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サブカル大蔵経509笹原宏之『訓読みのはなし』(角川ソフィア文庫)

和語と漢字の関係に興味があります。その混合は、ハイブリッドかビビンパか。当時最先端の漢字・仏教は、今のIT・外来語と似ているのかも。

生活上にある和語と結合したことで、日本人は漢字を血肉化させた。p.12

外来語の漢字の中でお経がどう和語に解釈されてきたのか、解釈を放棄したのか、分岐点のような気がします。

なので、白川字書三部作では『字訓』が好きです。

本書も目から鱗のエピソード満載でした。

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於新宿御苑、至新橋駅、含交通費といった漢文由来の表記が残っているp.22

 これ以来、レジュメで「於◯◯」と書く時、漢文だ〜と思うようになりました。

江戸期日光を一字に詰め、晃と表現。ポータラカ→補陀落→ふたら→二荒→ニコウ→日光→晃と六転した。p.53

 ポータラカから日光まではなんとなく知っていたけど、そこから〈晃〉とは…。

紀伊国きいのくに。元は木の国の意。近畿では目をめえ、歯をはあ。一拍の名刺が長音化する。きいのくにに紀伊の国をあてた。p.104

 「紀伊」(きい)は「木」の関西弁!

すばるは、統ばる星という意味。p.127

「素晴らしい」もここから?すばらです!

肉を炒めるのいためるは、明治期には痛めると書かれた。炒は、平安期から水がなくなるまで炙るの意味。江戸期に炒米、明治大正の頃は、炒り豆。中華料理が家庭に入る昭和期から炒るではなく、油を使う炒めるという訓読みが多く用いられるようになる。p.130

 炒める=痛める=傷める。狐野扶美子さんの「アスパラをストレスかけずに優しく調理する」というのはまさにこの「炒め=傷め」へのアンチテーゼかもしれません。

怨む、恨む。中国ではそれぞれユアン、ヘンと読み、別な意味。前者は残念な気持ちの意。後者は白楽天の詩の長恨歌のように、心に深く傷跡が残るという意味。p.144

 うらむは、他人への感情ではなく自分の中の心の問題か…

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