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ナイトバードに連理を Day 6 - B

前(Day 6 - A - 5)

(2301字)

「モテ期か。笑えるな」

 S図書館受付で掛けられた声を早矢は適当にあしらった。清心、近衛を先導して階段を行くその心は昨日よりは軽かったが、同時に昨日以上の疑念を抱えていた。

「じゃあ、順調ってわけね」

 三人は会議室に腰を落ち着けて胎金界の状況を共有した。近衛の感想を否定する声はなかった。

「頼……向こうの友達がここまで無茶するとは思わなかったけどな。おかげでうまく回った。俺は夜のうちに基地を出る」

 早矢は言い切った。もし読みが外れたとしても今ここでできることはない。近衛もそのニュアンスを感じ取り、不満を顔に出しながらもあえて噛み付くことはしなかった。

「まあ、うまくいくことを祈るしかないか」
「ココちゃんはその後が大変だもんね」

 机に顎を置く近衛に清心が微笑んだ。

「やめてって、緊張してるんだから」
「そっちは頼が残ってる。何とかなるだろ」
「バカなの? その人のこと知らないから困ってるんじゃん」
「バカじゃねえ。俺は向こうの世界の先輩様だ」
「先輩じゃないよ。ノートを見てもらったのはココちゃんの方が一日先だったから」
「マジかよ」

 そうしてしばらく緊張感のない時間が続いた。他に打ち合わせに使える場所はないかなどという話から学校、教師の話に脱線が続き、しばらくして清心による胎金界の情報共有が始まってからも、気の抜けた空気は変わらなかった。

「――それから、水門石。ノートを見返してるけど、やっぱりそれらしい情報は見当たらない。ごめんね」
「まあ、どうせ茶賣の奴に教えるわけにもいかないんだ。いっそ知らない方が気楽だよ」
「って言っても、選択肢は多い方がよくない? 清心ノート、私らも読んで探すのはダメかな。ちらっとしか見たことないし」
「……それもそうか。今日は持ってきてないのか?」

 早矢は簡単に意見を翻した。その心には七との会話、清心の情報の異常性が引っ掛かっていた。実物を見れば形容しがたい不安を消せるかもしれない。早矢の楽観的な予測は、困惑に眉を歪める清心の姿によって霧散した。

「ごめんなさい。外に持ち出すのは不安で……」
「あー。じゃ、清心の家で見よっか。もちろん行くのは私だけで」

 近衛は悪戯っぽく笑って早矢を見た。

「いや真顔ー。本気でキレてるじゃん」

 早矢はそう言われて初めて自分の硬い表情に気付いたが、口角はピクリとも動かずどうにもならなかった。

 ここだ。清心は初めて向き合った日以来ノートを見せようとしない。その理由が疑問の答えになるという確信が早矢にはあった。

「空鳥……。もしまだ秘密があるなら、もう驚かないから話してくれないか」

 早矢は清心をじっと見て言った。清心はその視線を正面から受け止め、なぜかほっとしたように頷いた。その雰囲気は早矢が拍子抜けするほど穏やかだった。

「あんた急に何を……」
「いいの、ココちゃん。犬吠くんの言うことは本当だから。ちゃんと説明する」

 清心は近衛を制し、鞄から取り出したノートを机に置いた。その表紙には1122とだけ記されていた。

「……1122? この間見たのはそんなに大きい数字じゃなかったよな」
「全然話についていけてないんだけど……私が見たのは#23だったわ」
「……うん。これは二人に見せたノートの、前の巻」

 早矢と近衛は机の対岸から目を見合わせ、奪い合うようにノートに手を伸ばした。清心の隣に座っていた近衛が必然的にノートを引きよせ、早矢は机を回り込んでその背後に急いだ。

「嘘をついてごめんなさい。二人を混乱させると思ったら、話すタイミングを失っちゃって」
「出た心配性。そんなのもう大丈夫で……2018年3月、25日?」

 ノートを開いた近衛が呟いた。早矢も#23と同じように真っ黒に書き込まれたページに目を走らせようとしたが、その言葉に躓いた。

「待て、23、いや1123には確か……」
「2018年3月28日のページがあった。ってことは、三日で一冊書ききってるの?」
「よく覚えてるなお前。いや、何をそんなに書くことが……」

 改めてノートを読み始めた早矢はその理由をすぐに理解した。清心の記述はあちこちの地名、様々な人物の描写が断片的に次々と現れ、そのどれもが同じ一日のできごとになっていた。それは明らかに一人の人間の視点だけを追ったものではなかった。

「……私と胎金界の繋がり方は二人と違ってね。私は――」

 はにかんでいた清心の言葉は、彼女自身が急に立ち上がり引き倒した椅子の音に掻き消された。

「ダメっ、そんな!」
「清心!?」

 近衛は咄嗟に清心の手を掴んだ。早矢はそれすらもできず、清心のぎゅっと瞑られた眼と白い顔を呆然と見た。

「あ、ああ……」

 清心は言葉にならない声を漏らしながら椅子にへたり込み、そして頭を抱えて胎児のように体を丸めた。

「どうしたの清心、おなか痛い?」

 手を握り続ける近衛の呼びかけにも清心は体を起こさず、だがそのままの姿勢で口を開いた。

「……聞いて。私には、二人と違って胎金界に平衡存在がいないの。私が胎金界を見るのは、むこうで誰かが鵺の名前を呼んだ時。見えるのは、その周囲の場面。いつでも、いくつもの場面が同時に見える。今この瞬間も見えているの。二人を見つけられたのも、ノートの中身があちこちに飛んでいるのも、そのせい。
「けど見えるだけ。その場に私の体はないから、鵺の力を求める人の状況を知ることはできても、助けられない。だから今も、どうすることも……」

 その声は小さく、かすれていた。早矢と近衛に見つめられながら、清心は眼鏡の上から左目を抑えて顔を上げた。右目からは涙が流れていた。

「……たくさんの狢が鵺の助けを求めてる。その声が、どんどん減ってる……。基地が、大獣に襲われた」 【Day - 7 - Aに続く】

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