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ナイトバードに連理を Day 4 - A - 3

【前 Day 4 - A - 2】

(1679字)

 腰を下ろし足を伸ばし、両手を尻の向こうに着き、まずまず快適な体勢を保ちながら、早矢は初めて意識を保ったまま胎金界の日の下に出た。雲一つない空は非現実的なほどに突き抜けて青く、それでもただ見上げているだけならば、元の世界にいるのと何も変わらないようでもあった。

 早矢が寝かされていた洞窟は、山のように巨大な岩をマンションのように縦にくりぬいた構造の居住空間だった。頼曰く早矢たち以外にも本来の住人がおり、茶賣が金を払って部屋を借りたとのことだったが、早矢が彼らと遭遇することはついになかった。

 頼と二人きりの朝食は慌ただしかった。根菜がふんだんに入ったスープ、豆に似た風味のペースト、香辛料の効いた甘辛いパンのようなもの。豪勢だったのか違うのかすら早矢には分からなかったが、手掴みとスプーンで食事をこなせたことは助かった。その多層的な匂いと塩気の強い味付け、なによりも空腹に食欲を加速され、早矢は夢中で食べきった。

 出発から体感で一時間。早矢は目を下ろし、自らの肉体が存在する荷台を見た。実態はその呼称以上に簡素なもので、奇妙に胴の長い車両の屋根に手すりを取り付けた空間に過ぎなかった。

 車両。胎金界に車輪があることは清心から聞かされていたが、やはり不思議な感覚だった。

 早矢はあちこちに取り付けられた工具らしきあれこれと共に振動しながら引き続き途方に暮れた。乾ききった地面と空の間、枯れた白い木々を脇に寄せただけの道で無限軌道を転がし、茶賣の一行十人足らずを悠々と運ぶその巨大戦車を、頼たちはボートと呼んだ。

 戦車の実物を見たこともない早矢の目にも、それは威容というより異様に映った。大型自動車を縦に二台、横にも二台、前後には三台並べたほどの巨大な造形に、砲塔と無限軌道、荷台が張り付いたそれはもはや陸上を動くものとしての感覚の外にあり、60km/hはありそうな速度で流れる地表と相まって早矢の常識を酩酊させた。

 何よりボートは異常に静かだった。機械特有の複層的なエンジン音を一切発さずに、それは荒野を走っていた。

 地面を踏む無限軌道と吹きすさぶ風の音も、早矢の抱いた違和感を消し去るには足りなかった。早矢に戦車の知識はなかったが、それでもここまで巨大な物体が駆動音も立てずに動くはずはないと思われた。

「や、暑くない?」

 砲塔の後ろ、荷台から車内に繋がる梯子から頼が顔を出し、這い上がりながら言った。だらけきった視線を送る早矢の隣に腰を下ろし、荷台の縁から足を虚空に出し、頼もまた流れて行く景色を眺めた。

「よく飽きないね」
「中よりましだ。居場所がない」

 早矢は緊張感なく言った。頼の軽薄な態度にはそうさせる雰囲気があった。

「持ち場がないのは僕も同じさ。客席でふんぞり返っていればいいじゃないか」
「ふんぞり返ってるだろ。俺はこんな景色見たことないしな。お前らにとっちゃ、普段通りの世界なんだろうが」
「そうでもないね。わりと気が滅入るよ」

 頼の言葉の意味をじっと受け止め、早矢は唇を噛んだ。

「悪い。故郷だったな、お前の」
「君の、でもある。その認識を羨ましいとは思わないけど」

 頼の横顔は言葉とは真逆の感情を語っているように見えた。そう思った早矢が感傷に浸ることを許さないように、頼は勝ち誇ったような笑顔ですぐに振り向いた。

「水を貰ってきたんだ。ここはもうずっとこの天気だし、こまめに飲んだほうがいいよ」

 頼は腰から外した竹筒、に見える何かを早矢に差し出した。自覚のなかった喉の渇きといささかの気まずさに促されるまま、早矢は水筒を受け取り、感謝もそこそこに仰ぎ飲んだ。それは確かに早矢の知る水と同じ無味無臭で、間違いなく美味しかった。

 早矢は浴びるように水を飲み、最後には本当に頭から浴びた。小さな水筒をあっという間に空にした早矢は喉を鳴らして息を吐き、そしてようやく頼が眉を顰めていることに気が付いた。早矢は水筒を持つ手をそっと下ろした。

「……俺、なんかまずいことやったか?」
「……んー、真水をそこまでゴクゴク行く狢は、モッカでは珍しいかもね」

 頼の目には、早矢が初めて見る怯えが現れていた。 【Day 4 - A - 4に続く】



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