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サブカル大蔵経600水道橋博士『藝人春秋2』『藝人春秋3』(ともに文春文庫)

『藝人春秋2』(文春文庫)を購入して一気に読んだ2月27日の晩。著者である水道橋博士の「clubhouse」を聴いていたら、「本について質問ないですかー?」

読了直後という奇跡のタイミングもあり、書中で描かれた大瀧詠一のアジトに飛び込まんばかりの緊張感で、旭川の人間として藤圭子の章を読み感動したことを伝えた。誠実に対応していただき、また感動。

旭川から上京し、今も酒場を流す日々だと言う、その歌には、人生の哀しみと怨みが、あった。『藝人春秋2』p.340

旭川は、藤圭子にどんなことをしたのか。藤圭子は旭川をどう思っていたのか。恐らく思い出したくもなかったのではないか?旭川の人間は、もっと藤圭子を知るべきであり、藤圭子を通して旭川そのものを知ることができるのではないかと思いました。

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話は前後しますが、今年に入ってから、博士がnoteに大量に投稿していることに気づき、ひたすら読んでいますと、『藝人春秋3』の後日談になるという泰葉の復帰ライブでの感動的な話が綴られていて、そこで泰葉の対談相手を務めた立川こしら師匠を〈無頼〉と絶賛していました。そこで初めて、こしら師匠の名前を覚えました。

https://note.com/suidou_hakase/n/n769147b6ae5f?magazine_key=m565213061ea1

次の日、親戚のお店に昼飯を食べに行ったら、店内に〈こしら独演会〉のポスター。旭川に来るんだ!と驚き、そして昨日、観に行ってきました。最近旭川まで毎月来てくれていると聞き、さらに驚きました。

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速射砲のような噺の中で、期待に違わず泰葉と博士のステージでの話をしてくれたので、独演会終了後、博士の文章を見て師匠のことを知り、今日来ました!と声をかけると、「そうですか!博士さん、私のこと書いてくれてるんですか!私そういうところ調べないというか、いけないんですよねえ…。くれぐれも博士さんによろしくお伝えください!」と返していただき、それで、この文章を書くことに挑戦しました。

今回、博士のおかげで立川こしらという人間の存在を知り、私は僧侶なのですが、その立場からも示唆深い噺もたくさん聞くことが叶いました。博士言うところの〈星〉を体感した、不思議な一夜でした。

そしてもうひとつ、私が勝手に〈星座感〉を感じていることがあります。私は、生まれて初めて見た芸能人が泰葉さんでした。

1981年にシングル「フライディ・チャイナタウン」でシンガー・ソングライターとしてデビュー。テレビ出演も最初は音楽番組のゲスト出演だったのが、それだけではなく、すぐにバラエティ番組にも進出する。『藝人春秋3』p.377

1982年、小学六年生の時、北海道のローカル番組「GOGO5ファイブ!」の〈全道小学生クイズ大会〉に旭川代表で出ることになり、札幌のテレビ局に行き、「映画『ハイティーンブギ』の主役の名前は翔である?」に×を出した誤回答の姿がアップになり、そのまま予選敗退して呆然としていました。その時の歌のゲストが、泰葉さんでした。

自分が生涯唯一テレビの箱の中に映った闇歴史に併走していただいたテレビスターが泰葉だったー。その泰葉を縁に、水道橋博士とこしら師匠とそれぞれ言葉を交わす僥倖に恵まれたー。

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というところまでが長い個人的な枕で、本書両巻を読み終えて、さらに個人的に気になったところは、

ボク自身も、昔のように先輩風を吹かしながら、後輩をからかうような冗談を彼には飛ばせなくなった。『藝人春秋3』p.132

 この辺りがキドカラー大道さんが指摘することなのか?とガチで思ったり。

関西の政治状況とテレビ業界ってさ、密接に結びついていて、その影響が強くてね。(宮崎哲弥)『藝人春秋2』p.35

あんなぁ、お前ら東京やからあえて聞くけどなぁ、とんねるずって、オモロないやろ?どない思う?(やしきたかじん)『藝人春秋3』p.143

 今日、胸いっぱいサミットが終了し、そこまで言って委員会の司会も交替。大阪でのたかじん的なものは終わり、より国家に近いよしもと帝国的なものが完全にとって変わるのだろうか?とか。

あと、個人的に好きな箇所は、

新左翼の党派5流13派のセクト名をノートに記し、色分けして覚えながら、関連事件表を作るのだが、これをやっている「僕って何」の自問自答が止まらなくなった。『藝人春秋3』p.340

でした。初めて読んだ小説が『僕って何』だったのと、学生運動の謎を未だに消化できていないので。

そして、あらためて慧眼だと思ったのは、

芸人が話すだけでなく本を書く…。それは全部、言い訳なんです。『藝人春秋3』p.373

という立川談志の言葉。これ、念仏の正当性の説明に一生を費やした親鸞そのものでないかと思いました。法話も同じ。なぜ念仏だけでいいはずなのに、法話を聞いたり話したりするのか。言い訳なんだと合点。

シェイクスピアの『リア王』で王様に正しいアドバイスをするのは道化だけ。『藝人春秋3』(町山智浩解説)p.426

今ここを担っている貴重な存在が有吉弘行とマツコデラックスなのかと思いました。

有吉弘行をして「奇跡のチンピラ」と呼ばせたように。『藝人春秋3』p.154

ホリエモンらが六師外道的革新派脇役ならこの二人こそ現代の諸子百家かと。そして散歩しながらclubhouseで若者の声に耳を傾ける博士と、家を持たず飛び回る立川こしら師匠は、現代の沙門だと思いました。

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