mlodinの徒然脱線紀行(自明ですか?:落ち穂拾い・その2)

だいぶあいだが空いてしまいました。
こちらの事情なのですが、使っているPCを切り換えるために、データ移行をして、環境整備をしてと、いろいろな作業に時間を取られていました。
メールソフトにThunderbirdを使っていて、それもデータごと移行したのですが、メールが受信できても送信できないというような問題が出て、それは解決できたのですが、まぁ、大変でした。
少し落ち着いてきたので、久し振りに記事を書くことにしました。

過去の記事を眺めていたら、最初はタイトルを「mlodinの徒然脱線記」としていたのが、4回目の「徒然草」に関係したことを書いた「記憶になかったこと」から、「mlodinの徒然脱線紀行」になっていました。
そのことを自覚していなかったので、なんていい加減なんだろうと、自分に呆れてしまいました。

いい加減と言えば、この一連の「自明ですか?」をきちんと総括していませんでしたね。
落ち穂拾い・その2」は、mlodinから見た一連の記事のまとめということにします。

そもそもの発端は、mlodinが池田直渡氏の経験主義マウントを読み、池田氏が書かれていたことにかなりの違和感を感じたので、コメントをいくつか書いたというところになるのでしょう。
池田氏は、その記事で「補助金が成果を上げていないが、それは、補助金を出した政府がいろいろ言ってくるからだが、それに気付いていない人がいて」というようなことを書かれていたのですが、文脈が良く理解できなかったので、「そもそも研究って成功確率低いですよね」というようなコメントをいくつかしたのでした。
具体的な根拠はほとんど上げないで、「口を出すのが悪い」という主張をされていることが理解できなかったからだとも言えます。
mlodinのコメントは、「公然の事実を書いてる」と確信されていた池田氏の神経を逆撫でしたのでしょうね。逆鱗に触れたということになるのかな。
池田氏は、mlodinのコメントを引用して「過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信」を投稿されました。
この記事でも、かなり上から目線の論調で、「補助金が成果を上げていないが、それは、補助金を出した政府がいろいろ言ってくるからだ」と主張されていて、それを理解できない「mlodin」がこんなことをコメントしているというような感じで書かれていたので、本当に、嫌~な感じがしました。
池田氏は、「正義の鉄槌」を落としたという感覚だったのでしょうが、この記事も、乱脈としか感じられない論旨展開で、「補助金が成果を上げていない」こと、そしてその原因が「政府が口を出しているからだ」という主張についての、具体的な根拠が示されているとは読めませんでした。
「自動車メーカーの幹部の方がこんな発言をしている」ということを書かれていたのが論拠のように読めはしましたが、根拠としては貧弱だと感じたというのが正直なところです。
mlodinはいくつかコメントを書いてみましたが、noteのコメントは字数制限があることと、池田氏の記事の読者の方からのご意見を勘案して、池田氏が主張されている、
「補助金を出す方の行動が邪魔なので、補助金の成果が出ない」ということは本当に「自明ですか?」と池田氏に問い直して見ようと考えて書き出したのが、この一連の記事です。
ここまで書いた内容が、序論の「自明ですか?:初めに」のまとめになります。

「補助金」にはいろいなものがあります。池田氏は、補助金の種類を明確にされていません。自動車業界に対して出される補助金がいろいろあるとして、どのようなものについて論考するのが適当だろうかということをはっきりさせておかないと「自明ですか?」とお訊ねする対象がはっきりしないことになります。
そこで、池田氏が書かれていた補助金はこのようなものでしょうねとmlodinが考えた内容をまとめたのが「自明ですか?:補助金ってどんなものですか」になります。
自動車産業の現状を考えると、補助金が目的とするのは、「自動車産業の国際競争力を維持・強化すること」になるだろうというところから考察を進めて見ました。その記事の中ではまとめは提示していなかったのですが、次の記事の冒頭に書いた、
1. 自動車産業の国際競争力を維持・強化するために「国が提供する資金」
2. 対象となるのは「研究資金」で、製品からは少し離れた基礎的な研究
3. 「研究成果」は、自動車業界全体が享受できることが望ましい
4. 「研究成果」は、特許のような知的財産になる可能性が高い
というようにまとめられると考えました。
「補助金」がこのような性格を持っているのであれば、補助金による研究の成果は「製品」からは見えないので、成果が見えないということになるのかも知れないと考えられます。
そうそう。「補助金ってどんなものですか」以降の論考は、mlodinが常識と考えていること、mlodinのこれまでの業務での実体験や知識などを基礎にしているので、自動車産業の実態とは異なっている部分があるかも知れません。そのような意味からすると、小説家の創作に近いのかも知れませんが、「実態と異なっていることも考えられる」ということは、一応、お断りを入れています。
それほど大きくは外れてはいないだろうとは思っていますが。

「補助金」の中身は、どのように決められるのかということを考えてみたのが「自明ですか?:補助金はどのようにして決まるのでしょう」です。
補助金は、どこからか降ってくるものではありません。
最初に国の予算にならなくてはいけません。「補助金」を予算化するためには、「この事業にはこのような必要性があり、それを実現するにはこれだけの金額が必要で、その金額の算出にはこのような根拠があります」という説得力のある裏付けが必要です。そして、そのような裏付けを構築して行くには、自動車産業からのヒアリングのようなことが必要であろうということも考えてみました。
予算化された「補助金」を受けるには、企業が、「補助金を受けるに相応しいと判断して貰えるような実施案を出して」応募する必要があるでしょう。実施案を作るのには、ある程度の作業が必要になることが想定されます。
補助金を受けた企業は、補助金を適切に使っていることが証明できるようにしておく必要があると考えられます。そのための作業負荷も出てくるので、「補助金」は、企業にとっては、使い勝手のいいお金ということにはならないだろうということを考察しました。
その中では書くのを失念してしまいましたが、「補助金」は、研究についての契約のようなものに対して出されるので、研究の途中で方向転換のようなことをするのも、かなり大変だろうと想定されます。
ここでは、おまけのように、研究開発の難しさについて、自動車産業での事例を挙げて、「専門家の集団が、成功すると確信して突き進んでも、たどりつけないことが多いのが、研究開発です」と書いていますが、このことはmlodinの信念でもあります。

自明ですか?:補助金に手を出す企業の事情」では、企業が、かなり使い勝手が悪い「補助金」を受けようと手を上げるのはなぜなのかということを考察をしました。
これは、非常に単純で、「補助金」がどんなに面倒なものであっても、その研究をしたいから」ということに尽きます。
企業のリソースは有限なので、研究資金が不足している場合、「補助金」に対するニーズが出てくるのは当然でしょう。
内部的には優先順位は高くないので、予算は割り振って貰えない。でも、どうしてもやってみたい。というような研究が「補助金」を目指すことになるわけです。
このように考えてみると、補助金を目指さざるを得ないのは、成功確率が低いような研究である可能性が高いとも言えるでしょう。
池田氏が主張されていたように、
横やりを入れたり、レポートで監視しなければならないほど、成功確率の低い案件」、「本当に専門家でもないど素人の役人がそこまで口出しして管理しなきゃ成功しないようなクソ案件」が、「補助金」を目指していると言えるかも知れません。
でも、企業がそのような案件に補助金を出して欲しいと手を上げているのですから、「池田氏が主張されていたような「政府・役人の責任」ということにはならないのではないでしょうか?」というのが、mlodinの「自明ですか?」という問いかけの根本にもなるわけです。

たまたま、「電力需給ひっ迫警報」の原因と対策を検証するという論説を読んでいたところ、
>今回の需給ひっ迫に関しては、「原子力が再稼働していれば」
>「電力自由化のせいだ」という論考が目立ちました。また太陽光
>発電や揚水発電についても、様々な主張が飛び交いました。こう
>した主張の多くがナラティブな言説でした。
という記述がありました。
ナラティブという言葉が記憶にはなかったので、WEBで検索してみました。その結果、この論説での使い方は、一般的ではないのかも知れないと思ったのですが、この方の説明を読んで、「そうか」と思ってしまいました。
この方は、
>ここでいう「ナラティブ」とは、状況を単純化するために都合の
>良い方法を見つける物語的な見方のことです。十分な根拠を示さ
>ないまま「〜のせいだ」と犯人探しをしたり、憶測で声高に「〜
>すべきだ」と主張するような、「事実を反映していないかもしれ
>ない単純なナラティブ(物語)」については検証が必要です。
と書かれていたからです。

mlodinは、池田氏が書かれていた
補助金を出す方の行動が邪魔なので、補助金の成果が出ない」というのは、上に書かれたようなナラティブなものではないかと感じて、いろいろとコメントを書いたのだと思いいたったのでした。
一連の「自明ですか?」を書きはじめたときには、そのようなことは全く意識していなかったのですが。
池田氏は、mlodinの問いかけに対して、ご自分の主張が、単純なナラティブなものではないということを、どのように説明して下さるのでしょうか。

落ち穂拾いは、あと二回ぐらいを考えています。