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プラスティックの建築| パンドラ 1970

時代は変わるぞと感じていた僕は新しい工法や新しい素材への挑戦を繰り返していた。建築が都市になるだろうと思っていたし、プロダクトになるとも予想をしていた。都市化と産業化が猛烈な勢いで1960年代から70年代の世界を覆っていた。僕が建築家のくせにインダストリアルデザインの研究所を訪れて研究生になったりしたのもそのような背景があってのことだった。
新日鉄の開発セクションと高層建築を量産した住宅の箱をスタッキングして作ろうとしたこともある。アルミニュームの建築への挑戦も日鉄カーテンウォールとやっている。パーティクルボードというクズ木材を再生してパネルをつくりそれを構造材にした住宅の研究はコマツ製作所といまの経済産業省のプロジェクトとしてやっている。プラスティックのこの建築もそのような時代の挑戦だった。
当時、アルミニュームもプラスティックも建築の構造材にはしてはならないという法律があった。様々な実験や当時としては新しかったコンピュータを駆使して特別な許可を得て実現している。

ほとんどの場合、僕がまず構想して企業を探して提案し、研究費を獲得して開発している。僕の基本はエンジニアというべきだろう。どちらかというと技術的なテーマを足がかりに新しい建築の可能性を追求していたと思う。
このプラスティックの建築は、テントの構造体を開発していた太陽工業に持ち込んで商品化している。テント構造は建築の中でも異端児だ。きっと理解してもらえるだろうと考えたのである。

当時の建築センターにデータを提供してプラスティックを構造体とした建築が生まれた。おそらく、日本では初めてのケースだったのだろう。多角形のカプセル状の居住空間には6人が宿泊できる設備があり、キッチンもシャワーも整っている。これまでにはない新しい風景が生まれたと興奮していたあの時代が懐かしい。

建築という概念はこうして刻々と変わっていく。いまでは住宅も商品になった。建築は風景から発想していくのだが、その風景が見えないのだ。
この山、この樹木、この空間に溶け込むように描いていた建築のイメージがすっかり変わってしまっている。決まっているクライアントの生活をイメージして描いていた住宅だったのに、誰が住むか分からない住宅を設計することになった。だれでも「家を作る」と考えていたのに、いまでは「家を買おう」と考えている。空調の考えかた、エネルギーの考え方も、そして素材や技術も変化している。住宅の意味さえも変化している。

永久に残るものだった建築もすぐ壊されるようになった。土地の価値の方が建築の価値を越えているのだ。建築を建て替えて土地の価値を活かそう
と考えるようになった。現代では建築も不動産というより消費財になっている。

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《黒川 雅之》
愛知県名古屋市生まれの建築家・プロダクトデザイナー。
早稲田大学理工科大学院修士課程卒業、博士課程修了。
卒業後、黒川雅之建築設計事務所を設立。
建築設計から工業化建築、プロダクトデザイン、インテリアデザインと広い領域を総合的に考える立場を一貫してとり続け、現在は日本と中国を拠点に活動する。
日本のデザイン企業のリーダーが集う交流と研究の場 物学研究会 主宰。

〈主な受賞歴〉1976年インテリアデザイン協会賞。1979年GOMシリーズがニューヨーク近代美術館永久コレクションに選定。1986年毎日デザイン賞。他、グッドデザイン賞、IFFT賞など多数。

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