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El expedición de hijo del torturador 辺境の聖女と拷問人の息子 第3章「旅の支度」

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El expedición de hijo del torturador 辺境の聖女と拷問人の息子 第2章「車輪の上」を読む

遠征の準備に頭を痛めるメルセデスが、エル・イーホにメルガールの人となりをざっくり語る

 事務所に行くと、メルセデスは机上に広げた書類や地図とにらめっこしていた。エル・イーホの顔をみるなり、メルガールの様子をたずねてくる。とっさに「相変わらずで」と言いかけ、先日のパブロス騒動が初対面だったことを思い出す。とりあえず撮影までは終えていること、すっぽんぽんでもえらそうだったことなどをおおまかに説明すると、自席についてメルガールの身内っぽさはなんなんだろうと考え始めた。
 確かにメルガールは先代のエル・ディアブロが非神子の素体を用意したほどの関係だったし、メルセデスやヘルトルーデスとも少なからぬ因縁があるようだ。そして当人の物おじしないというかずうずうしいところが、メルガールに都合よい雰囲気を醸しているのではなかろうかと、そんな分析を始めたところでメルセデスから声がかかった。
「若、旅程についてご相談が」
 旅程とは大げさなと思いつつメルセデスの机に歩み寄ると、鋸歯魚の庭に至る経路と日程や数字を記したメモを前にしながら頭を抱えていた。
「移動は異端審問の丸抱えにするつもりだけど、道中の食事がよめなくてね」
「食事?」
「そう、食事。だって今回は審問院からの配給がないでしょ? まさか宿屋や居酒屋で食べるわけにもいかないし、各地の審問院で食べるのは日程も厳しいうえ、さすがに機密保持の問題も出てきちゃう。かといって道中の食料を用意したら大荷物よ」
 拷問人がうかつに一般人と接触したらひと悶着じゃ済まないため、当然ながらグァグァ(乗り合いバス)などは使えない。また、汽車に乗るときもコンパルティメント(仕切り部屋)へ直行しなければならないが、これまでは審問院が用意した特別車やセダン、馬車などを使っていたし、食事も同様に審問所か寺院だったから、こちらで計画を立てることはなかった。
 もし食料を持参するとなったら、いったいどれだけの荷物になるのか、ちょっと想像もつかない。
「奇跡術で送ってもらえないのですか? 受け取るだけなら奇跡術師も不要ですし」
「基本、そのつもりなんだけど、請求しないと送ってもらえないでしょ? だから、見積もりを始めたんだけど……」
 めずらしく口ごもった後、メルセデスは調理済みの食品だと奇跡術じゃ送付できないので、必然的に食材を受け取ることを前置きする。そのうえで、だから調理可能な場所と時間に必要な食材を請求しなければならないのだけど、場所も時間も献立も、そもそも必要量すら見込みが立たないとこぼした。
「ほら、私って料理しないからさ」
「だよね。それに、コンロと燃料はどうするの?」
 メルセデスはあちゃぁ(¡Ay!)と再び頭を抱えながら「やっぱ審問院へ丸ごとお願いするしかないかぁ」とうなった。
「それはまずいですか? 借りは作りたくない?」
 相手の考えを少し先回りして、ちょっとは考えていることを示そうとしたエル・イーホに、メルセデスはあきれたような冷たい目線を浴びせながら、それでも少し冗談めかして「ちがうのよぉ」と言う。
 キョトンとするエル・イーホに「まずいのは確かだし、借りを作りたくないのもなくはないのだけど、そもそもこの件は審問院の正式な指示に基づいていないでしょ?」と、ていねいだが少し早口で教える。
「あぁ……じゃ、依頼や請求をするにしても、担当部署がわからない」
「それどころか、まかり間違ったら標的になっちゃうでしょ。コルトのように」
 ようやく理解したエル・イーホに、メルセデスは「かといってメルガールに任せたらろくなことにならない。ほんとに、なんどもたいへんな目にあってるのよ。私たちも、あなたのご両親もね」と、心底うんざりした調子で愚痴ともあきらめともつかない言葉とこぼす。
 先ほどメルガールに『大佐』の印象を説明しようとして、結局なにひとつ伝わらなかった。それどころか、むしろ誤解を与えたかもしれなかったことを思い出し、エル・イーホは顔をしかめる。
「ねぇメルセデス、そんな調子でよく務まってきたね。メルガールはさ」
 おそらくは誰もが当然のように抱くであろう疑問を口に出したエル・イーホに、メルセデスは「そう思うでしょうね」と、意味のない言葉を返す。
 やや間をおいて、メルセデスはエル・イーホに顔を向けながら、言葉を選ぶように「理由はふたつある」と説明し始めた。
「まず、ひとつは卓越した彼の奇跡術がある。特に転送術は帝国きっての腕前だから、それだけでも兄弟団の中ではたいへんな人物ですよ。なにせ、マルメロ程度なら願訴人(ケレランテ)なしでも転送できるし、精度もすばらしい。百発百中というか、視界内ならまず外したことがないほど。加えて転送距離も目を見張るものがあるらしいしね」
 エル・イーホは驚きに目を見張る。それにしても願訴人不在で転送するなど、それがマルメロ程度であっても、文字通りの奇跡ではないか。
「でも、むしろそれほどの能力があるなら、奇跡術をよりいっそう極めるのでは?」
 メルセデスは『いい質問だ』と言わんばかりに人差し指を立てながら、さらに説明を続ける。
「そう、彼には学院での研究がふさわしかったと思うし、もしかしたらかつてはそうだったのかもしれない。学院には奇跡術しか取り柄のないクズもいっぱいいるし、そいつらに比べたらメルガールはましなほうだとさえ思う。でも、少なくとも私が最初に知ったときは、既に掃除屋だったから」
「掃除屋?」
「兄弟団の内部で都合の悪い人間を始末する。それが掃除屋。メルガールは掃除屋だったのよ」
「異端審問官じゃなくて? だいたい、兄弟団に逆らう連中なら異端審問にかければ済むじゃないですか?」
「もちろん、建前ではそういうことになっているし、可能ならそうしてた」
 実際、エル・イーホ自身がこれまで拷問してきた被疑者の多くは様々な理由で兄弟団と対立し、告発によって異端として審問にかけられた人々であった。
 告発……?
「つまり、告発されざる……異端……を、審問によらず……掃除していた」
「そういうこと」
 メルセデスは嬉しげにほほ笑むと細身の葉巻をくわえ、マッチで慎重に火を付けた。
 エル・イーホは紫煙の向こうにかすむメルセデスへ「でも、メルガールが前からあんな調子だったら、うまく掃除できないと思います。たとえ転送術の天才であったとしても」と、ふたたび当然の疑問を口にする。
「でしょうね。事実、うまくいってなかったらしい。でも、先代のエル・ディアブロと組むようになってから、状況は一変したらしい」
「メルセデスは父と組む前のこと……」
「知らない」
 メルセデスはエル・イーホの言葉を切って、そっけなく答えた。
 そして、メルセデスによればメルガールは情報だけではなく、日程や物品の管理もできないというか、そもそも管理という概念すら持ち合わせていないらしく、父母もそうとう手を焼いていたという。結局、特に秘密情報に関しては都度『誓約』を立てることとし、そのほかについてはメルセデスたちが一切を管理していたのだと。
「そういえば、司祭たちは誰もがそういうところありますよね。多かれ少なかれ」
「うん、そもそも物品や金銭については『奇跡術で複製も転送も自在』だから、管理しようって概念がないらしい。だから、寺院にも審問院にも帳簿の類は全くない。さすがに日課や暦は管理するけど、学院ですら記録より記憶なんだな」
 メルセデスの言葉に、エル・イーホも深くうなずいた。なにしろ、思い当たる節はたんまりある。むしろ、司祭たちは積極的に物事や日付、情報の管理を忌避するような、そんなそぶりすら見せることが多々あった。
「どうしてそんなことになったのでしょうね?」
「さぁ? ただ、司祭たちは『帳簿を人間に教えたのはユゴスよりのもの』だと信じているようでね。また、暦や時間に縛られるのは地球人(テリンゴ)の悪習だとも」
 兄弟団の司祭たちは時として話す言葉すら異なり、寺院の内側は文字通り『異世界』の感があった。いつか、ヒメネス枢機卿が『兄弟団は帝国の一部にあらず。それは帝国に重なる世界そのものである』と語っていたが、それは彼や兄弟団の傲慢さから生じたものではなく、単に現状を率直に述べただけにすぎないのは、エル・イーホにも容易に理解できた。だからこそ、兄弟団の手先として仕事をこなしつつも、エル・イーホにとってはどこか遠い、自分とは関わりのない人々のように思えていたし、また組織の中で誰がどのような役割を果たそうと、関心を持とうとしなかったところがある。
 ただ、自分とはあまりにも異質で、理解しがたい組織、人々であればこそ、裏仕事に向いているとは思い難いメルガールであっても、なにか役にたつところがあったのではないか? 少なくとも、エル・イーホには推測すらできない評価基準で有能とみなされていたのであろうことは、ほぼ間違いないように思えた。
「結局、兄弟団の中では有能で、かつ掃除屋にむいているとみなされた。そういうことですね」
「そういうこと。そして、実際にうまくやっていたと思う。エル・ディアブロとメルガールはね」
「パレハとして?」
 メルセデスは答えを口にせず、ただ静かにうなずいた。
「でも、僕は父と違いますし……」
「相手も兄弟団の司祭じゃない」
 メルセデスはエル・イーホの言葉をとって、そのまま続ける。
「枢機卿だって馬鹿じゃない。むしろ審問院の頂点に君臨するだけの能力はある。実際、治安という観点から思考しているの、たぶんほかにはいない。だから、そのくらいのことはわかっているし、わかっているからこそ若と組ませたがったり、私の情報をあてにしている。でも、それ以上ではない。そこが限界なんだろうさ」
「枢機卿の?」
「兄弟団の、かな」
 メルセデスが投げやりにかすかな溜息まじりのぼやきを口にした時、事務所の転送盤が葉巻の臭いを放った。
「これ上等なにおいだ。枢機卿からね」
 つと立ち上がって転送盤まで歩み寄ったメルセデスは、現れた封筒をもどかしそうにつまみあげた。エル・イーホにあて名を差し出し人を見せ、了解を得てから開封する。
「明後日の朝に停車する治安憲兵列車へ、機械化異端審問官(エル・インキシドール・メカニサド)の特別車を用意してるから、終点まではそれを使ってくれって。それから、メルガールに審問所の車を出すから、積み込む際に列車指揮官へ確認しろと。ただし、これらすべて枢機卿からじかに指示してるので、審問院の事務方へは問い合わせるなと。読み終わったら完全に処分されたし。ですって」
 おおまかな内容を読み上げたうえで、エル・イーホに書面を手渡した。
「道中の問題はこれで解決」
「帰りがわからない、片道切符ですけどね」
 ふたりは微妙な笑みを交わしながらも、頭痛の種がひとつ減った嬉しさをにじませる。ただ、メルガールに審問所の車を出すとの一文は気になるものの、これは当人に訊くしかないだろう。わざわざ『問い合わせるな』と釘も刺されている。
 旅程と経路を再確認すると、それぞれ準備に取り掛かった。

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