mlodinの徒然脱線紀行(自明ですか?:最後の落ち穂拾い)

自明ですか?」は、これで打ち止めにすることにしました。
池田直渡さんは、「いやー。とんでもないのにイチャモンつけられちゃったな~」と思っていらっしゃるかも知れません。
この一連の書き込みを読んでおられたらですが。
でも、mlodinから見れば、「引き摺り込まれたのはこちら」ということになります。
mlodinが想定する「補助金」の姿というか、「自明ですか?」という問いかけは、取材などをした結果に基づくものではなく、言ってしまえばmlodinの脳内産物ですから、池田氏がきちんと取材をされたら「おいおい。全く違うよ」ということになるかも知れません。
そうなったら、それはそれで面白いと思っていたりします。

「ここできちんとコメントを書いた方がいいかな」と最初に考えたときには、これまで書いたようなものになるとは想像していませんでした。
何回も書いていますが、池田氏が紹介している自動車会社の幹部さんの発言がおかしいと感じたので、「この幹部さんの話していることは、特殊な事例だと思うので、一般化するのはいかがなものかと考えます」というようなことを書いてみようと、最初は、考えていたのでした。
でも、「補助金」に関係する要素について考えて見てみたら、「補助金」を利用するような研究開発は、構造的に難易度が高くなってしまうので、「成功しないと感じることが多くなるだろう」と考えるようになりました。実際、「過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信」にも、次のようなコメントを書いています。
>ぼくは、直感を大事にする人で、理屈立てというか、論理構築は
>あとからするタイプだったりします。
>で、ズーッと、池田さんが挙げれらた事例(と考えていいですよ
>ね)は、テーマが悪かったのか、担当者の問題なのか、一般化で
>きるのか、などといろいろ考えていたのですが、そういう個別の
>問題は別にして、基本、補助金に基づくものは、うまく行くこと
>を期待するのが難しいのだということに思い当たりました。
>で、それは長くて幅広い話になるので、コメントレベルではな
>く、当方のnoteに書かせて貰うことにしました。
>
>問題は、リソース、優先順位、お金には色が着いていなこと、な
>ど複合的で多岐に渡りますが、経験がなくても、論理考察で説明
>できます。
>開発が必ずしもうまく行くものではない、ということは経験主義
>の範疇でないとしてですが。
>
>ここまで書いていてなんですが、長文をこういう場所にアップす
>るとなると、20年かそれ以上ぶりということになるので、少しリ
>ハビリが必要だと思っています。それほど時間はかけたくないで
>すが。
>
>よろしくお願いします。⇒各位

いま読み直して見ると、方向性を把握した上での予告ということになっていたみたいですね。
上のコメントを書き込んだのが4月6日で、ここに「自明ですか?:初めに」をアップしたのが5月1日でした。
およそ一カ月をかけて構想を練っていたということではなく、noteの使い方を試していたというのが実態です。
自明ですか?」での問いかけは、書きながら進んでいたので、結構、曲がりくねってしまったかなと思っています。
「アップしたあとに気付いたことがありました」というように書いているところがかなりあるのは、書きながら進んだためということになります。脱線紀行と銘打っているように、mlodinの特性だということで、ご容赦下さい。

ここまでは前振りで、ここからは、予告していた、
池田氏の記事の中でmlodinが強い違和感を感じた、「お役所に責任を押しつける」というような考え方について、お役所への窓口業務を担当していた経験と、それを踏まえた考え方など
を書いてみる積もりです。書きながら行き先が変わってしまうことがあるのはいつものことなので、ご容赦ください。
辛口の余韻が残っていましたら、その点もご容赦ください。

最初に、あの幹部さんの言葉についてmlodinが考えたことを、もう一度振り返ります。また脱線になりますが、お役所との関係での前振りと思って下さい。これが最後の引用になります。
>           「補助金なんてうっかりもらうと仕事
>が進まないからもらいたくない。ただ断ると角が立つから自前・
>自費で研究開発したいのにやむなく、税金を突っ込まれて、下ら
>ない役所向けのレポートで忙殺されている。足を引っ張られてい
>る。あれなら減税してもらった方がよっぽどマシだ」
mlodinがこれを読んで最初に思ったのは、「この「愚痴」をこぼしている幹部さんは、「補助金」にどう関わっているのだろうか?」ということでした。
「補助金」を受けていれば、役所にレポートを出すのは当たり前だろうに、なぜ、こういうことを言うのだろう?。
仮に、レポートが過重な負担であれば、役所への窓口の部署に伝えて、改善して貰うように言うこともできるだろうに。この会社の組織はどうなっているのだろう?
というようなことを考えたのでした。
幹部さんは、「補助金」の性格というか、「補助金」を受ける際に発生することを理解されていないように見えたのです。
役所の側が不当なことを要求しているのであれば、組織として適切に対応して、是正を要求するよう指示するのが「幹部」の仕事なのに、そのことを意識されているようにも見えない。
社内でのコミニュケーション、役所へのコミュニケーションのどちらか、あるいは両方が、きちんとできていないと感じたのでした。
過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信」のコメントにも書いたように、そのときは直感で、ここに書いた内容は、その直感をあとから分析して、整理したものです。
池田氏は、mlodinのような視点をお持ちではないので、幹部さんの言葉に寄り添われたのかも知れません。
一つの可能性としては、幹部さんが言われたとおりには書かれていないということも考えられますが、それを言ってしまうと、収拾がつかなくなってしまいます。

少し脱線になりますが、mlodinに理解できないのは、池田氏が書かれていた、
税による補助金は、納税者にリターンとしては全く帰って来ません。リスクテイクに対して、バランスを取るリターンがない。払った側はリスクオンリーという構造を理解しなければならないのです
という考え方です。
ケインズ経済学かなにかの教科書に、このような考え方が書かれているのでしょうか。でも、これって本当にそうなのでしょうか。
リターンという用語を使っているということは、投資と同じように考えているということなのでしょうか。
補助金はハイリスク・ノー・リターンということですか?
mlodinは、池田氏がどうして、このような、認識をお持ちになったのかが、理解できません。
池田氏の言われる「納税者」は、国民とは別の概念なのかな?と、疑問に疑問が重なります。

「補助金」に限らず、税金は、国民の利益になるように使われるべきものだというのが、mlodinの基本的な認識だからです。
政府なり地方自治体なりが予算化して行う事業は、納税者(=国民)に対してベネフィット(≒リターン)をもたらすことは必須要件になります。
国民に対してベネフィットをもたらさない支出であれば、内閣総理大臣が主導したとしても、「アベノマスク」のように、会計検査院から「無駄」と評価されることになるのです。

前にも書いたので繰り返しになりますが、「補助金」は、それを出すことによって、国民(=納税者)にベネフィットをもたらすことが期待されるという根拠を示すことで、予算化することができるのです。直接的、間接的を問わず、ベネフィットをもたらすことが期待されなければ、予算化はできません。
そのことを理解していないと、「補助金」を出す側の行為が理解できないことになるのかも知れません。
やはり、かなり逸れてしまいましたね。ごめんなさい。

例をあげてみましょう。
「稚エビを放流するためのお金」を漁協に対して出すという「補助金」があります。これは、国ではなくて市がやっているのですが、稚エビを放流することで漁獲量が増えれば、漁師さん(国民=納税者)が潤うという枠組みです。
補助金は、大なり小なり、そのような性格を有したものです。
だからこそ、出す側は、出した補助金が適正に使われることで、ベネフィットがもたらせられているかを確認しなければならないのです。
ちなみに、mlodinが稚エビを放流するための補助金の存在を知ったのは、ワイドショーで、「貰った漁協が放流していなかった」というような話が紹介されていたからです。

「出した補助金が適正に使われていることを見なければならない」というのは、出した側からの視点です。では、受けた方は、どのような視点で、補助金を出した側に対応すればよいのでしょう。
基本は、誠心誠意ということに尽きると考えます。

「レポート」について考えて見ましょう。
「補助金」を受けた側は、「レポート」で適切な情報発信を行うことが必要だということは、明らかです。
そうそう。その前に、池田氏は、幹部さんが「お役所がレポートを要求する」と仰っているように書かれているようですが、本当にそのように発言されていたのでしょうか。
研究資金としての「補助金」を受ければ、「レポート」は出す必要があるはずです。それは基本です。
自前での研究開発なら、研究開発の状況などについての「ホウレンソウ」は、内部の話なので、レポートなしでもできるでしょう。
お役所は外部ですから、「レポート」を出すことで、研究開発の状況などを伝えることが基本になります。そして、その「レポート」は「必要十分な内容」のものでなければなりません。十分以上である必要はないだろうと思いますが。
お役所の方も、「レポート」を受け取ったら、内容を確認するなどの作業が発生するので、「レポート」を山ほど出されると、迷惑ということになります。
基本構造がそのようになることは、考えてみれば判ると思います。

ここで脱線します。ごめんなさい。
mlodinは、今回の一連の記事は、「書きながら直して行く」というやり方で書いています。最初から、全部ができているわけではありません。
「プロの原稿書き」ではないので、書きながらの推敲と、ある程度書けたところで、それまで書いたことの見直しをしています。
それまで書いたことの見直しは、だいたいの場合、最初からになります。誤字・脱字という初歩的なところから、「表現はこれで良いのかしら?」なども見直したりしています。
ここに来るまでの文章は、これを書いている時点で六回は見直しをしていて、いまは七回目になります。(直すたびに変えています)
そのような見直しをしているときに、いままで自分が気付いていなかったことに気付くことがあるのです。
今回は、一応、最後にする積もりでいたので、これからの脱線は、気付くのが間に合ったということになります。
心の中で、Eureka(エウレカ)と叫んでしまいました。

気付いたことは、「補助金を出す側」についての池田氏の認識の問題ということになります。
池田氏は、
> 本質的な論旨は、ひとたび補助金を出す決定をしたのなら、口を>出さずに自由にやらせろと。補助金を出したからと言って、役員
>や理事長を役所からねじ込んだり、パートナーと称するわけわか
>らん会社を半ば強引に紹介したり、研究の邪魔になるほどの膨大
>な報告書を日々書かせたりするなと。そういう話です。
と書かれていますが、これが実際に起きていることの正確な表現だとは考え難いということは、既に、コメントしていました。
今回気付いたのは、池田氏の
> 現実の打率は遙かに低いでしょう。それは最初からわかっている>のだから、政府も役所も、それを振るいに掛けて判定した以上、
>失敗は甘受せよとボクは言っているのです。そこからさも努力し
>たかのような振りをするために、研究者の邪魔をして役人が仕事
>をした振りをするなと。
と書かれているところです。この文章も意味が判りにくいのですが、池田氏の言わんとしているところは、
「お役所の担当者は、「補助金」が成果を上げたら、仕事をしたと評価される」と考えている
とまとめることができるだろうと考えられます。
でも、そうだとすると、論理矛盾が出てくるのではないかということに気付いたのです。
「成功する可能性が高くないことは、政府も役所も最初から判っている」のですから、「仕事をしたかしないかを、成果が出たか出ないかで判断する」ということは、「無理筋」になってしまうと考えられるからです。
「お役所の担当者が、企業のお尻を叩いてでも成功させないと、自分は評価されないと考える」
というのは、成功する確率が低ければ、筋が通らないということになるのではないでしょうか。

別の視点で見てみましょう。
池田氏が書かれていることは、
「あの会社の研究の成果が出なかったのは、自分が、あれこれと指示しなかったからだと言われたくないから」と担当者が考えて、企業に無理難題を押しつけて、仕事をした振りをする
ということになります。
ただ、その想定は、お役所の行動原理とは異なっているというのがmlodinの認識になるのです。
お役所というところは、「決められている役割をきちんと果たす」ことが行動原理となっているとmlodinは理解しているのです。

「補助金」を受けた会社がやるべき研究をやっていて、お役所の担当者が、その経過などの報告をきちんと受けていれば、お役所の行動原理からは、担当者としての仕事はやっていると評価されることになります。
担当する案件にのめり込んで、いろいろ動いて、その結果、担当している案件がうまく廻らなくなったなどと判断されたら、担当者としての役割を果たしていなかったと評価されてしまう可能性があるのです。

お役所はそういうところだというのが、mlodinの理解です。

実は、ここで本筋に戻る予定でした。
でも、また、気付いてしまったことがあったのです。
それも、mlodin的にはかなり深刻な問題でした。
なので、mlodinが考えていた、「補助金」を受けた側が出さなければいけない「レポート」のあり方とか、お役所への窓口をしていた経験に基づく、お役所との関係性のあり方については、割愛させていただいて、最後の脱線をすることにしました。

上に書いたように、池田氏のお役所に対する感覚ってなんなんだろうななどと考えていて、mlodinが気付いたことです。

そもそもは、mlodinが池田氏の「経験主義マウント」にコメントを書いたところが出発点でした。
池田氏の主張は、
>横やりを入れたり、レポートで監視しなければならないほど、成
>功確率の低い案件だと思っているなら、政府はそもそもその案件
>に投資するな
ということでした。
これは、「「補助金」なんか出すなという意見ではないだろう」とmlodinは理解して、「そもそも研究開発は成功率が低いので」という視点からコメントを書いてたのですが、それに腹を据えかねた池田氏が、「過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信」をアップしたのでした。
池田氏が、mlodinのコメントを引用して

研究開発というのは、100%うまく行くということはありません。

>ここに「100%」と言う文言を挿入してそれを前提に議論を始める>のはストローマン手法です。ボクはそんなことを書いてはいませ
>ん。
と書かれたところが、気づきの出発点でした。
「ストローマン手法」という形容は、ほかでも使っておられるのですが、こういう揚げ足を取る形で議論を進めるのはいかがなものかというのがmlodinの感覚です。
この感想は脱線なので、どうでもいいとして、「池田氏は、研究開発、とくに「補助金」を使った研究開発は、どの程度の成功確率だと考えて議論を展開されていたのかな」と、mlodinは考えたのでした。
経験主義マウント」は、
>池田直渡さん「そもそもね、失敗するかもしれないところなんか
>に金を出すなってことですよ」
>研究開発をやったことをない文系「当たり籤だけ買ってこい」失
>敗して当然なのに…
から書き出されていて、その中では、池田氏は、成功確率については、
>横やりを入れたり、レポートで監視しなければならないほど、成
>功確率の低い案件だと思っているなら、
という主張をされていることは判りました。
そして、「過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信」には、上でも引用した
> 現実の打率は遙かに低いでしょう。それは最初からわかっている>のだから、政府も役所も、それを振るいに掛けて判定した以上、
>失敗は甘受せよとボクは言っているのです。そこからさも努力し
>たかのような振りをするために、研究者の邪魔をして役人が仕事
>をした振りをするなと。
と書かれていたのです。

池田氏の考え方って、筋が通ったものなのかな?と改めて感じたのでした。
池田氏の主張の本質的な部分をmlodinなりに抜き出してみると、
「補助金」を使った研究は、成功確率は低い。
成功確率が低いものを高くさせるために、お役所が外から色々言うのは止めろ。
ということになるのでしょう。
でも、お役所は、「篩にかけて選んだのですから、成功確率が低くてもやる価値はある」と認めているのです。
そういう案件に対して、「成功させるために外から色々言う」ということをしていると池田氏は考えていることになります。

池田氏は、レポートの提出が必要だと認識されていなかったから、このような考え方になったのだと思い至ったのでした。

池田氏が、自動車メーカーの幹部さんの発言に触発され、「お役所がレポートを出させるのを止めさせたい」という考えだけで、いろいろと書かれていたということに、今頃になって気付いたということが、残念でなりません。
自明ですか?」なんて問いかけは、まったくいらなかったのですから。

「補助金」という制度は、意味があるものだとmlodinは考えています。
現状に問題があるとお考えなら、「お役所」に責任をなすりつけるというアプローチではなく、いまの制度のどこに問題があるかということを、制度のフレームワークを理解した上で、情報発信するというのが、あるべき姿ではないでしょうか。
そして、その際には、「相手に対して敬意を払う」ということ、つまり「罵詈雑言は使わない」ことは、必須だろうとmlodinは考えます。このことは、証明の必要はないでしょう。

長い長い「自明ですか?」の脱線紀行を読んで下さったみなさま。お付き合いいただきましたことにお礼を申し上げます。
有り難うございました。