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"創造性"とは何か?リュックいっぱいのかりんとうの話。

私が"創造性"とは何かということを考える時にいつも思い出す大好きなエピソードがある。

それは私が以前勤めていた職場のMさんという方の話だ。

Mさんの風貌はというと、体はぽっちゃりと眼鏡をかけていて頭も薄く、
決して世間一般でいうところの"カッコいい"からは縁遠いタイプの人だった。

分かりやすく言うと、芋洗坂係長(ちょっと古い?)みたいな感じだ。

そんな見た目だが、ひとたびコンピュータのこととなると完全に"スペシャル"だった。

私はWeb業界で仕事をしてるのだが、Mさんにしてみればそこで使われている技術はあまりに簡単らしいのだ。

実際にトラブルが起こってもその問題の根本原因を突き止め、次々と解決してしまう。

その姿は私にとっては頼りになる"ヒーロー"だった。

出張が多い仕事で、移動の車の中では色々な話を聞いてコンピュータについて学ばせてもらった。

今私がWeb業界でファイナンス活動をできていることは彼のおかげであることは間違いない。

Mさんは暇つぶしのために最低賃金で働いていた。

なぜならMさんは昔とある技術を開発してその報酬で不動産を買い、家賃収入で家族を養うことができていたからだ。

とある技術とは、携帯電話のカメラ機能の開発だ。

今でこそ当たり前に使っているが、Mさんは90年代当時携帯電話の最先端で開発に携わっていた。

どうやら微分積分を使うらしいのだが、説明を受けても正直意味が分からなかった。

現役当時はバリバリ仕事をしていて家族を顧みず、自分の家を建てるときも奥さんに全て任せたそうだ。

Mさんには娘さんが二人いて、彼女たちの成長を近くで見守りたいということから、単身赴任の仕事を辞め地元に戻っていた。

Mさんは幼い頃から"創造性"が豊かだった。

貧しかった家庭で育ったMさんは、粗大ごみの中から壊れたテレビやラジオを持って帰り、自分の手で直しては使っていたらしい。

私が大好きなエピソードとはそんなMさんの小学校の遠足での話だ。

今でもそうだと思うが、遠足のときに持ってくるおやつはいくらまでと上限が決まっている。

当時上限が100円だったらしいのだが、食いしん坊の幼きMくんは100円では自分の欲望を満たしてくれるほどのお菓子を買うことができない。

そこでMくんは考えた。

「100円でありったけの砂糖と小麦粉を買ってきて、それをまぶして油で揚げてかりんとうを作ろう!」

リュックいっぱいにかりんとうを詰めたMくんの遠足はさぞ大満足だっただろう。

自分の欲望を最高品質で満たしてくれる選択肢を、自らの手に取り戻すために私たちが持っている"創造性"を解放しよう

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