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ナイトバードに連理を Day 3 - B - 3

【前 Day 3 - B - 2】

(2591字)

「……私の話を、信じられますか」

 しばらく間を置いてから清心は訊ねた。早矢は唸りながら首を傾げ、頬杖を付き、机に突っ伏し、傍らのノートに手を置いた。

「……微妙な所だな。あの夢が空鳥さんのせいなのは、多分そうなんだろう。やり方はともかく順序は分かる……分かった。分からないのは、本気なのか、それとも悪戯なのかだ。手が込み過ぎてるし、こんなことをする理由がない」

 早矢は呟きながら自分の思考を整理し、ようやく顔を上げて清心を見た。

「そう、理由だ。理屈が全部言った通りだとしても、なんで俺にあの夢を見せたのかはまだ聞いてない」
「はい」

 清心は苦しそうに顔を歪めていた。しかしそう気付いた早矢が遮るより早く、清心は言葉を継いだ。

「今朝の夢を、犬吠くんはどこから見ましたか?」
「どこってそりゃ、気が付いたらなんか洞窟みたいなところにいて……」
「いいえ」
「いいえ?」

 清心の断定を早矢は思わず繰り返した。

「胎金界は確かに存在しますが、犬吠くんや私の肉体がそこに移動しているわけではありません。眠っている私自身を撮影して確かめました。あちらに移動できるのは、あくまでも意識だけです」
「そりゃ、夢だからな……。ん? いや、でも現実なのか。じゃあ、向こうにあった俺の体はなんだ?」
「平衡存在、と私は呼んでいます。こちらとあちらの世界において、双方向に影響しあう存在という意味です。つまり、あなたがこちらで起きている今も、向こうには眠っているあなたの平衡存在がいることになります」
「へえ……。こっちの俺が寝なかったらどうなるんだ?」
「無理です。眠ってしまう時間は不規則ですが、少なくとも七時間より早く目覚めることはありません」
「健康的だな。空鳥さんのも向こうにいるし、夢に出てきた連中もこっちにいるってことか」
「はい。おそらくは」

 早矢は二人の同級生のことを思い浮かべ、すぐに振り払った。

「……ともかく空鳥さんにこの本を見せられたおかげで、俺は向こうにいる俺を介して向こうの夢を見るようになった」
「はい」
「オーケー。で、それはなんのためだ」

 清心は吐き気を堪えるように深く呼吸した。

「私が発見した時、犬吠くんの平衡存在は命の危機に瀕していました。あの世界ではすでに治療法の確立した病に掛かり、衰弱し、治療を受けられる立場になかった。モッカという故国を失った難民でしたから。しかし彼を助けるために私にできることは、人から助けられる命の価値を彼にもたらすことだけでした」

 命の危機、難民、命の価値。馴染みのない言葉の羅列に、早矢は茶賣の言葉を思い出した。

「……お前はそれなりに役立った」
「なんです?」
「茶賣っていう、向こうで俺を雇った奴にそう言われたんだ。もうひと働きあるとか、夜目がどうとか……知ってるのか?」

 清心は話の途中で頷いていた。

「はい。それこそが、私が犬吠くんの平衡存在にもたらすことができた唯一の価値です。胎金界における、別世界の意識と知識を持つ者の呼び名、それが夜目です」
「別世界……こっちのことか。いや、そんなことに価値があるのか?」
「胎金界に生きる大多数の人々にはないでしょう。呼び名は知っていても実在するとは知らない、いえ、信じてはいない。しかし犬吠くんの平衡存在がいる社会においては違う。夜目は彼ら狢族の伝承の中に登場する存在です。鵺という超常存在からの預言、莫大な知恵をもたらす使徒として」
「鵺……」

 その単語には茶賣の口上で聞き覚えがあった。

「いや、預言をもたらすって言われてもな。そんな大それたことは知らないし、莫大な知恵なんて俺から出るわけないだろ。価値があるって言ってもすぐにバレて……」

 考えながら話し続けた早矢はそこで言葉を切り、手元のノートを再び見下ろした。早矢が顔を上げると、さらに表情を固くした清心と目が合った。

「過去十年、私はほとんどの時間を在りし日のモッカで過ごしました。この記録には胎金界の一個人が知りうる以上の情報が残っています。夜目という伝承の実態は分かりませんが、これを使えば」
「夜目のふりをして生き延びられる」

 早矢は頷き、しかし頭をガジガジと掻いた。

「……茶賣の要求次第じゃないか? 火事場泥棒とか言われてた奴だ。どれだけモッカってとこに詳しくても、使える情報があるかどうか」
「確かに、狢の方々が夜目をそういった方に差し出したことは想定外でした。ですがむしろ要求ははっきりしたと思います。おそらく、彼の狙いは門石という鉱石です」
「鉱石? ああ、そういえば人手がどうとか言ってたが」
「門石、こちらで言う電気のように胎金界で普及している資源です。水と反応して魔法のようなエネルギーを生み出します。モッカは門石の産出と加工で栄えた国でした。茶賣という人物がその遺物を探すために夜目を、犬吠くんを雇ったとすれば、その在り処は私の記録にもいくつかあります」

 清心は勢いづいて並べ立てたが、早矢はむしろ眉をひそめた。

「……理屈は分かってきたし、せっかくなら向こうの俺を助けたいとは思う。けど、正直言ってうまくやれる気がしない。それに、俺が向こうの体に入るとき元の奴の意識とか記憶とかはないっぽいんだが、これで生きてるって言えるのか?」
「……平衡存在の意識がどうなってしまったのかは、私にもわかりません。そもそも正確に言えば、私が助けたのは犬吠くんの平衡存在ではなく、今ここにいる犬吠くん自身ということになると思います」
「俺? 俺は別に、大変な病気とかにかかっちゃいないぞ」

 清心は首を横に振った。

「平衡存在という言葉は私が考えました。過去の事例からの推測ではありますが、現実と胎金界、そのどちらかで誰かが命を落とせば、もう一方でも同じことが起こる。……モッカが滅んだのはひと月前、こちらのアレド地区の事件と符合しています。平衡をとるように」
「……夢で死んだら、俺も死ぬ?」

 早矢は呟いた。口に出してみたところで実感は湧かなかったが、夢の中の質感を思えば否定する気にもなれなかった。清心は大きく頷き、泣き出しそうなほど顔を歪めた。

「この状況を変える方法、元の生活に戻る方法を、私は知りません。犬吠くんはこの先いつまでも、こちらと向こう両方の世界で生きることになります。だから、巻き込んで本当にごめんなさい。それでも間に合って、犬吠くんが生きていて、本当に良かった。どうか私に助けさせてください」 【Day 4 - Aに続く】



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