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時代劇のおまんじゅうの話

時代劇が好きだ。
子供の頃は、大岡越前が好きで毎日見ていた。
榊原伊織役の竹脇無我さんのかっこよさを思い出す人も多いのではないかと思う。
村上源次郎役の大坂志郎さんを見て、「源さん」と呼びかける大岡越前守が思い浮かべば、立派な大岡越前ファンでしょう。

長年愛される大岡越前の簡単な説明

簡単に説明しておくと、30年近く放送されたモンスター級時代劇であり、加藤剛さんが長年主人公の大岡忠相(おおおかただすけ)を演じ続けた作品です。

大岡越前 (テレビドラマ) - Wikipedia

人情の厚いお奉行様が、悪いやつをお裁きしてこらしめます。
裁判官とか警察とかのお話ですね。
未だに再放送されてます。

大岡越前のここが好き

キャストとの関係性

主要キャストが変わらないことが好きなポイントで、いつみても安心安心。「なんでこの役、この人になったんやー」というのがない。(たぶんない)

大岡忠高を演じた片岡千惠藏さん(「おい!忠相!」)が亡くなった時は、そのまま代役はなしとして、劇中でも亡くなったことになっている。
かなりの名物キャラクターなので、脚本も大きく変わってしまうだろうに、代役を立てない判断は、忠高=ちえぞーさんという視聴者のイメージを崩さないための、視聴者目線に立ったものだと勝手に思っている。
※後任の俳優のプレッシャーもすごそうだが

視聴者目線で言わせてもらうと、第10部がとてつもなくさみしい。
源さんいないから。
あ、ちょっと目がウルウル。
しかも、村上源次郎追悼のお話もある。

キャラクターの成長が楽しめる

長年続くシリーズのため、上記のように現実時間の変化が劇中に反映されることがあるわけだが、劇中のキャラクターもシリーズと共に年齢を重ねることで、身の回りの状況が変わっていくのも楽しみの一つ。
結婚、再婚、殉職で捕り方(警察)にも犠牲が出たり、若手だったのがベテラン化して最前線から、後方の指示側に回ったりと、各キャラクターの成長も楽しめる。

大岡越前の好きなキャラクター

私が特に好きなキャラクターといえば、高橋元太郎さん(水戸黄門のうっかりさん)が演じたすっとびの辰三(たっつぁん)で、生い立ち話や恋愛話など、せつない回も多いのでおすすめ。
すっとび辰の片思い すっとび辰の失恋 無情の捕縄(むじょうのほじょうで韻を踏んでるYEAH)

大岡越前のここが好きのまとめ

こういった点だけからでも、大岡越前という時代劇が、長い歴史の中で、視聴者とリアルな時間を共有すると共に、そのストーリーの中でもキャラクターを成長させたことが、愛される理由のひとつかと思う。

おまんじゅうの話

ここでやっと本題のおまんじゅうの話。
けっこう夢中になって大岡越前やその他の時代劇を見ていた幼稚園ごろの私。

確か最初のきっかけは大岡越前だと思うが、時代劇を見ていて、「いつもおまんじゅうが出てくるなー」と思っていた。

悪いやつのところに、悪いことをしているお店の人が、白いおまんじゅうを渡して、

「へへへへへ、これでひとつ」「おぬしも悪よのー」「ニャハハハハハハ」

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なんでおまんじゅうを渡すと、あんなに嬉しいのだろうか??
おいしいから??
寿司っぽいルックスだし。
おまんじゅうでも高いおまんじゅうかもしれないな。

純白梱包と栗まんじゅう

小さい頃、近くのだんご屋(和菓子屋さんですが、時代劇の影響でだんご屋と呼んでいる)で、私は80円の栗まんじゅうが好きだった。
だって、うまいから。
そのため小遣いを貰うと、それを持って、トコトコ歩いてよく買いに行った。常連だ。(毎回1個だけしか買わない迷惑客でもある)
栗まんじゅうは小判型でこじんまりとしている。
この形と、あのおまんじゅうの形が全く同じであった。
茶色いか白いかだけ。

栗まんじゅうの横を見ると、純白の包装も眩しいおまんじゅうが置いてあるが、そっちは200円くらいする。
高い!栗まんじゅうが2個買えるやんけ!!
※3個買うと200円とちょっとで手持ちのお金ギリギリになるから、お金が足りるかどうか怖いという謎ビビリ

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基本的に知能が低い私は、白い=高いというロジックになり、白いおまんじゅうは高い=貰うと嬉しいというロジックが出来上がった。

えー!おまんじゅうからお金が!!!!

ある日、またまた悪いやつが、おまんじゅうの受け渡しをしてうへへへしていたのだけれど、そのおまんじゅうを落とすというシーンを目にした。

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なんと!小判が入ってたYO!
どうして!!!
おまんじゅうの中から小判がー!!!

基本的に知能が低い私は、小判は大判だと思っていた。
わけがわからない人が10割だと思うが、まぁ聞いてください。

私は覚えがないのだが、時代劇では見かけないレアな大判のことを、本か何かで先に見知っていて、強くイメージに残っていたらしい。
当時の私にとって、小判は大判なのだ。

しかも!
「原始時代の石のお金は巨大だ」という漫画からのイメージで、「昔のお金は大きい」というロジックが出来上がっており、小さい大判がおまんじゅうから出てきたので軽くパニックになった。

小銭は今みたいに小さいが、お金持ちの人は大きなお金の大判を使うという程度の認識力であった私は、悪いやつはお金持ち=お金持ちは大きいお金を箱(千両箱)に入れていて使う人なのである。

ちなみに千両箱は、千両箱の中にぴったり収まるように大判が重なって入っていると思っていた。
これは幼少時、積み木遊びが好きで、片付ける時にぴったり木箱に収まるようにしまうのが好きだったことから、「入れ物には入れたいものがぴったり入るはず」という思い込みからきている。
※この影響でキャラメル包装が得意で、サッカーボールなども包装できる

時代劇で小さい大判がおまんじゅうから出てきた瞬間、「これが小判だやー!」と興奮しつつも理解したのだが、どどどっどどどっどっどどどーして、おまんじゅうじゃない!
なんだ、どーなってんだ!

注意:この時点では「おまんじゅうの間にドムドムハンバーガーばりに小判を挟んでいる」と思っています

お金をもらって何が嬉しいんだ!

はい、これ。

お金にそこまで価値がないと思っていること

お金にそこまで人をおかしくするような価値がないと小さい頃から思ってて、幼少時には「おぬしも悪よのう」の理解ができてなかったみたいです。

未だにそうなのだが、お金が好きで好きでという人とは話が合わない。
私はお金を見ると、金属と紙に見えるし、よーこんなもんで経済活動とか偉そうにやってんよねと、毎日思っている。
今はデジタルの世で、ディスプレイの数字がお金であり、どうもお金というものの空虚さというか、ある意味でのいい加減さというかが嫌いなのだ。
お金の価値だってコロコロ変わるし。

小さい頃から、お金もらってそこまで嬉しいという感覚がなく、そのせいで時代劇がきっかけとなり「おまんじゅうもらったら嬉しい」から「おまんじゅうからお金が飛び出てきた!」というパニックを引き起こしたのだが、思い込みというのは怖いものだ。

ただ、もっとも恐ろしいのは、お金といういい加減なものへの無遠慮な信頼だとも思う。

最近こんなことも書いた。信念が大事ということ。
継続力!これが成功へ繋がるんだ!わかったか!|保守と革新

おまんじゅうのまとめ

何かを買ってもらうとか、贈るとかいう行為に価値は感じるんですよ。
だから仕事でも恩を贈る。
だれかから受けた恩を、誰かに贈る感覚で仕事してます。
請求費用をおまんじゅうで払われちゃったら、それはそれで困るんだけど。

お金だけのつながりだと、いい加減なつながりになると思うのよ。
そもそもお金自体がいい加減で、お金が大好きな人間もいい加減なやつが多いと思ってて。※個人の見解です

おまんじゅうの方がお金より価値がある気がするけど。
お腹が満たされるし。
お金はいっぱいあっても、満たされない人も多いから。
でも、お金がないとおまんじゅう食えないぞ!
どうしよう。

時代劇を見ていて、ふと思い出したおまんじゅうの話でした。

イメージそっくり↓


いつもお読みいただき、ありがとうございます。 書くだけでなく読みたいので、コメント欄で記事名入れてもらうと見に行きます。