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夢の景徳鎮 |裏絵の大皿

この皿には三題噺がある。
一つは「大皿」。お皿の中でも大皿はとても魅力的である。僕の少年時代にはこんな大皿が家にはいっぱいあって、村人が集まる様々なチャンスには料理が盛り付られて出されていた。大皿料理は昔からの原始的な会食の形式である。中国は今でもこれが基本である。

もう一つのテーマは「裏絵」である。真っ白な大皿はそれ自体魅力的なのだが、ここでは伝統的な紋様を皿の裏に描いている。そもそも、皿の絵とは料理が載ってしまうと隠れてしまう、このような大皿では尚更なのだ。それなのに表側に絵を描いているのはどうかと裏絵にした。糸底の内側まで絵を描いている。日本の着物、特に男の羽織には裏に美しい絵柄がある。そんなイメージで、隠れたところに、絵を描こうと考えたのだ。

三つ目は景徳鎮のことである。磁器を考えるとき、景徳鎮は特別な場所である。ここで培われた焼き物の技術が日本に渡り、今日の日本の陶磁器が始まったその原点のようなところである。宋代に景徳鎮と呼ばれるようになり中国陶磁器の全盛期が始まっている。

景徳鎮には古くからいろいろな逸話が残っている。例えば、皇帝から命じられて赤い磁器を焼くことになったが、どうしてもうまく美しい赤が生まれない。失敗すれば父親が死刑になると心を痛めて、娘は祈りを込めて燃える窯の炎に身を投げたところ、美しい赤い色が生まれた・・・などという逸話である。

世界の陶磁器は全て中国で生産していた時代から、アヘン戦争を契機にヨーロッパ向けの生産が東インド会社の発注で、日本の伊万里、有田に移り、今ではヨーロッパで美しい陶磁器が生まれるようになった。今では中国はそれら、ヨーロッパの企業のための下請けをしている状態である。この歴史を思うと磁器が愛おしく見えてくる。

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70歳〜80歳(2007〜2017)/中国と再挑戦の時代

この大皿はそんな大きな想いを持っていたのだが、なかなか景徳鎮では生産する企業が見つからない。どこも当時は大量生産に切り替えられていて、少量の生産をするところはなくなっていたのだ。それらの企業は日本でも中国でもすでに倒産している。
そこで上海の友人、王超鷹や張少俊が手配してくれたのは一人で製作する芸術家だった。作家がつくってくれるというのだ。陶磁器の作家は当然、少しずつ作品を作っている。その窯で焼こうということになり、作家が自ら製作してくれた。高価にはなったのだが、こうして世に問うことができた。当時の無印良品の社長だった松井さんは「これいいね〜」と喜んでくれたのだが・・・。

もう一度挑戦したいプロジェクトである。

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《黒川 雅之》
愛知県名古屋市生まれの建築家・プロダクトデザイナー。
早稲田大学理工科大学院修士課程卒業、博士課程修了。
卒業後、黒川雅之建築設計事務所を設立。
建築設計から工業化建築、プロダクトデザイン、インテリアデザインと広い領域を総合的に考える立場を一貫してとり続け、現在は日本と中国を拠点に活動する。
日本のデザイン企業のリーダーが集う交流と研究の場 物学研究会 主宰。

〈主な受賞歴〉1976年インテリアデザイン協会賞。1979年GOMシリーズがニューヨーク近代美術館永久コレクションに選定。1986年毎日デザイン賞。他、グッドデザイン賞、IFFT賞など多数。

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