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授業の始めと終わりに祈るイスラム教徒たち(国際イスラム大学にて)

私は、マレーシアのGombakというところにあるInternational Islamic University Malaysiaでイスラム神学と比較宗教学を専攻している大学生です。

いうまでもないですが、この大学にいると、生活の小さなところからイスラム教によって行われる慣習や、友達や教授の言動から、イスラム教とムスリムたちの世界観を垣間見ることがあります。

今回は、大学の授業の始まり方と終わり方がどんな感じなのか少し紹介します。

授業のはじめに、教授が、クルアーンの第一章 (Surah Al-Fatiha 開端章)を朗誦しましょう。"Let's recite Surah Al-Fatiha" と言って、教授とクラスメートたちが朗誦して祈りをしてからクラスが始まります。

例えたら、日本の小学校から高校の授業の初めに先生と生徒が「よろしくおねがいします。」とあいさつするときのようなタイミングで、ここの学生と教授たちは、クルアーンの第一章、Surah Al-Fatiha(スーラ アル=ファーティハ):開端章)を朗誦します。
(※Surah はアラビア語で章という意味です。)

クルアーンの第一章であるSurah Al-Fatihaは、どのような内容かというと以下👇のような感じです。(サイード佐藤さんの日本語訳を添付させていただきました。)
対訳 章 開端章 - 日亜対訳(日本語) - サイード佐藤 - クルアーン百科事典 (quranenc.com)

بِسۡمِ ٱللَّهِ ٱلرَّحۡمَٰنِ ٱلرَّحِيمِ
慈悲あまねく*慈愛深き*アッラー*の御名において。
ٱلۡحَمۡدُ لِلَّهِ رَبِّ ٱلۡعَٰلَمِينَ
全創造物の主*、アッラー*に称賛*あれ、
ٱلرَّحۡمَٰنِ ٱلرَّحِيمِ
慈悲あまねく慈愛深きお方、
مَٰلِكِ يَوۡمِ ٱلدِّينِ
報いの日*の支配者(に)。
إِيَّاكَ نَعۡبُدُ وَإِيَّاكَ نَسۡتَعِينُ
私たちはあなただけを崇拝*し,あなただけにお力添えを乞います。
ٱهۡدِنَا ٱلصِّرَٰطَ ٱلۡمُسۡتَقِيمَ
私たちを、まっすぐな道¹へとお導きください。
صِرَٰطَ ٱلَّذِينَ أَنۡعَمۡتَ عَلَيۡهِمۡ غَيۡرِ ٱلۡمَغۡضُوبِ عَلَيۡهِمۡ وَلَا ٱلضَّآلِّينَ
あなたが恩恵をお授けになった者たち、つまり、(あなたの)お怒りを受けるでもなく、迷うでもない者たちの道へ。

または、クルアーンの第20章の25節から28節を朗誦するときもありますし、クルアーン第一章と、この節の両方を朗誦する時もあります。

رَبِّ اشْرَحْ لِي صَدْرِي وَيَسِّرْ لِي أَمْرِي وَاحْلُلْ عُقْدَةً مِنْ لِسَانِي يَفْقَهُوا قَوْلِي
"My Lord, expand for me my breast [with assurance] And ease for me my task And untie the knot from my tongue That they may understand my speech.”

このクルアーン第20章25節から28節は、祈り(ドゥアー)としてよく朗誦されていますが、どんな時にイスラム教徒はよく朗誦しているかというと、例えば、ある人が、人前で話をしたり、スピーチをしたりする際、それがうまく実行されるよう、アッラーに対して祈る時に、イスラム教徒はこの祈りの言葉を言っています。

このドゥアーはクルアーンの第20章(ター・ハー章)に書かれていて、この節のすごく簡単な背景としては、アッラーが預言者モーセに、ファラオの元へ行き、彼がイスラエルの民を奴隷にしたり、拷問したりすることは間違っているということを伝えるという任務を与えました。そして、預言者モーセは、アッラーからの命令を遂行し、ファラオに伝えることができるように、このドゥアーを朗誦したとして、クルアーンに書かれています。

なので、イスラム教徒たちは、よく物事を始める前や、人前で何かを話す前、スピーチをする前などにことのドゥアーを朗誦しています。大学生活では、特に、教授が授業を始める前に、この言葉を言っていました。

反対に、授業が終わる時は、教授と学生は、Tasbih Kaffarahとクルアーンの103章(時間章:Surah Al-Asr)をよく朗誦します。 また例えると、小学生が授業の終わりにみんなで「ありがとうございました。」と言って、授業が終わりますが、イスラム大学では、教授と学生が、このこの2つを朗誦してから、授業が終わります。教授が “Let‘s recite Tasbih Kaffarah and Surah Al-Asr“と言って、教授とクラスのみんなが朗誦し初めて、言い終わってから、クラスが終わります。

Tasbih Kaffarahという言葉の意は、どういう意味かは、わかりません。いつか友達に聞いてみようと思います。
どんなことを朗誦しているかというと、アラビア語で以下の唱えています。👇

سُبْحَانَكَ اللَّهُمَّ وَبِحَمْدِكَ، أَشْهَدُ أَنْ لَا إِلهَ إِلَاَّ أَنْتَ أَسْتَغْفِرُكَ وَأَتُوبُ إِلَيْكَ
Subhanaka Allahumma wabihamdika asyhadu an la ilaaha illa anta astaghfiruka wa atubu ilaik
( Glory be to You O Allah, and all praises be unto You, I bear witness that there is no god but You, and I seek pardon and repentance from You.)

なぜこれを朗誦するかというと、預言者ムハンマドが、人々の集まりが終わる際には、これを唱えるという教えがあるからだそうです。
より詳しいことは、よくわかりません。これについても、友達に聞いてみようと思います。

そして、☝️の言葉を朗誦した後に、続けて、クルアーンの103章(時間章)を朗誦します。内容はこんな感じです。👇

وَٱلۡعَصۡرِ
時間にかけて(誓う)。

إِنَّ ٱلۡإِنسَٰنَ لَفِي خُسۡرٍ
本当に人間は、まさしく損失の中にある。

إِلَّا ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ ٱلصَّٰلِحَٰتِ وَتَوَاصَوۡاْ بِٱلۡحَقِّ وَتَوَاصَوۡاْ بِٱلصَّبۡرِ
信仰し、正しい行い*を行い、真理(の固守とアッラー*への服従)を勧め合い、忍耐*を勧め合う者たち以外は。

*(サイード佐藤さんの日本語訳を参照)
https://quranenc.com/ja/browse/japanese_saeedsato/103

この章の名前は、Surah Al-Asrと言いますが、Asrは時間、時代を意味しています。
Surah Al-Asrは、預言者ムハンマドがメッカにいた時に啓示された章だと言われています。そして、この章の内容は、主に、ムスリムとしての時間の大切さをリマインドするようなものです。

授業や集会などの最後にこの章を朗誦するのかの、詳しい理由は、私はよくわかっていません。調べてみると、あるWebサイトには、預言者ムハンマドの弟子(サハーバ)が、面会を終えて、二人が別れるときに、この章を朗誦していたという伝承があると書かれてありました。その伝統が、今もイスラム教徒の間で、行われているということかもしれません。

ここでの大学生活を始めて間もない頃は、みんなが何を言っているのかもわからず、これがなんなのかもわからず、とても戸惑っていました。しかし、だんだんとここでの生活に慣れてくると、私にとってもこれらは、授業の流れの一部となりました。笑
私は、イスラム教徒ではないので、みんなと一緒に朗誦することはないですが、その時の私は、ただクラスの席について、みんなの朗誦を聞いています。

この習慣は、イスラム教の教えや、クルアーンによって行われているけれど、もしかしたら、マレーシア国際イスラム大学特有のことかもしれません。マレーシアの他の大学や中東の普通の総合大学では行われていないかもしれません。
もし、何か知っていることがあればぜひ教えてください。

おしまい。

*以下は参考にした、Webサイトです。

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