経験主義マウント

twitterにあった書き込み。

池田直渡さん「そもそもね、失敗するかもしれないところなんかに金を出すなってことですよ」
研究開発をやったことをない文系「当たり籤だけ買ってこい」失敗して当然なのに…

何とも苦笑い。これはYoutube「未来ネット」チャンネルの「EV推進の嘘 10」での発言。ここだけ抜き出すと文脈が見えないだろうが、筆者の当該の発言は、政府が補助金政策をきっかけに企業経営に口出しして、あれやこれやと注文を付けることについての批判。

その文脈が追えていないこの人は、政府に補助金入れられた結果、研究者が山の様な報告書に忙殺されつつ、しかも横やりで思うように開発できない状況を容認するということになることすら気付いていない。

つまり、横やりを入れたり、レポートで監視しなければならないほど、成功確率の低い案件だと思っているなら、政府はそもそもその案件に投資するなという話をしているのである。

一方で大前提として、税を突っ込んで私企業に政府が肩入れする話に、補助金をもらった側が「失敗して当然」はあり得ない。そういうチャレンジは自分の金でやればいいし、個人が自分で用意した金でやる限り、それは失敗も成功も自由なのが資本主義。

血税を使う場合はそうはいかないし、企業の通常形だって全ての支払いがキレイに回っているならば良いが、配当が滞ったり、株価が下がったりしたら説明を求められたり、株主代表訴訟を起こされたりするのが法律上の現実。株主の前で「失敗して当然で、それこそが研究開発の真実」であるなどと言おうものなら、経営者失格の烙印を押される。

さらに引いて見れば、政府がこういうことに金を使うのは「財政主義」政策、いわゆるケインジアン的政策ということになる。平たく言えば親方日の丸のバラマキで、大体ロクなことにならないと相場が決まっている。

まあ多分この人は理系なのだろうけれど、全くもって論理的でない。まあそれだけ理系が優秀で文系がダメなのであれば、是非定量的な証明をしてみて欲しい。人間の優秀性の定量的定義なんてできたら、社会が変わるほどの大事件だと思う。できないならこの人は論理的ではないということになる。フワッと雰囲気で言っただけ。論理的でない理系ってのもなかなか味わい深い感じだけれども。

さて、まあこの人の場合、極めて浅いところで「理系マウント」という愚かな話をしているのだけれど、実はもっと大きな問題が根深いところにあって、それは「研究開発をやったことをない」(多分、研究開発をやったことがない)と言いたいのだろうけれど、文系じゃないだろうから日本語が不自由なのは許す)というところに色濃くある。

これはいわゆる「経験主義マウント」で、これを言い出すと批判や批評は存在できなくなる。例えば筆者は評論という職業で食っているわけだけれど、評論に文句を付けたくば「プロになって評論という舞台に上がってきてからにしろ」と言ったらどうだろうか?

あるいはトヨタの社長が「売り上げ30兆円の会社を経営してみてから言ってみろ」と言ったら? あるいは総理大臣が「せめて大臣の経験くらいある人に意見してもらいたい」とかね。

つまり経験主義マウントは基本、属性で足切りして「黙れ」という乱暴な話でしかないし、それはコミュニケーションの拒絶にしかならない。もっと言えば儒教的権威主義の薄汚いにおいを感じる。「お前にはまだわからんだろうが、色々経験するとわかるようになる」。そういうことがこの世に無いとは言わないが、初手からそのようにしか説明できない当人の経験そのものが大したことがない疑いが強い。当然そんな経験主義に負けて黙る必要はない。なので、経験主義は基本バカのバロメーターである。

よく見かけるものでは「EVに乗ってみてから言え」とか「EVを保有してみてから言え」とかの類いも同類。自動車評論を職業にする人間が今日日一度もEVに乗ったことが無いはずはない。そんなことすら想像できていないという意味も含めて二重に間違えている。

ということで、今回は「理系マウント」というチョロいヤツと、もう少し深刻な「経験主義マウント」はどちらも無意味という話をした。なんと言うか、そもそもマウントを取ることを目的にする言論ははしたない。


お気持ちの投げ銭場所です。払っても良いなという人だけ、ご無理のない範囲でお使いください。