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サブカル大蔵経31 中野美代子著『北方論』(新時代社)

 中国学の泰斗、中野美代子先生の北海道に関しての文をまとめた50年前の本を読みました。

 北海道は、日本の辺境であり、外地であり、サブという感覚。辺境だからこそ内地を見てきたという認識。しかし、それは幻想で、中央とズブズブだったのでは…。

 札幌に全てが集中してきた現在、コロナで図らずも、札幌圏とそれ以外という色分けができつつある今、蘇る貴重な直言。また、開発・観光・経済という免罪符が全てを破壊してきた北海道行政への批判が、ちょうど50年後、現代の私達に照射されていました。

 現在の北海道芸術もまた、表現の対象としての雄大な自然風土ないしフロンティア精神にすがりついている面を否定できない。それは、すでに真のフロンティア精神を放棄しながらも、なおかつ商標として温存し、観光イメージとともに利用する卑小なリージョナリズムと言わねばならぬ。p.16

 北海道らしさとは何か。誰も考えたことない。今の新しい商標は<アイヌ>か。内なるものか、外からの誘惑か。

 いま北海道は東北を飛び越えて中央と直結している。札幌はとくにそうだ。札幌のインテリは、多かれ少なかれ、東京の知的風土とかかわりを持っている。p.33

 耳が痛い。東京に住んだこともないのに、東京の居酒屋巡りが好きな自分。背景にそういう「北海道的なもの」があったんだなぁ。

 イギリス的であることを自負するメルボルン人にとっては、シドニー人は、粗野でアメリカ的ということになる。ある意味では、東京と上方の対立以上に執拗なのである。1956年にメルボルンでオリンピックが開催されたが、シドニーっ子に言わせれば、「だからといってオーストラリアで開催されたことにはならないのである。」p.35

 北海道とオーストラリアの比較。開拓された土地。先住民。屯田兵。興味深い。

 かくて、北海道はすでに新しい土地でも何でもない、「最後のフロンティア」などというしゃれた観光用イメージのみを背負った、日本の一地方にすぎないのである。p.37

「一地方」という謙虚さすらない今の北海道。新幹線が逆に地方化をすすめるか?

それは壮大な不毛であった。p.41

 流氷を前にした中野先生の言葉。だからこそ北海道が好きになったとのこと。人間のつくる後付けの理由をあざ笑う圧倒的な不毛。

 札幌がかような見せかけの繁栄で有頂天になっている一方では、冷害や炭鉱の閉山などにより、暗い新年を迎えた多くの道民もいよう。明治初期から、石炭王国を夢見て、おおぜいの労働者の血のぎせいの上に繁栄し続けてきた炭鉱の多くは、いまや廃墟である。p.53

 炭鉱で開かれた北海道を再語りする時期に来ている。有頂天の札幌というワード。その視点は、北海道のこれからに繋がる。これ掲載した北海道新聞偉い。再掲載希望。

 しかし、日本中で懐疑の精神をもっとも少なく持ち合わせているのが、おそらく北海道なのだ。百年の間、ひたすらにお上の庇護によって開拓と開発を進めて来た新しい土地である。内地の伝統からも自由だった。つまり、疑うことを知らなかったのである。お上は常に中央の東京の方を向いているから、道民もそれにならって、疑うことなく東京を向いた。p.54

 お上と北海道。歴代知事と中央。内地にとっての北海道。食料基地&対ロシア軍事区域。それまでの観光地&うまいもの市。

 1790年の新世界地図、北海道だけは、エソ諸島として、六つの小島にこま切れにされているのだ!北海道は、18世紀末の世界においてさえも、よく知られていなかった。言いかえれば、わが北海道は、世界中でもっともおそくに知られた土地だということになる。p.96

 小見出しの地図。世界の中の「エソ」島。この考察ロマンあるなぁ。

 私は、日本人の方角観念は東と西に、よけいに発達したと思っている。東北も東国の延長のみちのくであって、北の観念ではとらわれなかった。p.100

 私は東北が好きで何度も行きましたが。北海道があるからだいぶワリを食ってるな、と思いました。みちのくと北海道の最果て感はまた別物なのかな。南北観は北海道と沖縄くらいか。

 内地人の北海道の野生に対するあこがれの奥にひそむ、憐憫さえこめた侮蔑を思い出してください。p.142

 内地からの蔑視は健全かも。

 海外に出る日本人が帰国すると、半分はあちら風を吹かす、半分は国粋にこりかたまる。p.154

 なぜ比較して語りたくなるのか?

 北海道は、大陸でも島でもないのだ。何か、ひどくあいまいな土地。大陸か、島か。私はそのどちらかに決めてしまいたい苛立たしさを感じていた。p.186

 大きな島というアンビバレントな存在。島を自覚できない北海道。島からしか見えない景色。天売焼尻からしか見えない北海道島。北海道島から見える日本という島。だから北海道人は日本を俯瞰して見れると思い込んでいたのだが…。

 いま、原始林の傍には北海道百年記念塔と称する見苦しい塔が立ち、森林公園として整備されている。そして原始林の荒廃は何もかも予想された通りに進行しているのである。p.194

 野幌がそんな存在だったとは。高砂駅裏の森林を散策したのが最初で最後かな。

 世に中央アジア病と呼ばれる病気がある。p.211

 砂漠に惹かれる人たち。

 北大の同期は中野先生のことをおばちゃんと呼んでいた。そのおばちゃんの遺言を道内のわれわれが引き継がなければならない。おばちゃんとカネサビルの焼き鳥屋で同席したことが懐かしい。

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本を買って読みます。