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拷問人の息子 El hijo del torturador 第4章「決断」

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拷問人の息子 El hijo del torturador 第3章「古傷」を読む

メルセデスとエル・イーホが状況を整理する

 移送書類を繰り返し読んではみたが、もはや有益な情報は得られそうにない。
 奇跡術の儀式はまだ始まったばかりだし、台所でヘルトルーデスの尻でもながめようかと立ち上がったところに、紙束を抱えたメルセデスが帰ってきた。
「おや、事務所にいらっしゃったんですね。探す手間が省けた」
「それはよかった。実は、そろそろ出ようとしていたところですからね」
「どうせ台所でルティータのお尻でもみるつもりだったんでしょ? あ、いや、胸の谷間かな? どっちもすごいからね。でも残念、いまはこっちに付き合ってもらいますよ」
 勝ち誇ったように書類を広げるメルセデスの胸元をみながら、エル・イーホは『いやいや、あなたも相当なものですよ』と腹の中でつぶやく。
 そんなエル・イーホのまなざしなど気にも留めず、メルセデスは椅子を机に寄せ、落ち着いて話をし始めた。
「今回は通常とまったく異なる経路から、それもへんな形で依頼を受けましたが、基本的には物品の所在を自白させることが目的ですね」
 黒地に色とりどりの大きな花や刺繍をあしらった袖なしウイピルの、やけに深い胸元をちょっと引き上げ、メルセデスはできの悪い生徒に補習する先生のような口ぶりで話を続ける。
「つまり、非常にわかりやすく、かつ明確な目的といえます。ただ……」
 口ごもるメルセデスの言葉を引き取り、エル・イーホは「パブロスが正気ならね」と加えた。
「もちろんそれもあるし、そもそもパブロスは全く知らないかもしれない」
「なんてこった(オンブレ)! そうだ、確かに」
 天井をあおぎみるエル・イーホに、メルセデスは「やつが自分の意思で隠したのなら、すっごく楽な仕事なんですけどね」とぼやきとも淡い期待ともつかぬ言葉をかけた。
 まず、拷問……まぁ、特別に強化された尋問には迷えるものに歌わせるものと、こちらが歌を教えるもののふたつがある(いちおう、そのほかにも相手の抵抗する意思を砕き、服従させるというもののあるが、それは派生にすぎない)。
 つまり、自らの意思で隠している秘密、つまりそいつが歌を知っているのなら、歌わせることもできる。それはこちらが自供させたい言葉、歌わせたい曲を歌わせるのも同じというか、それらは表裏の関係にあるのだ。なぜなら、いずれにしても最終的には相手の抵抗する意志を粉砕できるかどうかの我慢比べ、あるいは時間との競争でしかない。もちろん、拷問人との我慢比べに勝てる人間は、この世にひとりとして存在しないのだ。
 相手が人間であれば、誰でも変わらない。時間さえかければ、最終的には拷問人が必ず勝利する。
 しかし、そいつが歌を知らなかったら、つまり秘密を隠していなかったら、かなり厄介なこととなる。なにしろ、当人すらなにをしゃべったらよいのかわからない、それにもかかわらず『なにか』をしゃべらせなければならないという不条理劇めいた状況は、しばしば拷問人にとっての悪夢だ。
 それでも、なにをしゃべらせたいのかが定まっているなら、歌を忘れたカナリアに歌を教えてやるだけの簡単な話になる。さすがに正気を失っている場合は厄介だが、しゃべらせたい情報がわからない時のそれとは比較にならない。
 とはいえ狂気に陥った人間や、あるいはこちらが望む情報を忘却した人間への拷問は、おうおうにして必要以上に苛烈な虐待となり、無意味な人体の損壊によって奇跡術師に泣きを入れるという醜態をさらした拷問人もいる。さらに、それが失せ物や落し物となったら、拷問するより探したほうがはやい、あるいは拷問しても口を割らなかった迷えるものの隠匿物を、総出で探したら見つかったということさえあった。
「もし、パブロスが本当に知らなかったら?」
 エル・イーホの声に不安がにじむ。
「その場合は三種類ありますね。つまり思い出させるか探すか、そしてごまかすか」
 エル・イーホも軽くうなずきながら「うん、でも我々は猟師でも鉱脈師でもないし、メルガールをごまかせるとも思えない」と返す。
「そうです、探すには能力も人数も足りないし、てきとうにごまかせる相手でもない。これまでの関係からも、そういう小細工は禁物ですね。とはいえ、拷問による自白と言うか情報にこだわっていると、足元をすくわれます」
「つまり?」
「わざわざこっちへ移送せずとも、憲兵へ話せば穏便に済んだと思いません?」
 眼鏡越しにエル・イーホをみつめるメルセデスのまなざしは、いつものような女教師のそれではなく、むしろ反対に老いた先生のささいだが致命的な過ちをみつけた生徒めいた輝きがあふれている。
「あ、確かに! まいったなぁ……わからないことが多すぎる」
「ですよね、できれば審問院に探りを入れたいところです」
「できれば? 入れたい?」
 今度はエル・イーホがいたずら小僧めいた目線を送る番だった。なにかと目端の利く、ややもすれば先走って仕掛けるメルセデスが、おとなしくしているはずはないだろう。
「すいません。もう写真屋さんに情報屋へのメッセージを託してます」
「ありがとう、さすがだね」
「どういたしまして。とはいえ、彼の情報が適切な時期に届いたためしはないんですけどね」
 おどけるメルセデスに「いちおう、メルガールが俺を担いだり試してる可能性もなくはないけど、それにしては思わせぶりなことを言うのが気になるし」とかぶせたら、意味ありげな笑みとともに「いや、それならもっと露骨にやると思います。メルガールは他人を試すのが大好きなので、隠せないんですよ」と、メルセデスお得意の辛辣な人物評が飛び出した。
「ただ、書庫でちょっと気になる記録を見つけましてね」
 黄ばんだ報告書を広げるメルセデスに顔を寄せながら、エル・イーホは「おっ、記憶の再生! まさしく求めている事例じゃないですか?」と声をあげた。
「ですよね、私もこれを見つけた時、思わずこぶしをあげましたもの」
「じゃ、あまり役に立たないの?」
 意外そうなエル・イーホに、メルセデスは軽く握った手を耳まで上げながら「猫の手ほども使えそうにないですね」とふざける。
 そして、あきれ顔のエル・イーホがちゃんと聞いていることを確認するかのようにひと息つくと、メルセデスは「まず、その特別に強化された尋問の記録ですが、表題にある記憶再現は奇跡術のひとつで、術師はメルガール」と続ける。
「なんてこった! あぁ……確かに」
 またしても天井をあおぎみるエル・イーホに、メルセデスは「おおまかな内容ですが、帝国へ迷い込んだテリンゴが拷問中に記憶を失ってしまったため、その再生を試みたというものです。ただ、残念ながら奇跡術は失敗し、そのテリンゴは完全なる狂気に陥ったとされています」と、他の報告を取り分けながら事務的に告げた。
「これとは別に、まだ『贖罪と反省を促す審問』が行われていたころの記録も、いくつかお持ちしました」
「でも、それは禁じられてからだいぶ経つのでしょう? そもそも、今回は目的の情報が明確ですから、その点でも参考にはならないように思われますよ」
 エル・イーホは自分が生まれる前に『贖罪と反省を促す審問』なる拷問が行われていたことは知っていたし、それは相手の抵抗する意思を砕き、服従させることが目的だったこと、そして黄印の兄弟団において対立者の監禁や殺害(拷問死)に用いられすぎたため、ついには禁止に至ったという流れも、漠然とではあるが把握していた。
「重要なのは禁じられているか否かではなく、口実の有無ですよ。ですから、むしろ今回は環境が整っているとみるべきです」
「メルガールは明確に蜂蜜酒と笛の行方を求めている。にもかかわらずパブロスは答えない。それは答えられないとしても同じこと。いずれにせよ、審問の強度は増す」
「そういうことです」
 メルセデスはきっぱり即答する。
「しかし、それだとメルガールはパブロスばかりか、我々もだましていることになりますね」
「そうですよ」
 ふたたび即答するメルセデスに、エル・イーホは珍しく疑問をはさんだ。
「確かに、メルガールはためらいなく我々のはしごを外すような人物でしょうし、またパブロスを過剰に痛めつけたがっているようにも思えます。なにしろ、わざわざあなたの名前をだしたほどですからね」
 メルセデスの顔色が、怒りでみるみる赤らんでいく。
「とはいえ、メルガールが蜂蜜酒と笛の行方を知りたがっていることもまた、同じくらいには確かだろうと思うのです。少なくとも、知りたがっていないと考える根拠はない」
「若はメルガールがふたつの目的を同時に追及していると、そう考えているんですね」
 不意に刺激された怒りを抑えつけるように、ゆっくりと区切りながら言葉にしたメルセデスへ、エル・イーホは軽くうなずいて同意する。
「ここから先はメルガールの気持ち次第だから、俺とメルセデスでいくら考えてもわからないよ」
「なら、どうします?」
 このような問答を母となんども繰り返し、基本的な拷問の要素を学んでいったことを思い返しながら、背筋を伸ばしてエル・イーホは答えた。
「本人に聞くよ。直接ね」
 あきれ顔のメルセデスがなにか言いかけたとき、騒々しい足音とともにヘルトルーデスが入ってくる。昼食の準備ができたことを告げるヘルトルーデスに、わかったわかったと返しながら、エル・イーホはメルセデスも立ち上がるようにうながす。
「食事にしましょう。ね、メルセデス」
 立ち上がったエル・イーホの目線は、キョトンとしているヘルトルーデスの胸元へ吸い寄せられていた。

 ヘルトルーデスが用意してくれた素揚げバッタのチーズがけと肉詰めピーマン、ジャガイモの辛みスープをそそくさとかきこみ、メルセデスとふたりで事務室へ戻る。
「ドクトル、まだしばらくはかかりますよね」
 トウガラシをまぶした紅いタマリンド菓子を机の隅へ追いやりながら、メルセデスは過去の拷問記録を手に取った。
「眼球が無事だったとしても眼窩骨折と鼻や歯の再建は必要ですから、はやくても夕方、まぁ夜まではかかるとみておいたほうがよいでしょうね」
 エル・イーホも記録を手に取りながら答える。
「若、本当にメルガールを問いただすのですか?」
「うん、あれこれ考えたけど、当人の意向を再確認しなければ先に進められないよ。案件情報にしても依頼者の趣味嗜好にしても、手材料が少なすぎて判断できないわなぁ」
 記録から目をあげず、妙に年寄りめいた口調で流すエル・イーホに、メルセデスもうつむいたまま「もしかして、メルガールの反応待ち?」と返した。
「さすがに無策ではない。まず、無反応だったりはぐらかすようなら『贖罪と反省を促す審問』というか、その系統で進めるしかないよね。もちろん、そっちを指定した場合もそうなるけど、そういうときははっきり言わないもんだからさ」
「若がやるの?」
「拷問用ラックは長いこと手入れしてないから、水責めぐらいしかできないけど、もぅやるしかないわなぁ」
 そりゃそうだよねとうなずくメルセデスに、エル・イーホは「悪いけど、激しいのは任せた」と、茶化すように言った。
「そりゃ、やりますけど……でも本気でぶつの在りかを割らせたい、あるいは両方だったらどうします?」
「そのときはメルガールに記憶再生の奇跡術を頼むよ、まぁ『贖罪と反省を促す審問』は丸ごとなしだね」
「やると思います? その奇跡術」
「メルガールがどのくらい在りかを知りたがっているかによるけど、なんとなくやってくれそうな気がする」
 記録から目を離して顔をあげたエル・イーホにメルセデスも目線をあわせ、ふたりは無言でうなずきあった。そして「私もそう思います、根拠はありませんが」と言った後、メルセデスは「ただね、気になることがあります」と続けた。
「記憶を再生できたとしても、まともに会話できなかったら意味ないってこと?」
 相手の言葉を先取りしたエル・イーホは、ちょっといやらしい笑みを浮かべた。
「そういうことです、若」
「大丈夫、このやり方が使えると思うんだ」
 言いながらエル・イーホは記録を渡す。目を通すうちにメルセデスの表情はみるみる変わる。そして、記録をもどしながら「このほうがめんどくさくないですか? 若」と、なかばあきれたように笑った。
「大丈夫、どっちかと言えばメルガールの出方が心配」
「それはそうですね」
 ふたりのため息が机にあふれた。

 しかし、ふたりの懸念は全く不要だった。
 夕方前に儀式が終了したこともあり、出てきたばかりのメルガールにエル・イーホが問いかけたところ、拍子抜けするほどあっさりと蜂蜜酒に笛、特に笛の行方を探ってほしいと目的を明確にし、さらに記憶再生の奇跡術も執り行うことも同意したのだ。

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