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全部◯◯のせい

自分の失敗を
人のせい、何かのせいにばかり、する人いますよね。
だって…
とか
それは〇〇だったから…

場合によっては、確かにそうかもしれないし、そう思いたい時もある。

社会では、自分が直接悪くなくても、謝らなければならないことって、結構ある。
心のない、お詫びの言葉。
それでも、会社などでは、当たり前のようにある風景。
心の中で、自分は悪くないと思っていると、逆に簡単に出来てしまうのかもしれない。

それなのに、自分がやっちまったなあ…
と思うことはなかなか謝れない。
そんな人をよく見かけます。

そうやって自分を守っているのだろうけど、
確かに不可抗力もあったかもしれないけど、
謝ること=自分を否定する
ではないと思う。

誤ってその人の価値が下がることはない。
むしろ、謝れる人の方が、上がる気もする。

謝ることは、相手を思いやること、
何か不都合を与えたり、迷惑かけたり、不快な思いをさせたりしてしまったことへの謝罪だから、何が悪いとか、誰が悪いとか、何かのせいとか、そんなのは一旦置いとこう。

なんでも自分のせいだって、すぐ落ち込んじゃう人もいます。
それもまた違う。
全て自分のせいって思うこともない。

誰が悪いとかではなく、
どうしてそうしてしまったのか(なってしまったのか)
そうならないために、自分は何かできなかっただろうか。
そう考えて、次を無くせばいいのでは?

そんなことを考える場面がよくあります。

同様に、自分の現状の苦しみも、人のせいや何かのせいにばかりする人もいます。

人生において、失敗したな、と思った時、

親のせい
環境のせい
周りの人間のせい
あの時あんな出来事があったせい

子供の頃は、そんなことを思ったりしたこともあったけど、
やっぱり最後に決めたのは自分。
人にこうしろって言われたからやった
なんていうけど、それに従ったのはやっぱり自分。
(一方的に受けた苦しみはちょっと違うけど)

ただ、これもまた、全部自分のせい
そう思うのも違うと思う。
そんなに追い詰めなくていい。
そうなることを望んでやったわけじゃない。

だから、何かのせいにすることはない。

なんでこうなっちゃったんだろう…
あの時こうしていたらよかったのに…
そう思ったら、

人や自分を責めるのではなく、
全ての出来事は、
起こるべくして起こる。

そこから何かを学ぶためなんだと思おう。

何かのせいにしたり、不平不満ばかり言っていたら、何も学べない。
そして、また同じことを繰り返す恐れもある。

もし、〇〇のせい
と言いたい時には、

〇〇のせいで成長できた。

〇〇のせいで今は幸せ。

そんなふうに言えたらいいなと思います。



と、自分に言い聞かせてます。

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