材を受けると思っていなかったようで、監督の顔を見るとやや意外そうに受け答えしながら、日本についてもあれこれ話してくれます。
 監督からすれば、遠く離れた地球の反対側に位置する小さな国の大統領が、日本や日本人について知っているのがとても意外で、それをきっかけに自身のムヒカに対する興味がますます強くなっていったと、本編ではそのように語られます。そして、ムヒカの自宅をおとずれてインタビューを繰り返す監督と、それにこころよく答えるムヒカの姿が描かれます
 監督がムヒカへ最も愛読した本はなにかとたずねると、すこしむずかしい表情を浮かべます。作品の後半でもあらわれますが、ムヒカはなにかとなにかを比較したり、競わせるような問いかけに対して、あまりよい印象を持っていないようです。ただ、それでも監督に対しては「ドン・キホーテ」が好きだと答えます。本編では「ドン・キホーテ」を夢想家の主人と現実主義者の従者が織りなす物語と、ごくあっさり説明しています。ただし、スペイン語圏における「ドン・キホーテ」は教養人にとって必ず読むべき本のひとつで、また主人公も夢想家というよりははっきりと狂気であり、脇役たちも現実主義というにはあまりにもどろどろした生臭い欲望や、ぞっとするような悪意をみせる、大変に深みのある物語です。
 なので、スペイン語圏の人々が「ドン・キホーテ」を語るときは、非常にさまざまかつ複雑な受け止め方が求められたりもしますが、文化的な共通点がほとんどない日本人にはあまりにも理解しがたいものです。そのため、作品では日本人の通俗的な解釈のまま、さらりと流します。
 さて、ムヒカの自宅には政治活動のなかで贈られたさまざまな記念品などが飾られていますが、そのひとつにキューバ革命の英雄として世界的な人気を誇るチェ・ゲバラの肖像があり、またムヒカはゲバラの日記を複製した本を宝物と表現していました。ムヒカは生前のゲバラにいくたびか会っていて、言葉も交わしているそうです。
 監督が「印象に残っているゲバラの言葉は?」と問いかけたとき、ムヒカは彼の言葉として「最初の銃弾が放たれると、どれが最後になるかわからない」と答えます。これは、ひとたび武力闘争を始めたら最後、それを終わらせるのは大変に難しく、そもそも終わらせられるかどうかすらわからないことをしめしていますが、監督はさして反応せずに次の話題へ移ります。
 このように、異なる文化がすれちがうなかで、さまざまな「ありえたであろうこと」をおきざりにしつつも、監督とムヒカの対話は進んでいきます。それは、ムヒカの政治活動や近所に住んでいる日系移民との思い出を交えながら、打ち解けたような雰囲気の中でも慎重な言葉のやり取りです。お互いに敬意を払いつつ、その中には生きることについての問いかけと、人生を飾る印象的な言葉が混じります。
 やがてムヒカの来日が決まり、日本での人々との交流や、日本文化、日本社会に対するムヒカの反応が描かれます。その中で、ムヒカは日本人の礼儀正しさや日本社会の規律に対して、大変に強い印象を受けている様子も描かれます。ただ、ウルグアイのテレビ番組に電話出演した来日中のムヒカは、インタビューアーの「仕事に対してわれわれ(ウルグアイ国民)が怠惰だと思いますかね?」という問いに、価値観が違うだけだと答え、ここでもなにかとなにかを比較することをやんわり避けています。
 映画の最後は、東京外国語大学で学生に公演するムヒカの姿です。ムヒカは語ります。彼自身も政治家としてあれこれ望み、計画したけど、成し遂げたことは少ない、挫折したことも多い。しかし、それでも立ち上がって歩き続ける。

 そして、仲間の、血の繋がりはなくても家族のような存在について、彼らとともになにかを信じ、行うこと、その大切さについて語ります。その語りは優しく、とても美しい響きを持っていました。

 この映画にはもうひとつの、隠された主題があるのではないかと思います。それは「自分の足で歩む人と、その言動に刺激される人」で、だからこそ結末で世を歩む名を授けられた子供が登場するのではないかと思うのです。

 ホセ・ムヒカ(José Alberto Mujica Cordano)プロフィール
 1935年ウルグアイ生まれ。幼い頃より、パン屋、花屋などで働き、10代から政治活動を始める。60年代は当時の独裁政権に反抗する非合法政治組織「トゥパマロス」に参加。ゲリラ活動による4度の投獄を経て解放。その後、1994年に下院議員に初当選。1999年に上院議員に当選。2004年に上院議員に再当選。2005年~2008年に農牧・水産大臣に就任。2010年3月~2015年2月末まで第40代ウルグアイ東方共和国前大統領を務めた。給料の大半を貧しい人のために寄付し、公邸での居住を拒否。歯に衣着せぬ物言いが話題に。2012年、「国連持続可能な開発会議」でのスピーチで世界の注目を浴びる。現、上院議員。趣味は花の栽培。
(映画公式サイトより)

 あらすじ
 2012年、ブラジル・リオデジャネイロで開かれた国連会議にて、現代の消費社会を痛烈に批判し、人類にとっての幸せとは何かを問うたウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ。その感動的なスピーチ動画が瞬く間に世界中で話題になったことで、田部井監督は当時ディレクターを務めていたテレビ番組で彼を取り上げることになる。ウルグアイへ渡った監督はそこで一度も日本に訪れたことのないムヒカが、日本の歴史や文化にとても詳しく、尊敬していることに驚かされる。なぜ、ムヒカは日本のことをよく知っているのか? その後もその疑問の答えを突き止める為に監督は何度もウルグアイへと渡り、大統領退任後のムヒカへの取材を重ねる。ムヒカの言葉に心を動かされた監督は多くの日本人にムヒカの言葉を聞いてほしいと願うようになり、ムヒカ自身も訪日を熱望。絵本の出版社の協力を得て、彼の来日が実現する……。
(映画公式サイトより)


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