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El expedición de hijo del torturador 辺境の聖女と拷問人の息子 第5章「ふたりの聖女とふたつの取引」

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El expedición de hijo del torturador 辺境の聖女と拷問人の息子 第4章「坂の上の聖女」を読む

コルトはメルガールに取引を持ちかける

 礼拝堂を出ると、コルトは柱廊の隅にメルガールたちを集めた。そして、微妙に力を抜いてはいるものの、決して気を緩めていない低い声で、おもむろに切り出した。
「取引がある(ウン トラァト エーチョ)」
 おおかたこんなことだろうと、メルガールはなかばしらけ気味に鼻をひくつかていせたし、おそらくはエル・イーホやメルセデスも予期していたようだった。だが、それだけにヘルトルーデスの心底から驚いた様子と、そしてみるみるうちに燃えるような赤毛と区別がつかなくなるほど顔を真赤にして怒りをあらわにしはじめたことには、いささか以上の当惑を感じてしまう。
 ところが、コルトはどうせ怒りを買うであろうと決め込んでいたらしく、まちかまえていたようにヘルトルーデスへ向き直り、なにか言いたげに微笑みかけようとした。その瞬間、メルセデスが「取引なんて回りくどいことはよしましょう。どうせ、わたしたちに選択の余地などないのですから」と、珍しくいらだちをにじませながら割って入る。
 コルトは芝居がかった仕草でぽんと手をたたき「なにをおっしゃいますか、セニョリータ。これは取引ですよ」と、商売人めいた笑みを満面にうかべた。
「話を聞くしかあるまいよ。セニョーラ・ヘルトルーデス」
 なだめるように声をかけながら、メルガールはヘルトルーデスの反応からコルトの思惑を引き出せないものかと、そんな事を考え始める。そして、メルガールの気持ちが離れている間に、コルトは『トラァト エーチョ』の内容を話し始めていた。
 気がついたときにはそこそこ話しを進めていたようだが、コルトから持ちかけられた取引の内容は、礼拝堂で聖女をみたときからなんとなく予感していた通りにすぎない。
 簡単にまとめしまえば、礼拝堂でめそめそしている聖女はコルトの役に立たないので、都合よく奇跡術を使ってくれるように『治療』するか、あるいはメルガールがしばらくの間だけでも身代わりを務めるか、いずれかと引き換えに自由で快適な生活あるいは安全な帰還を保証しようということだった。
 問題は、ただそれだけの事をいうのに、どれほどの言葉をついやしたか、である。
 おそらく、いやほぼ間違いなくコルトはメルガールを仲間に加えたがっていた。それも単なるコンパニエロではなく、コルトが言うところのカマラーダとして、メルガールが自らの意思で自発的にレボルシオン(革命)へ加わってほしいと、そう願っていた。いや、願いなどという生易しいものではなく、メルガールが本当に知的で自立した人間であるならば、参加すべきであると心の底から信じ切っている。
 しかし、コルトは自らの真意を最期まで口にしなかった。
 その場の全員がコルトの意図を見抜いていたにもかかわらず、である。
 とは言え、コルトが直接その言葉を、つまりレボルシオンと口にしたわけではない。なぜなら、すでにこの世界においてすら忌み言葉となっているそれを口にしてしまえば、もはや取引もなにもなくなってしまう。

 ¿sí o no?
 はいか? いいえか?

 もちろん、この状況におけるコルトの立場からすれば、否応なく命じることも十分に可能だ。ただ、仲間としてのコンパニエロではなく、わざわざ戦友あるいは志をともにする相手としてのカマラーダと口にしたのだから、ほとんど言ったに等しい。いや、メルガールがのらりくらりとかわし続け、ついにその言葉までは口にさせたと言うべきだろう。

 やれやれ、結局はレボルシオンか……。
 地球人(テリンゴ)はいつもこれだ。

 つまるところ帝国は腐敗しきっていると、無辜の人々を抑圧するばかりで誰も幸せにできないし、しようともしない社会は、その根本から刷新すべきであると、それが最善の道であるとコルトは遠回しに、あるいは上辺だけの率直さを装いながら、言葉を変え長々と語り続けたのだ。
 しかし、メルガールはコルトが取引を持ちかけた、その瞬間から真の主題はレボルシオンであろうなと、なかば予期していた。それは別に奇跡術を用いたわけでもなく、正確にレボルシオンを予感していたわけでもない。考えうる可能性の中で、最も高いもののひとつでしかなかった。だが、自らの意思でわざわざ帝国へやってくる地球人が考えることと言ったら、ほとんどの場合は黄衣王の封印かレボルシオンか、あるいはその両方か、まずそんなところだったのだ。
 黄衣王の封印は、当然ながらそれを考えることさえも死にまさる大罪である。とはいえ実現不可能な夢物語に過ぎないので、たいていは監視対象にとどめて放置するが、ときには地球人が言うところのセクレト(非公然)として利用することもある。
 対してレボルシオンは帝国への不服従を扇動するのみならず、暴力にも訴えており、治安に対する明確な脅威であった。そればかりか、レボルシオンの手段として黄衣王の封印を目論む連中までいるため、治安憲兵が異端審問以上に情け容赦なく抹殺していたし、異端審問院も熱心に取り締まっていた。
 そのため、両者の競合が発生することもしばしばで、ついには合同捜査本部の結成に至るのだが、それはまた別の話である。
 ただ、メルガールを苛立たせたのは、公然と口にはできない種類の取引をやぶから棒にもちかけるコルトの行きあたりばったり加減よりも、その粗雑さをもたらし、なおかつ正当化しているであろう地球人の感覚、はっきり言ってしまえば帝国の人間を小馬鹿にした態度であった。
 帝国を劣った存在と決めつけ、誰も望んでいないレボルシオンを押し付ける地球人の傲慢さは、連中が気軽に言う『帝国の暗闇に地球技術の灯火を』という決まり文句が、あまりにもあからさまにしめしていた。いちおう、黄印の兄弟団には地球人の幹部がいく人かおり、彼らの鼻持ちならなさ加減もたいがいではあったが、それでもコルトの尊大さはいささかばかり度を越していた。
 それは、イヤミたらしいばかりで話の流れとは関係が薄い言葉を重ねるところなどにも現れていた。そのなかでも、帝国は死を知らぬ人間たちの傀儡に過ぎないことをおわせつつ、その不死人からたとえようもない叡智を授けられながら、帝国はそれを活かすことができない、だからこそ地球人が善導するレボルシオンが必要であり、それは必然なのだと熱弁をふるい始めたときには、さすがのメルガールもうんざりした表情を抑えるのがやっとだった。
 とはいえ、非神子へ転生する前のメルガールには兄弟団の幹部地球人と接触する機会があり、その中で彼らが気を許すような受け答えを練り上げていた。それは辛抱強く相手の話を聞き、時には無知を装いつつ、決して否定的な反応を見せることなく、ひたすらに褒めるというものである。ただ、あまりにもそれが露骨だと、相手によってはしらけてしまうこともあるので、その点だけは注意が必要だった。
 しかし、今回はメルセデスやヘルトルーデスも話を聞いており、特にヘルトルーデスはコルトに対して敵対的だったため、メルガールがなだめ役に回るなど、ほとんど理想的な役割分担ができていた。さらに、途中からエル・イーホがあからさまに退屈し始め、ろくに話を聞かなくなったこともまた、メルガールにとってはありがたかった。コルトの話を切るのはもちろん、怒るヘルトルーデスをなだめるときにも、退屈そうなエル・イーホをチラと見るだけでも、場の空気を落ち着かせることができた。

 そんなこんなで、コルトが『トラァト・エーチョ』の内容を話し終えたときには、その場の全員がすっかり消耗していた。

 コルトが完全にだまり、ヘルトルーデスも口をはさまないことがわかると、メルガールは「取引と申されても、こちらに選択の余地などないも同然でしょう。しかし、セニョールのお考え、そしてなさりたいことは深く理解いたしました。ですから、私はしばらくこの地にとどまり、セニョール・コルトと行動をともにいたします」と、ゆっくり、まわりに目を配りながら言った。
 メルガールが話し終えるのを待ちかねたように、メルセデスとヘルトルーデスが口を開こうとする。だが、メルガールはふたりを制しつつ、ふたたび話し始めた。
「ただ、供の者たちは別です。解放し、少なくとも渡し場まで送り届けていただきたい。そして、辺境の聖女を詳しく検分させていただきたい」
「検分とは?」
 いぶかしむコルトに、メルガールは「治療が可能かどうか、判断したいのです」と、にこやかに答えた。
 コルトは仕方なさげに了承しかかったものの、メルガールが聖女とふたりきりで面談したい旨を告げると、手のひらを返して露骨に渋り始める。とはいえ、メルガールはこれからすぐに会うから、その間だけエル・イーホたちとこの場で待っていればよいと言い、メルセデスとヘルトルーデスもちょっとくらい会わせてやれと、密談するわけでもないだろうからなどと騒ぎだす。
 目を細めながら場が治まるのを辛抱強く待っていたコルトは、噛み潰した葉巻をペッと吐き捨てると、腰の袋から取り出したホーロー引きのカップを礼拝堂脇の手水盆に置き、わざとらしい鷹揚さをかもしながらこう言った。
「わかった、わかった。滴る水がカップを三度満たすまでの間、ここで待っていてやる。三千回(トレス・ミル)じゃないからな。ほら、いまからだ。さぁいけ!」
 こうして、半ば無理やりコルトを説き伏せると、メルガールはふたたび礼拝堂へ入っていった。

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