国道16号線(2011)

 8月15日、終戦記念日。夜に元はぱちか村であった高円寺のパボカフェで軽くラウンジDJをする。昼間に気合を入れまくって部屋の大掃除などをしてしまったせいか、出発直前に眠くなり、お昼寝。そして遅刻。まあたいした問題ではないのだけれど、それでも遅刻するということには少しばかりの焦りが付随する。そのようにぼくの日本的身体はセッティングされている。19時51分急行新宿行きに乗り込み、新宿に着いたら20時13分の三鷹行きの黄色い電車にすべりこむ。約11分で高円寺に到着し、徒歩5分かけてパボカフェに到着が20時30分。30分の遅刻。ゆるい催しでよかった。なんということはないが、このような計算を、遅刻においては背負わされる。
 終電は0時10分であった。23時30分にサンカクサキコからDJを交代し、その晩の雰囲気を締めくくるような選曲に入る。ハウスでBPMを2曲ほどキープし、そのあとここのところよくかけているメロウなD-Pulseの曲でスローダウン、最後はグウェン・マクレーのクラシック「ファンキー・センセイション」で〆。最後の曲がフェードアウトしたのが23時55分。約5分で皆さんに挨拶をして、またよろしく、たのしかったね、とパボカフェをでたのが0時3分。駅までの帰り道は軽い上り坂なので徒歩6分。0時9分、ちょうど1分前に最後の電車に間に合う。新宿で小田急線に乗り換え、0時25分発各駅停車向ヶ丘遊園行きで帰宅。シャワーをあびて一息ついて、就寝は2時。明日は木更津の実家に帰る。両親には昼ごろには帰ると言ってあったので10時に目覚ましをセットする。睡眠時間はじゅうぶんにとれる。二日酔いになるほど飲んだわけではないので、だるさもさほど残らず、予定通りに起床。12時前には登戸を出発。
12時10分南武線に乗る。武蔵小杉着が12時27分。総武線快速君津行きが12時36分発。乗り換えはスムーズだが、何しろ暑い。汗だくになって、贅沢にもグリーン車で帰省。そのあいだに父親からメール。「何時に着くの?」「14時20分ぐらいかな。」と返信。「了解。」との返事。よしよし、予定通り。両親は時間にうるさい。そのあと母親からメール。「何時に着くの?お父さんからは14時20分ごろに着くときいたけどあなた本当に来るの?」さすがにイラつく。「14時20分に着くよ。本当です」と返信。電車は滞りなく進み、14時20分、木更津到着。何か文句があるのか!
 夕食は回転寿司を家族で食べに行った。回転寿司屋も、東京のそれらとはくらべものにならないほど(とか言うと大げさだが)敷地面積も大きく、自動車が主な(というか、それ以外はありえない。免許のない僕は住めない)移動手段となっている土地だけあって道路沿いに立てられた看板もやたらとでかい。ぼくにとって帰省とは看板の大きくなる土地へと移動することである。国道16号線に身を寄せるということなのである。
 我が家では昔から夕食の時刻は18時であった。8月16日、その日も例外ではなく、きっかり18時には食物を胃に入れることができるように、17時50分には家族は自動車に乗り込み、回転寿司屋を目指す。しかしすでに寿司屋は満席。3組ほどの家族客が順番待ちをしている。順番待ちの名簿に苗字を記し、15分ほど待つと、席が空く。18時15分、食事開始。生の魚介類をガツガツ食べ始める。ここではだれも放射能のことは気にしていないようだし、そのような話題も巧妙に避けられているようにみえる。どこにでもある郊外の、外食の風景が、まるであの大災害などなかったかのように、淡々と展開されている。だからなおさら、東京で外食をするとき以上に、この生魚は安全なのか、3月11日以降恒常化してしまったそのような不安は倍化された形で、ぼくには襲いかかっていた。しかしそのような不安を口にするような雰囲気ではないし、それは久々の家族の会食にふさわしい話題でもない。18時40分、食事終了。さてどれだけの量の放射性物質がぼくの身体にとりこまれたのか、何ベクレルなのか、それを数値化する手段は、国道沿いのその空間には、まったく存在していなかった。
  
 さて、実家の本棚に村上春樹の「1Q84」の第一巻をみつけたので、読むことにした。たぶん母親が買ったものであるのだろうけれど、読了した形跡はなく、しおりが60ページぐらいのところに挟まれたままであった。実家に到着して一息ついたあとの15時過ぎに読み始めた。それまで村上春樹にほんとうに夢中になったことなどなかったのだけれど、これには引き込まれた。第一巻は全部で550ページ。回転寿司屋に出発するまでの約2時間半のあいだで250ページあまりを一気読み。そして食事から帰宅してから23時30分ごろになるまでの約4時間で、残りの300ページを読みきった。地元の友達と会う約束をしているわけでもなかったので、8月16日の夜はとくにすることもなく、自分史上これまでにないような恐るべき集中力で読書に没頭した。気がつけば夜中。久しぶりに、面白い小説を読んだという実感である。
 20時か21時になると、木更津の住宅街には、ほんとうに文字通り、人っ子ひとりいなくなってしまう。これはぼくにとってはちょっとした恐怖でもある。徒歩5分のところにコンビニがあるのだが、そこまで出かけていくことをもちょっと躊躇させてしまいそうな不気味さが忍び寄ってくるのである。夜の足音に怯えるということが、東京からこうしてちょっと離れるだけで体感することができるのである。小説に夢中だったから外に出て行ったわけではないが(そして外に出てコンビニに行く必要性も実はないのだ。そういう生活なのである)、そのような不気味さを感じながら村上春樹を読んだ。「1Q84」自体もなかなかに不気味なムードを湛えた物語で、東京に暮らしていてはなかなか味わうことができない夜への畏怖が、なぜだか見事にその行間にマッチしていたように思える。ひょっとしたらこれは恐怖小説ではないのかと思えるほどだった。
 おそらく21世紀の恐怖の物語は、それまでに「ホラー」と呼びならわされてきたジャンルからはズレをみせているし、そうならざるをえない。ジョージ・A・ロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」がホラー映画の意味を革命的に変えてしまったように、「1Q84」は、都会において失われてしまった夜への怯えを、夜への想像力を回復させてくれている。怪物が出てくるわけでもない、ただ、その夜の空間に人間(の生)が占める位置がまったくないということがじつはほんとうに怖いものであることを示しているような気がした。なるほど「1Q84」には人間たちの営みが描かれてはいるが、その存立には都会が不可欠で、行間において怖いということはつまり都会を離れたらどうなるかということに戦慄するという意味である。だから都会はそのような類の恐怖への防衛線であるが、じつはそれは郊外において破壊されつつある。この侵略はいったいなんなのか。放射能のせいか。まだ1巻しか読んでいないからなんともいえないが、ゾンビすら存在しない夜の空間、もっといえば、放射能はゾンビをも破壊し、すべての生の存在を(そして死をも)無に帰する。ロメロの映画では放射能の影響で死者が蘇ったが、もはやそれすらなくなる。3月11日以降に恐怖の物語を紡ぐことはいかに可能なのか。敵も怪物もいなくなった。純粋な強度をもった、数値化もできない、抽象的極まりない恐怖と不安のみ。都市で暮らすことがいかにそれに抗えるのか。そのような問題提起が勝手に到来する。もちろんこれは3月11日以前に書かれたこの物語に対する大いなる勘繰りではある。
 深夜1時就寝。朝5時に起床。8月17日、お盆明け、仕事が始まる。6時10分木更津駅発、7時20分新宿駅着の高速バスで出勤。さようなら国道16号線。8時半から仕事は始まるから、8時まで駅の近くの喫茶店でECDの「ECDIARY」を読んで時間をつぶす。8時20分、中野富士見町着。駅から徒歩3分、職場着。8時25分、デスクのパソコンの電源を入れる。夏休みはこれでおしまい。帰り際「東京にもセシウムたまってるでしょ?」と父親が言った。「たまってるよね」と返す。「いつ計ったんだよ」と父親が笑う。元東電社員でもそんなことをいうのだから、もはやだれもなにも気にしていない。ガイガーカウンターは何の武器にも防具にもなりはしない。また8月には反原発サウンドデモがあって、DJをする予定だ。東京に住むことが、ささやかな救いなのか。

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