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年をとるということ

今日は、今年87歳になった父の、大切なお友達の四十九日があり、父を連れて、ちょっと遠方まで行ってまいりました。

父は、何度か死んでもおかしくない状態を経験しつつも、今は元気に暮らしています。

ありがたいことに、自分のことは全てできるし、食事の支度もできるし、パソコンで知り合いに自分が撮った写真などをメールで送ったりもしています。

そんな父ですが、知っている人がどんどんいなくなっていく、ということが、やはり一番寂しい様です。

周りの人がどんどんいなくなり、自分だけが残っていくという感じ。想像すると、長生きすることが寂しい様な気持ちになります。

年をとるってどういうことでしょう。

20歳の人は、40歳の人をかなりおじさんおばさんだと思うだろうけど、40歳になってみると、思ってたより意外と若いなんて思いませんか?

40歳の人は、60歳の人はもう年寄りの仲間入りくらいに思うかもしれませんが、自分が60歳になったらどうでしょうか?

私は20代の頃と何が変わったんだろう。30代の頃と何が変わったんだろう…と時々考えます。
すると心は何も変わってない自分に気がつくのです。

見た目や、体力などは、明らかに変わっていくけど、心の中って、変わらないんです。

30代になったばかりの頃、職場にいた70歳目前のおばあさんと話していたのですが、話の内容が、全然自分たちと変わらず、すごくチャーミングで、面白い方だったんです。

歳をとるってどういう事だろう?と考えたのは、その時が初めてでした。

年をとって変わるとしたら、この歳なのにこれはおかしいかな?と思ったり、これまでの経験で失敗したり、やらない方が良かった、と思って冒険出来なくなったり、身体の限界を感じてできないことが増える事くらいかと思います。

同窓会で、同級生と会って、昔に戻ってバカやって、楽しく過ごしてると、この人が日頃学校の先生として生徒の前に立ってる姿や、警察官として働いてる姿、会社の上司として偉そうにしてる姿を想像して吹き出したり、冷やかしたりします。

すると彼らは、職場ではこんな顔は見せられん、と言います。

大人の社会人として、それらしく振る舞うことも大事ではありますものね。

でももしそれを取っ払って、例えば目隠して、年齢が全くわからない人と、年齢を想像させる話以外の、例えば恋愛とか趣味の話をしたら、なんの違和感なく対等の友達としてお話できると思うのです。

noteでは、年齢を公表してる人もいれば、公表はしてなくても、なんとなくこの人何歳くらいかなーってわかったりします。
でも、顔合わせていないせいか、私も年齢は考えずに、コメント欄とかでいろんな年代の人と話が出来て、とても楽しいです。

肩書きや環境や、一般的にという概念が、一人の人間をぐるっと包み込み、がんじがらめにしているけど、その体から心が抜け出したら、諦めていた夢や想いがたくさん現れてくるんじゃないかと思ったりもします

(まあ、中には自分の地位や肩書きに溺れて、自分が人とは違う特別な人間だ!なんて勘違いしてる人間もいますので、そういう人のは要注意ですが)

私だけでなく、実は昔と心の中何にも変わってない、と思う人多いと思うんです。

とすると自分が70歳80歳になっても、実は変わらないのではないか?
そう考えると、私たちから見る高齢者も、みんな心の中は私たちと変わらない思いを持ち続けてるんじゃないかなあ…

そう思って、年上の方々を見ると、少し見方が変わります。

沢山の経験や知識を積んで生きてきた方々ですから、対等といってもある程度の敬意を持って接するべきだとは思いますが、思い切ってヤンチャを引き出す話題を振って見たら、意外と乗ってくるかもだし、恋だってしちゃってるかもしれません。

見た目、若作りをしてもイタイだけだけど、心の中の若い気持ち、歳を重ねていっても押し殺さないで生きていってもいいんじゃないかな?

そして、若者も、高齢者に対して先入観や固定観念なしでもっと話してみたらどうかな?
なんて思いました。

同年配の方が亡くなって行って、寂しい思いを少しでも癒せる様に…


長々と、ダラダラと書いてしまいました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました🙇‍♀️

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