#10 「教師」というの仕事②【教科指導】

前回は教師という仕事について概要を述べてみました。

今回は「教師」という仕事の「教科指導」にフォーカスして書いていきます。

「教科指導」とは

「授業」です。

「授業」を成り立たせるために、事前準備及び事後処理は欠かせません。
学校や教科によっては、これに莫大な時間がかかります。

わかりやすい板書計画を立てたり、プリントを作成したり、小テストを採点したり、課題をチェックしたり…

教師それぞれのペースでこれを進めていきます。

授業だけで済むのであれば、どれほど楽になるか。想像もしたくありません。

大学でよく作らされるいちいち「指導案」なんかは作る間もありません。それを作る暇があったら、別の仕事(生徒指導や分掌など)をします。
3月ないし4月の時点で1年間の具体的な計画、いわゆる「シラバス」に従って「授業」を行っていきます。
(まあ大体途中変更されますが…笑)

教員の本業はこれです。
授業が第一なのです。

しかし、それが疎かになるくらい、それ以外の「仕事」に忙殺されることも珍しくありません。

定期考査とその採点

「教科指導」の中には考査(テスト)の作成や採点も含まれます。
テストの作成もまた、学校や教科、教員でそれぞれ。
また、いつ作るかもそれぞれ。そもそも定期考査を実施するかもそれぞれ。

テスト実施当日に間に合うこと、ただそれだけを守れば制限はありません。(実施前にテスト問題を流出させないという制限はあると思われますが、それも「受験者全員に」テスト用紙を配布をするなど、成績をつける関係上平等に扱っておけば、無問題です。)

そして、採点。
この時だけは、赤ペンが異常に消費されていることでしょう。
今年度の私は、40人クラスを5クラス担当しており、200枚の採点を年間に五回、つまり1000枚くらいの採点を行う予定です。
なんとなしに書きましたが、多い。びっくりしました。

そんな最中、
最近デジタル採点なるものを我が校でも導入し、採点の時間は大幅に短縮されました。

何がそんなに時短につながったというと
「点数合計」「平均点算出」です。

問一が1点で、問二が2点……

従来は全部手計算。よくそんなことやってたなと今では思います。

話はずれましたが、教科指導には考査(テスト)も含まれます。

成績不振者に対する指導(補習、追試)

授業、考査で一定の成績を修めることができなかった生徒が毎年若干名います。
これもまた学校や科目、教員それぞれですが、その生徒を見捨てずに、もう一度チャンスを与える「追試」があります。
これも「教科指導」の一つです。

指導の中身はここまでの授業内容を圧縮して、時には易化させ、できるだけその科目を「修得」させます。

「履修要件」を満たしていれば、どれだけ不真面目であろうが、定期考査で点数を取れなかろうが関係なく、全員に与えられるものです。

「誰にでも」です。

担当教員の指導力不足と言ってしまえば、そこまでなのですが、極端な話、「やる気なし」の生徒の相手をしなくてはならない。ということです。
生徒自身の自業自得なことが多いのですが、そこに担当教員が出動する。
どんなに真面目に、丁寧に「教科指導」をしていても、そんな生徒が現れます。

これも「教員」の仕事です。

おわりに

「教員」という仕事。
そもそも、私を「教員」たらしめるものは何かというと、「免許状」です。

私は、「高等学校教諭一種免許状(国語)」を取得しています。私は、「高校」の「国語」の「教諭」。国語を教える先生です。

国語の授業をするのがあたりまえ。
それ以外の教科の授業を生徒に教えても、その生徒たちはその教科を修得できません。

つまり、「教科指導」が第一。
私の仕事は「授業」です。

しかし、現実はそう甘くはなく、生徒指導も校務分掌も、委員会活動も、担任業務も、部活動も。
これら全てを放棄できたら、もっと「いい授業」を作れるはずです。


これを読んだ方に共感していただけると嬉しいです。
(コメントをいただけるともっと嬉しいです。笑)

また、今、そしてこれから「教員」を目指す方が、これを読んで、「教員」の夢を諦めることがないように、補足しておきます。

「教員」という仕事は、大変で、苦しいものです。

でも、それを忘れさせてくれるものがあります。
それは、「生徒」という存在です。

「生徒」がいるから「教員」がいます。
逆はあり得ません。

将来、大人になる「生徒」たち。
彼らの成長する姿を、親の次に近くで見ることができる仕事は「教員」以外にはありません。

私は「教員」という仕事に誇りを持っています。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

おまけ 私の授業に対する考え方

ここからはおまけです。よかったら読んでいただけると幸いです。

私がこの授業を行ううえで意識したいのは

「何を教えるか」
ではなく、

「何をできるようになってもらうか」
です。

単元独立で、「この知識はここでしか使わない」ということを極力なくすようにしています。
そうしないと、その時の授業がその時だけで消費されるだけになってしまいそうだからです。

言い換えると、テストのために勉強をする。
テストが終わると忘れちゃう。

とても勿体無い…!

特に私の担当の「国語」という科目は生活の中で生きてくる「知識の得かた」を教えているといっても過言ではありません。古文・現代文問わず、日本語で書かれた種々様々な文章、情報をいかに正確に読むことができ、自分の力で学ぶことができるのか。

そんな力をつけて欲しいです。

いくら生徒にそれを説いてもなかなか浸透しないという現実がいつも私に頭を抱えさせます。

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