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平らな顔の冷凍ピラフ(猫っぽいあの娘版)

 深夜、とっくに終電も出ている時間だというのに、ジリジリとセミが鳴いていた。遠くからカラスの声も聞こえる。都会の夏、アスファルトはまだ熱を放っていて、蒸し暑さをさらに加速していた。俺はふたり分の荷物を担ぎ、前を歩くスキニーでショートカットのちょっと猫っぽい娘の後をとぼとぼと歩いている。なんだかじゃんけんに負けた小学生めいているが、娘の細い背中に浮かぶ汗ジミとブラの線を追う眼差しはあからさまに粘っこく、まさに中年エロオヤジのそれだった。
 ゲイのカートゥンアーティストとレズビアンのストーリーライターが対談する、おしゃれトークイベントの会場で、俺はその猫っぽいあの娘と出会った。最初にその娘を見つけた瞬間、俺は【東京少年】を思い出し、猫っぽいあの娘は【愛の新世界】を思い出していたのは、後になってわかったこと。ともあれ、サロンとも居酒屋とも付かない会場で飲み物を持ちながら席を探す娘を、俺が目ざとく見つけて、にこやかに『よかったら、相席いかがです?』と声をかけた時、あの娘も『あのオジサンのところしか空いてなさそう』と考えていたらしい。騒々しい店内で、言葉の代わりに娘は会釈を返し、微笑みながら片手をあげていた。
 俺の声に振り向いた娘は、最初は露骨に警戒の色を見せていたっけ。それは、見知らぬ他人に声をかけられた路上の猫そのものだった。ところが、俺が手元でひねくりまわしていたカメラに気がつくと、少し考えるような素振りをみせてから、こちらのテーブルへ飲み物を置き、静かに腰を掛ける。ぬるぬると身をくねらせ、しずかに歩みよる姿も猫だった。
「ありがとうございます、相席させていただきます」
 丁寧に挨拶する娘の声には澄んだ可愛らしさがあり、つい猫っぽい娘へ向ける眼差しまでやに下がってしまう。しかし、娘が「もしかして、それアイコンのカメラじゃないですか? あいかわらず名前は読めないんですけど……」と俺のソーシャルアカウントを口にした瞬間、浮ついた気持ちに手錠がかかった。
 たしかに俺はそのカメラをアイコンにしていたし、ぱっと見でわかるほど特徴的だったので、イベントにも目印というか、それこそアイコン代わりになればと思っていたが、まさか声をかけた娘の目にとまるとはね。
「え! もしかしてフォロワーさん? たしかにアイコンのカメラですよ。相互だったらいいんだけど……あれ、あれ? ちょっとアカウント教えていただけます?」
 ともあれ、俺は娘の言葉を肯定しながら、彼女のアカウントを確認する。
 うわっ!
 アルファとは言わないまでも、めっちゃフォロワー多い。そして、俺は相手をフォローして無い。これはちょっと気まずいかも……。
 だが、俺はそのアカウントに見覚えがあったし、それどころか相互フォローだった時期もある。たしか、受験を控えてソーシャルメディアをやめるとか、そんなことをつぶやいていたのが最後だったような、そんな記憶があった。そのころよりフォロワーがかなり、いやびっくりするほどふえている以外、アイコンもソーシャルネームも変わっていなかった。ただ、プロフィールが『裏も表もない普通の工口女。承認欲求こじらせだけど、槍目は即風呂』なんて、なにやらきな臭い文言に変わり、フォロワーもすさんだ雰囲気のアカウントが並んでいた。
 実際、眼の前の娘はあどけなさのなかに怪しさをやどした、桃の種をすこしつぶしたようなかたちの目と、切れ長の二重まぶたが印象的で、ホールのほのぐらいテーブルでも、ふっとうかびあがるほど強い目元だった。それは、ひごろから声をかけられたり、言い寄られているんじゃないかと思うほどに美しく、魅力的で、さっきの反応にもそういう経験が現れていたような、そんな気がしてくるくらい。だから、こうして同じテーブルを囲んでいるのは嬉しい誤算なんて生やさしいものじゃない、生涯のとは言わないまでも、数年分の幸運を使い果たしたような、そんな気持ちすら芽生えてくる。ただ、それは弁解の余地もなにもない、彼女のフォロワーたちのような、掛け値なしに下品な欲望の土壌に芽吹いた、隠花植物のごとき感情であった。
 とはいえ、喜んでばかりもいられないだろう。
 こまったことに、トークイベント自体は非常に楽しく、愉快で、時には猫っぽい娘のことも忘れて話に聞き入ってしまう。
 ゲイのカートゥンアーティストとレズビアンのストーリーライターがイベントで対談するのは、これが三回めか四回めだ。それまでの企画を踏まえているためか、今回の内容は少々マニアックだった。猫っぽい娘は途中からついていけなくなったらしく、みかねて時折トーク内容をフォローしていたものの、だんだん飲む方へシフトしていったように思えたのは、気のせいじゃなかったらしい。

 トークがひと段落して休憩に入ると、猫っぽい娘は「これ私が飲みますから」なんて、反応に困るセリフを吐きながらに俺へ目配せし、高く手を上げて生ジョッキとバーボンを注文する。
 やがて、ビールジョッキとショットグラスをならべた猫っぽい娘は、なぜか小さくガッツポーズすると、面白くてしかたなさそうに「こういうの、自分でやってみたかったんですよ」なんて言いながら生ビールをあおり、はんぶん近く空けてしまう。
「ずいぶん景気良く飲むね」
「これからが本番ですよ」
 俺は意味をつかみそこねたまま、あいまいなほほえみをかえしていると、猫っぽい娘はショットグラスをつまみあげ、そのままジョッキに落とした。
「ヨシ!」
 やがてビールの泡がおさまると、猫っぽい娘は軽く気合を入れ、ジョッキを目の高さまで持ち上げ、ぐいぐいあおる。
 その、どう考えても危険な液体をたっぷり流し込み、ぶふっふぅぅなんて、妙な節をつけたげっぷをまきちらすと、猫っぽい娘は楽しげにまなざしをおよがせる。ジョッキの水位ははっきりわかるほど減り、縦にのびた泡の筋が怪しげな模様を描いていた。
「いい感じ!」
 俺もよくわからないまま深くうなずき、祝福のサムアップで応じる。
「おじさん、よかったら飲みません?」
 え? そういうナニカなの?
 どう考えても悪酔いしそうなカクテル……なんてもんじゃない、ちゃんぽん飲みだ……に、どことなく儀式めいた作り方とあわせたら、あからさまに仲間内の結束を高める飲み物で、これはもう盃を受けるか受けないかって話かとも思うが、だが、しかしだ。
 俺はセックスが期待される局面では絶対にアルコールを取らないし、食事も最小限に抑える。なにしろ、そうしないと自分の性的能力を発揮できない年齢なので、その盃ならぬジョッキを受けるのは目の前にいる猫っぽい娘との結束を高め、ふたりですごす楽しい夜の招待状だったとしても、酒にやられて据え膳が食えないかもしれないジレンマでもあった。
 まぁいいさ、よく考えれば単純な話だ。断ったら可能性はなくなるが、飲めば可能性は残る。それだけのことだ。それに、飲み物そのものへの好奇心もあったし、ここで若い娘を相手に引き下がりたくないなんて、そんなカビ臭いマチズモを刺激されなかったかと言えば、やはりうそになってしまう。
 とはいえ、飲むにしても迷いすぎた。いまさらだがちょっと驚いたような表情を作り直し「えっ、いいの?」なんて、知性のかけらもないベタな言葉をはさむ。
「へへへ、ちょっと距離感おかしいですかね? でも、なんだか初対面って感じもしなくて。あ、いや、おじさんが気にしないなら、ですけど」
「いやいや、ありがたくいただきますよ」
 ジョッキへ手を伸ばす俺に、猫っぽい娘は「意外なほど飲みやすいんですよ。それ」なんて、みょうにはなやいだ声をかぶせる。そして、たしかにそれは飲みやすかった。
 猫っぽい娘は、おっかなびっくりすすったあと、もうひと口、こんどはぐいとあおった俺を真正面からみつめ、意味ありげに「するする入っちゃうでしょ? 危ないくらい」とほほえむ。俺はなにも考えず「これは酔いそうだね」と応じてしまったが、さてこれからどうしたものか?
 トークの第2部が始まると、俺は積極的に猫っぽい娘と話し込むようになり、娘は娘でおおいにメートルを上げた。トークの終盤に入った頃には、猫っぽい娘と俺は互いにしなだれかかり、見るからにエロい雰囲気になって嬉しい半面、周囲の目線が気になりだす。さすがに猫っぽい娘もちょっとやばいと思ったのか、へんに芝居がかった口調で「なんか、悪酔いしちゃったみたいだからぁ、ちょっと外の風にあたるねぇ」と言い残し、席を立った。
 トークイベントが終了し、ゲストと客との雑談タイムも終わって、客も急速に減り始める。いちおう、店は始発まで営業しているものの、このまま待ちぼうけはちょっとカンベンしてほしい。もしかすると、本当にまずい状況じゃないかと、だんだんやきもきし始めた頃になって、ようやく猫っぽい娘が戻ってきた。そして、猫っぽい娘のげっそりと青みががかった頬と、死にかかった目をかざる古井戸のようなくまを見た瞬間、だいたいのことは察しがついた。
「おじさん、電車がなくなったんだけど、朝までつきあってくれる?」
「この店で?」
「お店を変えてもいいけど、ホテルだったら嫌です」
「飲みたいの?」
「うぅぅぅん、飲みたくないです。できれば、ちょっと休みたい」
「まぁ、休みたくてもホテルは嫌だよなぁ」
「おじさんの家ほほうがまだいい」
「えぇっ! なんで?」
「私は家もプライベートも教えない。オジサンは家と個人情報を知られる。なら、リスクは同じじゃないかなって」
「ふふふ、なれてるの? こういうの」
「わかんないけど、はじめてじゃないです」
「わかった。じゃ、俺の部屋へ行こう」

 猫っぽい娘の分まで会計を済ませ、店を出て歩き始める。電車でひと駅だが、歩いてもせいぜい小半時間といったところか。もちろん俺は慣れた道だし、なんだかんだいっても期待で足取りは軽い。しかし、道中を半分過ぎた再開発地区ぐらいから、猫っぽい娘の足元はわかりやすくふらつきはじめ、かといってこんな時間に再開発地区を流すタクシーなどあるはずもない。この際だからアプリで呼ぶかとも思ったが、リアルにワンメーターかそこらの距離だし、なんとか歩こうと考え直す。そして、部屋のあるビルへたどり着いた頃には歩くのもやっとという有り様だった。
 ふたつある錠前を、それぞれ別の鍵で開け、ダイヤルキーを暗証番号で解除し、今度は重たい鉄扉を手前に引くのだが、すぐ後ろには猫っぽい娘が……。
 いない、と思ったら、階段の途中にへたり込んだままだ。部屋の扉が外開きなので、途中から俺だけ先に上がったのだが、そこから先はまったく進んでいない。仕方なく担いで持ち上げようとしたのだが、完全に酔いつぶれてるので、やりにくいことおびただしい。結局、俺が猫っぽい娘の両脇から腕を入れ、カンヌキをかけつつひっぱりあげたが、それでも最後は力任せに引きずっていた。
 ともあれ、あとは階段の途中で置き去りにした猫っぽい娘の靴や鞄を回収し、ともども部屋の中まで運び込めばひと安心だ。もろもろ終わって部屋の扉を閉めた時には、俺もかなりぐったりしていた。
 ついさっきまでは、猫っぽい娘もなんとか自力歩行できていたのだが、階段の途中から急にぐったりしたのだろうか。こうなってしまったらセックスどころじゃないので、とりあえずマットレスを広げ、猫っぽい娘を寝かせる。ネットで泥酔者のケアについて調べると、回復体位なるものを紹介していたので、着衣をゆるめて横向きにするなど、その通りに対処した。幸い、吐き戻すような気配は見当たらないが、念のため洗面器と新聞を用意する。
 寝部屋のいい場所を猫っぽい娘へ明け渡してしまったので、俺はひとまず台所で今夜の対策を練る。蒸し暑い夜だったので、まずは着替えてシャワーでも浴びようと思ったが、俺の着替えも荷物も、猫っぽい娘を寝かせた部屋にある。とはいえ、彼女がみてるわけでもなし、ぱっぱと脱いでシャワーを浴びる。
 手早く身体の汗や居酒屋でしみたタバコ、酒の臭いを流し去り、体を拭いたら、使えるタオルがなくなった。押し入れも寝部屋にあるので、少し湿り気が残るバスタオルを巻いてしのぐ。夜明け前だというのに蒸し暑いから、むしろちょうどよいくらいだ。小腹も空いたし、なにか軽く食べたいところだが、できるだけ手早く、それも静かに作れる料理が望ましい。となると、カップ麺か冷食ってことになるが、部屋にあるのは冷凍ピラフぐらいだった。
 トークイベントの居酒屋飯を回避したのに、結局は冷凍ピラフに行き着いてしまうなんて、ほとんど釈迦の手のひらで踊る孫悟空だが、それもまた人生塞翁が馬ということ。意を決して袋を開けて耐熱皿に広げ、真ん中をへこませると百均ラップでざっくり包む。量が多いので最初にある程度まで加熱し、ムラを防ぐためラップを開いて混ぜ、再びレンジに掛ける。レンチン音を回避するためタイマー寸止めし、扉を開けたら、皿の上にあったはずのピラフが消滅していた。
 なにが起こったのか、最初は全くわからなかった。悩んでいても仕方ないので、ミトンをしっかりはめ直し、レンジから皿を出す。見ると、ラップとピラフは圧縮されたかのごとく、皿の底へへばりついている。変な声が出そうになったものの、なんとか押さえて、そっと溶けかかったラップをはがす。眉毛を焦がすかと思うほど熱く、もうもうたる湯気の向こうには真実の口があった……。
 今度という今度はオードリー演じる王女めいた悲鳴を上げそうになったが、自分は腹の出た中年親父にすぎないことをかろうじて思い出し、もういちど踏みとどまる。無言でスマホを取り出し、皿の底で睨む真実の口を撮った。
 そのまま、アルバムから女友達あいつにソーシャル共有する。
 女友達あいつには申し訳ないが、いまはこのしょっぱい気分を共有シェアしてもらいたかった。まぁ、流石に寝てるだろうから、朝食後のお笑いネタにでもしてくれればいいやと、そんなつもりだった。こんな状態だが、食べても問題はないだろう。捨てるわけにもいかないし、とりあえず胃袋に納めるかと思いつつスプーンを取り出したら、テーブルのスマホがふふりふわりと光っていた。
 おや、女友達あいつからレスが来てる。
『あちゃぁーやっちまったな』
 起きてたんだ。そもそも女友達あいつは夜型なんだけど、にしてもこの時間に即レスはびっくりだ。
『うん、やっちまった。でさ、これ真実の口だよな』
 わざわざ予測変換に出ない真実の口を入力してまでふったネタだったが、やや遅れて受信したのは『???真実の口って?』と、戸惑い気味のメッセージ。
『ローマの遺跡にあるおっさんの顔だよ。前にローマの休日ってハッシュタグつけてたから、わかると思った』
『あぁ、映画はみたけど覚えてない。通話しない?』
 まぁ、イベントやら猫っぽい娘やら、話すネタには困らないし、しかもそれぞれ微妙にややこしいとなったら、通話するのも悪くない。猫っぽい娘は隣で寝てるけど、話し声くらいじゃ起きないだろうと思う……とは言え、ぺったんこのピラフが冷めてしまったら、それこそ始末に負えないだろうし……すこし迷ったあげく『通話できないんだよ。残念』と返した。
『あれ? お持ち帰り?』
『うん、隣で寝てる』
 とりあえずそれだけ送って、平らな冷凍ピラフを食べる。
 見た目はほとんど中華おこげだが、残念ながらとろみ餡などどこにもない。幸いにも、味そのものはさほど悪くない。ただ、食べてるという実感が極めて乏しいのは、全くいかんともしがたい。
『いいの? ほっといて』
 半分ぐらい食べたところで、女友達あいつからメッセが来る。
 まいったな。
 つい顔をしかめてしまう。
 通話にしとけばよかった。
 返事できない言い訳にせよなんにせよ、なにか返さなければならないのだが、眠気やら疲れやら食べごたえの全くないぺたんこのピラフやらが重なって、心底めんどくさい。いや、まぁ、無反応で放置したところで機嫌を損ねるような相手ではないし、せいぜいはじめたかなって思われるくらいだけど、だからこそなにか言葉を送りたくなる。
 そんな自分のめんどくささがあって、それを直視するのがまためんどうでもあった。
『やっぱ百均じゃ買っちゃいけない物のひとつだよね、ラップって』
 気がつけば、俺の指先は返事にもならない、なにひとつかみあわない言葉を選び、送信していた。
『あーそれ、ワタシもやった。真空パックなるやつ。使い道ないんで、セフレの娘とヤった時、フィルム代わりにあそこをラップしたけど、そっちでもダメだったわ』
 女のフォローは、長溜息とも苦笑とも付かない空気の動きへ紛れてしまう。
 膨らみそこねた真空パックご飯のような食感さえがまんすれば、失敗というほどではなかった。ただ、空腹は全く満たされない。むしろ食欲を刺激しただけだった。
 とはいえ、隣では猫っぽい娘がまだ寝ている。料理どころか湯を沸かすのさえ、いささかためらわれる。起きる気配がないことは、むしろ良いことなのかもしれないが、持て余した熱い気持ちのやり場は見つからない。
 ダメなものはダメで、そういうときはさっさと諦めて気持ちを切り替えるに限るが、それでもテンションはかつて無く低く、正直なところいささかしんどい。しかも、こういう時に限って、むだに下半身が元気だったりする。
『お持ち帰りした娘、酔っ払っちゃったの?』
『うん、すぐ寝ちゃった。かなり飲んでたから、こうなる予感してたんだけど』
 俺は低く静かにゆっくりと、どことなく投げやりさをのせた文字を返す。
『飲んでる娘に声をかけるなんて、めずらしいね』
『いやぁ、そういうわけでもないんだよ。長文になるけど、説明していい?』
『うん、おくって。まってる』
 猫っぽい娘が飲んだ奇妙なちゃんぽんの話を交えつつ、ざっくりと流れを送ると、女友達あいつから最初に返ってきたのは『ボイラー・メーカーじゃん』だった。
『ボイラー・メーカー?』
 なにも考えず、オウム返しを送信してしまう。こうして、なんの役にも立たないデータが回線をながれさる。
『お持ち帰りした娘が飲んでたちゃんぽんよ』
『そんなにすごいの?』
『酒カスが手っ取り早く酔うためのカクテルね』
『うわぁ~』
 またしても意味のない返信。女のあきれ顔が目に浮かぶ。それとも、ため息混じりに頭を振ってるだろうか?
 ただ、すこしおいて届いた女友達あいつのメッセージは、思いがけず不穏なものだった。
『その娘、正体なくすまで飲んで、それで即お持ち帰りでしょ? 気にし過ぎと思うんだけどさ、お土産あったらヤバイわぁ』
『あばばばばば。なんか、思い当たるフシある?』
『その娘がどうかはわかんないけど、毛じらみも流行ってるんだよ』
 多少のリスクは覚悟のつもりだったが、それでも気持ちはすっかり萎えてしまう。
『寒い時代だ』
『まぁ、やってないから良かったやん』
 女の慰めを受け取っても苦笑半分、やはり気持ちは渋いままだ。
『ほいほいついてきたしな。でも、確証はないんだよ』
『なにいってるのよ。知らない相手とするんだから、考えなくちゃ。定期的に検査もするのよ』
『もちろん、検査はしてるよ。すっかり年中行事だし』
『こんな話しても大丈夫っての、あなたほんとにいいところよ』
 女のメッセを受け止めてると、なぜか顔に笑みがうかぶ。弱々しいが、笑う気力もないよりははるかにマシだった。
 あまりにも手持ち無沙汰なので、猫っぽい娘の様子をうかがい、戻ってくる。大丈夫だけど、まだ寝てるようだ。むしろすっかり寝入っていて、少々なら音を立てても起きなさそうなので、インスタントコーヒーを飲む。輸入食材屋で配っていたサンプルだけど、こういう夜の気分にはぴったりだった。砂糖抜きのカフェオレにするが、焦げ臭いようなきな臭いような、怪しい異国の香りが立ち込め、俺の顔は再び渋くなった。
 とはいえ、渋い気分はひと口だけで消え去った。不意に起きだした猫っぽい娘が、裸にバスタオルの俺にたまげ、慌てて始発で帰ったからだ。
 美しい女を家まで連れ帰ったら、実は猫が化けていましたとか……真夏の夜にふさわしい物語じゃないか……そんななぐさめを独りごちて、俺は苦いコーヒーを捨てた。
 午後、買い物に出たた帰り道、なんとなく端末をチェックしたら、猫っぽい娘からメッセが届いていた。意外に思いつつ開封すると、丁寧な御礼の言葉に続き『介抱していただいた上、奢られっぱなしでは気がひけます。失礼でなければ精算させてください』とあった。
 奇貨おくべしか、あるいは奇禍の前触れか、しばし考える。
 頬を焼く西日の彼方で、蝉がうるさく鳴いていた。

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