この一年アートを見続けてきた結果。

今年は東京に行くたびにいろんな展覧会や美術館をみてきた。

学生時代はずっとスポーツ、卒業翌年から独立して死にそうになりながら生きながらえてきたので余暇の時間がほぼゼロ。いわゆる趣味というか、余暇を過ごす何かを持ち合わせておらず、人としての幅がないのが僕なんですが、なので仕事の話以外何もできない。

近年、ビジネス界にアートの文脈が語られ始め、全然興味なかったけど、なんか昔からアーティストに反応してしまう自分がいたのでちょっと勉強してみようと、まず色々と見るようにしてみた。ZOZOの前澤さんが買ったバスキアの絵はすごいかっこいいと思ったんですよね。

じゃあなんか感じるものはあるはずで。それが何なのかずっと考えてました。

今日はARTS ECONOMICS KYOTO 2018にいってきたんですが、いろんな人の話を聞いててちょっとわかったかもしれない。自分が何でアートに反応していたのか。

こどもですね、きっと。

今年、近所の小学5-6年の子たちと、こどもだらけの株式会社ってのを作って、まちをおもしろくするためにできることを子どもたちが考えてやってみるっていうことをやってたんやけど、中々難しいんですよ。お金をそこまでうまないので、あまりリソースさけないのもあって。

でも彼ら彼女らを通していろんなこどもたちと話すようになって、誰一人かけることなくすべてのこどもに可能性が溢れてました。マジで何者にでもなれるし、なんでもできる。

こどもってアートだなと今日思いました。

スマイルズ遠山さんが、発意と範囲の話をしていました。自身が会社員時代に個展をやったこではじめて自分の責任で何かをやったと。自分の責任=(自分の人生の)イニシアチブを取るということなんだろうなと。その発意がアートの源泉で、責任持ってやらせる舞台をつくってあげるのは大事だなと思った。

ロボットの話で今井さんからは、こどもの頃抱いた、人が乗れるロボットを作りたいという情熱で今もやってる人たちの話を聞きました。こどものころの夢をそのままで大人になれたらいいなってずっと思ってたし、こどもだらけの子たちにそれは伝えたいことだった。

「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」を執筆された山口さんは、役に立たない意味あるものに価値がある時代になっていると言っていて、車に例えた話をされていました。役に立つこと自体に価値はなくなりつつあると。ランボルギーニは役には立たないけど意味あるもので日本車よりもドイツ車よりも利益率は高いと。あと、ありたい姿はアートの感覚がないと描けないと。

才能を開花させたい、は違うけど、個性が開花していくような舞台を作り続けたいなぁ。思った以上に子どもに対しての期待感がでかいと気づけたし、可能性を潰さない世界、日本でないといかんなぁと思いました。

この1-2ヶ月、あらたに始める新事業のビジョンやコンセプトの言語化のためにいろいろ考えていて、多分この辺がキーワードなんやろなーと思う次第。もう少し考える。

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