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【2022年も自転車】朝からひたすら漕いで汗まみれ。30年前に初めて博士とお会いしたのが1月だったことを思い出す。

2022年1月21日(金)

7時30分起床。
今日は有休なんですけど、いつもより1時間早く起きました。
それでも風呂掃除とスクワットのルーティンは欠かさず。
昨日の日記を少し書いて、8時30分に出発。

外は寒いけど、自転車で某病院に向かう。
ペダルを漕いでいるうちにカラダが熱くなる。
寒さなんてどこへやらだ。
20分後に病院に到着。
が、駅に直結した病院のためか駐輪場が見当たらず。
仕方なく駅前の有料駐車場に駐輪。

院内に入り、受付へ。
診察予約をしていたものの、以前伺った時から1年が経過しているとのことで初診扱いに。
予約した際にそうは言われていたが、予約のことは伝えておくという話だったのに。。。
問診表を記入し提出すると、こちらもと内科用の問診票を渡される。
いや、あのさ、今日は健康診断の結果をもとに高血圧の薬を処方してもらうという話なんですよね。
受付の方に、かくかくしかじかとその話は通っていますよね、と質問。
しかし、ひたすら「あの、その…すみませんがご記載を」の一点張り。

駐輪場が見つからないことにも不満なのに、診察内容についても知らない素振りをされてしまい、久しぶりに強めに言ってしまう。
せっかく昨年、アンガーマネジメントを学んで実践できていただけに、今回やってしまったことをものすごく後悔。

なんとか確認が取れたようで案内してもらう。
診察を受けるが、血圧記録がないので今日は処方はなしとのこと。
あれ…そうなの?
血圧を測り、別室に案内される。
30分寝返りなど打たずに寝てくださいとのこと。
ここで案内の方から、すぐに採血するので利き腕を出しておいてくださいと。
利き腕を出して待っているが、一向に採血が行われない。
10分ほど待っただろうか。
起き上がって「採血まだですか?」と聞くと、
看護士さんが「なんで起き上がってるんですか!?」と興奮気味に言われる。
キョトンとしていると、案内の方から
「まず30分寝て、それから採血なんですけど」と。
それならそうと、きちんと伝えてくれよという話だ。
そっちはわかっていることかもしれないが、私は初めてのことなんだから。
結局、また30分寝ないといけないことに。
スマホも触れないし、眠気もないからひたすら目を閉じるのみ。
なんとか30分経過して採血して終了。
案内の方が、明確に説明しなかったことを謝罪。
私も聞き逃していたかもしれないので同じく謝罪。
あらためてコミュニケーションは時と場合によって難しいものだ。

高い診察料を支払うと、急激に空腹感が。
朝食も食べずに自転車漕いだからかな。
すぐ近くのマックで王様のブランチならぬ平民のブランチ。
満たされる。

駐輪場から自転車を引き上げて一旦帰宅。
汗でビショビショになったTシャツを脱ぎ、タオルで拭いて一休み。
日記の続きを書いてアップ。
さらに書き起こしの最終調整をして、こちらもアップ。

新しいTシャツに着替えて、再度自転車に乗る。
今度は片道30分先の美容院へ。
月イチのメンテナンスです。
上りと下りをヒーヒー言いながらひたすら漕ぐ。
246から茶沢通りは特にキツい。途中休みそうになるがメゲずに進む。
予定より10分遅れで到着。
またもTシャツが汗まみれなので着替えさせてもらう。

オーナー美容師さんとは20年来の付き合い。
毎月お互いの報告をしながら、おまかせでカットしてもらう。
うん、今日も決まった!

よし帰ろう、というわけにはいかない。
本日はもう1件、大事なことが。
来た道を戻り、三軒茶屋の世田谷警察署へ。
運転免許証の更新。
カットをした後で証明写真を撮りたかったんですよ。
近くだったから汗をかくこともなく、無事に撮影も完了。
ちょうど講習が始まる間際のすべりこみセーフ。
クルマもバイクも運転しない優良ドライバーなので30分講習。
ビデオ教材を視聴して終了。
カットしたてで写った新しい免許証を受け取る。
これで本日はミッションコンプリートだ。

自宅に戻ると、またもTシャツが汗だく。
今日だけで3枚も着替えたか。
総移動距離は約28km。
多いのか少ないのかわかりませんが、かいた汗はウソをつかないということで。

自宅でのんびりしていたらお腹が空く。
マックを食べてから何も食べてなかったしな。
時間は18時ちょっと前。
そうだ! らーめん陸尾山台店に行こう!

本日散々漕ぎまくった自転車に再度乗る。
お店に到着。
夜の部開店から間もなかったためか空いている。
初の夜の部、初の豚増しらーめんを注文。

豚増しらーめん大盛り味玉トッピング(1,150円)

いわゆる二郎系だが、似て非なるもので味はこちらのほうが断然好き。
豚も食べやすくほろほろに煮込まれている。
半分ほど食べてからニンニクを投入。
スープにコクが増して、さらにウマい。
加えて一味唐辛子も投入。ややピリッとするもウマみマシマシ。
大満足かつ大満腹。

あれだけ世田谷区内を走り回ったのに、この一杯で台無しだな笑。
しかも高血圧だというのに、濃いめで高カロリーなものを。
これから気をつけないといかんですね。

帰宅。
風呂に入って、今日一日の疲れを湯船で癒す。
カットした髪を洗うのも短くしたから洗いやすい。
完全にサッパリした。

博士のツイキャスを本日も楽しむ。
コメントにも入れたのだが、私が初めて博士にお会いしたのは高校生のころ。
1992年1月のこと。
前年1991年、林家ペーの偽物として突如現れた謎の芸人・林家ブーが池袋の文芸坐で同年12月21日にライブを敢行。
しかし、このライブはオールナイトでの開催であったため、法令によって当時18歳未満の私はライブに行くことすらできなかった。
私のように行けなかった未成年が多数いたこともあり、ライブ後の翌年に当時月曜日深夜にオールナイトニッポンを担当していた浅草キッドが、ライブのビデオ上映会を開いてくれることになったのだ。
抽選制だったと思うが、無事に当選した私は1月某日の日曜日に初めて有楽町のニッポン放送に足を踏み入れた。
昨今の強化されたセキュリティを思うと、30年前は牧歌的でまだゆるかったのだなと感慨深い。平成初期の話だ。

会議室に通され、20人ぐらいの未成年リスナーと一緒に上映会を楽しむことに。
当時でまあまあ大きめのブラウン管テレビでの上映。
今のテレビの大きさや画質を思うと、比べものにならないくらい粗いのだが、当時はこれがデフォ。ちゃんとライブに映る林家ブーはもちろん、キッドのおふたり、高田先生など出演者をじっくり観ることができた。

2時間ほど濃密な時間を楽しみ、お別れすることに。
博士から参加プレゼントとして、浅草キッドの千社札をいただいた。
私は1月4日に開催された新日本プロレス東京ドーム大会で、アントニオ猪木の応援グッズとして販売された黄色いハンカチを購入して博士にお渡ししたことを覚えている。
というのも、博士は年末年始にかけて登別にある旅館での営業のため、ドーム大会を観戦できないと番組の中で嘆いていたからだ。
私はもともと観戦予定であったこともあり、いつか機会があれば博士にプレゼントしようと購入していたという次第。

そんなことをふと思い出した今日。
思い出した自分を褒めてあげたい。

ちなみに玉さんも上映会にはいらっしゃるはずであったが、前日に飲み過ぎて二日酔いになったため欠席。
初めて浅草キッドが揃ったところを観たのは、この年の春ごろに今は亡き中野区南部公会堂で開催された『お笑いリングス』だったように思う。
記憶が確かならば、男同志(現在は解散)が当時新日本プロレスを席巻していた反選手会同盟(のちの平成維震軍)に扮して乱入するというオープニングで盛り上がったことを覚えている。

さらにこの年の年末。
『浅草キッドの土曜メキ突撃!ちんちん電車!』の公開生放送がニッポン放送内銀河スタジオで開かれ、18歳になった私は晴れて参加することができた。
この時、ビデオ上映会やライブで知り合った常連ハガキ職人のグラジエーターさん、ピエール俺さんと一緒に開場予定時間の3時間前ぐらいから並んで最前列を見事ゲット。
肖像権が叫ばれる時代でなかったせいか、当たり前のように写ルンですで写真を撮りまくった。

棚の奥底から引っ張り出してきたアルバムより。ボクも少しだが思い出に節度がないようだ。この写真の博士、ぱっと見が勝地涼さんに似ていると思ったのは私だけだろうか。

スペシャルウイークということもあり、この年にデビューしたギリギリガールズとセクシーメイツがゲスト。
私を含め参加者男子のほとんどが童貞だったこともあり、お姉さんたちのお姿に熱狂しまくった記憶がある。
メイン企画はアンギュラさんという超能力者がゲストと対決するというもの。
超能力でゲストの秘密を暴くと、博士が「アンギュラさん、こ、このパワーはいったい何なんですか!?」と絶叫。
するとアンギュラさんが「これがエロチックパワーです」と、Mr.マリックのパチモンみたいな決め台詞で落とすという内容。
その後、アンギュラさんをテレビなどでお見かけしたことは一度もない。
ただアンギュラさんは超能力があるらしいことは確かだった。
この日、参加者もスプーンを持参するよう事前に言われていた。
みんなでエロチックパワーを溜めてスプーン曲げに挑戦するという企画。
私はパワーが未開発のために曲がらなかったが、アンギュラさんが曲がらない参加者のもとに駆け寄り、軒並みちょっと力を入れただけでいとも簡単にスプーンを曲げまくっていった。
超能力ってホントにあるんだと純粋に感動した18歳の私であったが、こんなページを発見してしまった。

なんのことはない。
アンギュラさんはマジシャンだったんですね。
30年後にネタバラシをしてもらいました。

また『浅ヤン』がスタートした年でもあったので、銀河スタジオには高須SANがいらしていたのも覚えている。深い思い出は…あまりない。

番組終了は深夜1時のため、始発が出るまで番組構成作家の松田健次さんとベン村さ来さんが残り、秘蔵ビデオ上映会を開いてくれた。
キッドが番組内でよく話題にしていた「梅さん危機一髪」という映像をようやく観ることができ、会場中で大爆笑していたのもいい思い出だ。
今の時代ならば完全にアウトなんだけどね。

もう30年も前のことなのに、こんなにも覚えているとは。
もしかしたら長い年月で記憶は改ざんされているかもしれない。
それでも目の前でスプーンが曲がり、翌朝自宅に戻って母に曲がったスプーンを見せたら烈火のごとく怒られ、そのスプーンで頭を叩かれたのは紛れもない事実だったりします。

疲れて眠いはずなのに、テレビを観たり次の書き起こしの準備をしたりで25時ごろの就寝。
明日も別件で朝から病院だ。寝坊は厳禁!


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