オードリー春日の炎上と嶋佐の炎上(冤上)への感情

先日のスッキリでのオードリー春日の動物園ロケ。
この番組ではお馴染みの、加藤さんからのむちゃぶりに春日が体を張って応えていく形式で自分も毎回楽しみにしていたが、悲しいことに今回これが一つの事件を引き起こした。
動物園に訪れた春日がペンギンエリアで餌を与えているところ、スタジオの加藤さんから「春日、足元気をつけろ!」と注意(フリ)が飛ぶ。
周囲を見渡しペンギンがいない池に落ちる春日。
この様子をいつも通り笑っていた私だったが、これが世間から動物虐待だと炎上しだした。

まずこれを見て動物虐待だと気づかない私自身にめちゃくちゃ失望した。
そらそうだよな、今回はどんなむちゃぶりをされるのか、どんな体の張り方をするのかばかり考えてしまっていた。

このロケは加藤さんがむちゃぶりをするのが目に見えているので、スタッフの想定とシュミレーションとコミュニケーション不足、そして加藤さんの時代遅れとなってしまった指示、何より目の前の状況から起こる事態への想定ができていない春日が悪いなと思った。
それどころか10年ラジオ聞いてきているからこそ知っている受け身で楽観的で、なんとかなるだろうという人間性や、最近のグレゴリーボムなどに代表される春日の生活態度の悪さを含めて、そらいつかこういうスキャンダルになるよなと怒りや呆れなど、そんな気持ちもあった。

その後、動物園側の声明発表もあって世間も更にヒートアップ。
最終的には、迷惑行為を面白がっているという点ではスシローの少年とやっていることは同じ、さらに動物虐待の要素も加わって余計にたちが悪いという指摘すら生まれてしまう。
大体の批判はすべて納得できるし、スシローと同じと言われても論破はできないから納得せざるを得ない。

春日をかばいたい気持ちなんて一切ない。
自分も春日が悪いと思っている。世間も当然春日を叩く。
世間がやりすぎとは一切思わない。でもただひたすら悲しかった。

納得はできれど見たくはなく、春日を叩いているアカウントを意味なくミュートしたりしていた。
逆に盲目に春日をかばうツイートにもそれは違うだろうと思いながらブラウザバックしたり。

で、ある気持ちに気づく。
自分は叩いてもいいけど他人が叩いているのはダメ、そう、まさに自分の父親(身内)と同じような感覚でオードリーを見ていたのだ。

別に今まで実際に他人から身内を批判されたことなんてないが、50過ぎの時に酔っ払って財布と携帯なくしていた父親を、自分は情けないと思っても、もし他人が批判してきたらそれは違うと思う。

身内以外だと子供の頃から応援している読売ジャイアンツとかがそういう感覚なんだなと思う。
昨年の坂本のスキャンダルなんかはまさに今回と同じだった。
自分が一番好きな選手なだけに、あのスキャンダルには本当に失望した。
けつあな確定とか、自分も他人も冗談を言う分にも、まっとうな批判も全然良いのだが、これにかこつけて意識高い系ポリコレ女が「だからメジャーに行けなかったんだ」とかほざいてるのを見て「お前に何がわかるんだ!」と激怒してブロックしたことを思い出した。(ただそう思ってそっとブロックしただけですよ。)

今回の春日に関しては論理を飛躍させた批判を含めてどんな批判もされて然るべきだと思うけど、とにかく悲しくて、それがどんなに正論であっても一文字たりとも批判の文字を見たくない。
というか言葉を選ばず言えば春日をわかってる自分が十分批判の気持ちを持っているのだから、批判はされてて良いけど、これ以上自分の目の前には批判の声を表示しないでほしいと思っている。

そして同時に先日のニューヨークの嶋佐の炎上では特にこうした特別な感情は抱いていなかったことにも気づく。
これはなんでなんだろうと考えたけど、

・よくある悪質なネット記事にたまたまはめられただけで、それを真に受ける人たちに対してはこっちがどう感情を動かしたところでどうにもならない
・前のタトゥーでもネタにした動画を上げてくれていたので少し楽観的に見ていた
・そもそも、なんJ(野球のネット掲示板)などではニューヨークという文字を見ただけで脊髄反射でパンツマンと書いて批判する集団が未だにいるので、今更何をしようが取り返しがつかない
・今更何をしようが取り返しがつかないから諦めている→自分が昔好きだった柏木由紀さんも何をしても鼻がにんにくとかずっと言われていて、それと同じ、推しへのどうしようもない批判への諦めの耐性がある

とかなのだろうか。
なのでずっと冷静に、何ならやってんな~ぐらいに思っていたが、怒り悲しむファン達や、何より本人たちが怒り悲しみ呆れ、凹んでいる様子を見て、自分は常に一歩引いて見てるんだなと気づかされた。

最後に
もちろんただ春日個人やスッキリの制作への批判だけでなく、テレビ界全体に対してあり方を考え直さなければならないとか、そういうのもわかってる。
その上で「そりゃダメだけどさ」レベルも絶対に潰される時代が来たことへの悲しみとか、もうBSよしもとのガッツ100%テレビみたいな免許のある番組しか信用できないなとか、そういう悲しさもある。
でもこの一連で図らずも長年見続けたオードリーに歪んだ特殊な感情を持っていることに改めて気づかされた、そんな感情を書き起こしてみた。

この記事への批判は受け付けないです、だってただ特別な感情を持ちながらも春日が悪いと思ってるので。

お読みいただきありがとうございました。

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