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「モノ書き」と名乗ってみる。

書きたい。
何か書きたい。
でも、何か足りない。

これで三行終了。
一体誰が読みたくなるのか。

先日「三行で撃つ」という本を読みました。
今年一番の衝撃を喰らった本でした。

とにかくタイトルがいいですよね。
「三行で撃つ」というのがスナイパーのようで、戦士のようで、男心をくすぐられる。
文章を書く人なら誰しも「心に刺さる文章を書きたい」と思うでしょう。そんな心を見事に撃ち抜いてくれるタイトルです。
ちなみに三行というのは冒頭三行のことを指します。(どうです、この記事の冒頭に撃たれました?)

とうわけで僕はタイトルに惹かれて読み始めました。
感想の詳細は避けますが、今こうして文章を書いてる(書きたくなっている)ということが何よりの証拠です。
まさに、三行で撃つために突き動かされたわけです。

・・・だがしかし、書きたいことが思いつかない。
何か書きたい。でも何か足りない。


前回noteを書いたのは1年と4ヶ月ほど前。
体感では2〜3年書いてないような気がします。

昔の文章を読むと、恥ずかしい気持ちと、書き直したい気持ちでいっぱいです。語順がおかしい、文章の組み立てが甘い。そんなところばかり目につきます。

でも2~3記事に一文ぐらい「意外と良いこと書くじゃないか」と思えることもある。
自慢したいわけでもなく、ただ「当時の自分なりに頭を振り絞って書いたのだろう」と懐かしむような気持ちになるのです。
懐かしむほど遠い昔じゃないんですが。


私は今、家業に入り仕事をしています。
とあるジャンルの商品を作っており、私はその販促周りを全般的に担当しています。
撮影、編集、出品、SNS投稿、接客、製造手伝い、名入れ作業などなど・・・
広報というか、マーケティングというか、販売員というか。
小さな会社なのでなんでもやらざるを得ないし、それが性に合っていると思っています。

手広く仕事ができる反面、一体自分の専門は何なのかと思う気持ちもあります。
上に書いたように、まさに自分でも「広報」なのか「マーケ」なのか「販売員」なのかハッキリしていません。
直近の仕事の比重で言うと動画編集者やカメラマンという方がしっくりくることもあります。

こうなれば肩書きを自分で決めるしかない。
自分の気分が上がり、尚且つ専門性も感じられるものがいい。

そんな時に「三行で撃つ」に出会いました。
文章の奥深さ、力強さ、難しさを思い知りました。
世の中にはここまで文章にこだわりを持って書いている人がいるのかと。

立ちはだかる壁を痛感しながらも、どこかワクワクしたのも事実でした。
「自分も三行で撃ちたい」
その気持ちが間違いなく湧き上がりました。

というわけで「モノ書き」になろう。


僕がやっていることの多くは言葉を起点に始まります。

SNSは文章と画像を組み合わせるのが基本です。
その画像は「何を伝えたいか」を考えた上で作るもの。つまり言葉を具体化する画像を作ります。
「この部分が伝わる写真を撮りたい」と考えてから撮影します。言葉で整理していると言えます。

動画は台本から生まれます。
最近はPCのメモ帳に台本と撮影指示を書いてから撮影・編集しています。絵コンテは書いていません。

商品開発は悩みや思いを起点に始まります。
「こんな悩みを解決したい」「こんな気持ちを感じる商品を作りたい」そんなことから新たな商品が生まれます。
これも言葉から始まっていると言えるでしょう。

販売も言葉が大事です。
商品はどんな特徴があるのか、その特徴はあなたにどう役に立つのか。
あなたの悩みは何ですか、それならこっちの方がいいかもしれません。
言葉の伝え方一つでその商品が魅力的にもイマイチにも変わります。


こう考えると、僕の仕事は言葉から始まるものがほとんどでした。
(おそらくですが、多くの仕事が言葉から始まるのではないでしょうか。もはや「モノ書き」と名乗るためにこじつけている感もあります)

となると僕がモノ書きと名乗っても不思議ではない。間違っちゃいないよな。

モノ書きと名乗る(名乗らなくても自負する)ことで、自分の仕事への向き合い方も変わります。
SNSの投稿文1つとっても、「モノ書きならもう少し言葉にこだわろう」と粘るようになります。
この粘りが文章や画像になり、あなたの心を一瞬惹きつけるものになるかもしれません。
そう信じて、最近は取り組むようにしています。


人を成長させるのはプライドだと思います。
「俺はこれが武器だ」と思えることを見つけること。それがプライドだと思います。
そしてその武器を磨こうとすることで人は成長します。
(決して、見栄などのハリボテのプライドの意味ではなく)

同じ仕事をしていても、どこにプライドを持っているかによって変わるでしょう。
1つのSNSの投稿でも、雑用と捉えるか、カメラマンの腕の見せ所と捉えるか、一文目で突き刺す場と捉えるかで大きく変わってきます。
その積み重ねがそれぞれの武器の形や切れ味の差になっていきます。

だから自分の場合、モノ書きとしてこだわりを持って書いてみようと思います。
とは言え、そう思ったからと言って名文が書けるようになるわけではありません。むしろ気負う分だけ遠ざかることもあるでしょう。

ただの憧れです。憧れに近づくための地味で泥臭い道です。


せっかく自由な仕事をやらせてもらっているのです。
どうせなら思いっきり自由にやろうではないかと。
(結果が出ないとご飯が食べられなくなるわけですが)


というわけで、これからも気が向けば更新していこうと思います。
心の中の濁点を、1つ1つその正体を追っていきます。
今回は、「何か書きたい」という濁った気持ちに向き合ってみました。

三日坊主になる未来は見えています。
でも四日目にまた立ち上がれたら十分です。
(あくまで比喩。実際には週に1回を目標にしています)

ちなみに「三行で撃つ」の続編(姉妹編)の「百冊で耕す」も名本でした。
これはまた今度紹介したいと思います。

それではまた。

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