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サブカル大蔵経943モンゴメリ/松本侑子訳注『赤毛のアン』(文春文庫)

恩師の今西順吉先生が、大学の印度哲学史概説という授業の冒頭で『赤毛のアン』の話をし出した時は、我が耳を疑いました。なぜならその頃、世界名作劇場の「赤毛のアン」を毎朝再放送で見ていたからです。「『アン』にはキリスト教の引用や背景があるという研究が出ています。どんなテキスト、たった一行にも、背景があるのです。ですからおろそかに読んではなりません。」私はその先生に一生ついて行こうと思った。受け狙いでアンの話をしたのではなく、印度哲学もアンも分け隔てないその学問的な自由さと文献学の真髄に感動したのです。その授業の単位は落として再試を受けるほど印哲は身に入りませんでしたが、『赤毛のアン』への〈想像〉はそれ以来尽きません。先生が紹介した研究というのは、おそらく松本侑子さんのこの翻訳だったのではないかと思われます。

それまでは松本侑子さんはニュースステーションに出てた人というイメージだったのですが、本書は詳細な註釈付き翻訳として宝島社から出版され、集英社文庫におさめられ、そしてさらに新たな研究を基に改訳したものが、現在、文春文庫から発刊されています。松本侑子さんの長年の真摯な活動に最敬礼です。

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そして、この2022年2月からAmazonプライムで、世界名作劇場の見放題が一部解禁され、「赤毛のアン」もそのラインナップに入っていましたので、夢なら覚めないでとばかり、現在毎日観ています。メモを取りながら、本書を傍らに置いています。

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第1章「マシュウ・カスバート驚く」より

こういう視聴のやり方はどうなのかと自分でも思うのですが、高畑勲・宮崎駿・富野由悠季らが、原作をどうアニメ化したのかと、見比べると本当に興味深いです。

たとえば「第4章 グリーン・ゲイブルズの朝」の中の文章。まだアンを引き取るつもりのなかったマリラとアンのシーン。

しかしベッドメイクはそれほどでもなかった。ふわふわする羽根布団と格闘する術は習ったことがなかったのだ。しかし、どうにか平らになだめた。p.61

この原作の文では、アンが布団たたみに悪戦苦闘しているのをマリラが見守るだけのように読めましたが、アニメではマリラが自ら布団をポンポン叩いて手本を見せていました。アニメの方が、マリラがいつの間にかアンのペースに巻き込まれて、二人の距離感が近いような感じに見えました。

また、「第7章 アン、お祈りする」の最後は、

「今までは気楽に生きてきたけど、とうとう私の番が回って来たようだ。」p.88

と、マリラの言葉でこの章は終わります。ところがアニメでは、マリラの言葉を受けて、マシュウが「そうさのう、お前の出番のようだな」とセリフを返してきました。なぜ、マシュウのセリフが足されたのか。実はマシュウがアンを引き取ろうとした原動力であり、それも実はマリラのためであり、その兄弟愛を描こうとしたのではないか。アンがいれば安心だと、マシュウの死のフラグを立たせたように思うのはうがちすぎでしょうか。


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