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金木犀の記憶、架空の白い花

金木犀の匂いに、かなり泣きそうになる。

地元では金木犀をほとんど見かけなくて、ちゃんと存在を認識したのは大学進学後だったと思う。
調べたところ、秋田と岩手の県南が北限らしく、地元は県中央なのでどうやら市内に金木犀の木がないようなのだ。

だから、ふつうに好きな匂いというのはもちろんそうなんだけど、認識したのが大人になってからの割には、ノスタルジーが強すぎるなと思っていた。たっぷり吸い込むと懐かしくて泣きたくなるような感じがする。

なんでかな〜というのを最近考えていたのだけど、思い出した。

基本的には東北生まれ東北育ちで、東京に出てくるまでのほとんどは東北地方で過ごしたのだけれど、親の仕事の都合で中学まではちょこちょこ引っ越しており、少しだけ東北以外で過ごした期間がある。

金木犀の匂いを初めて認識したのは四国に住んでいた頃で、そのときはなんの匂いか分かってなかったのだけど、花の匂いなんだろうな、とだけ思っていた。

小学校の校庭の端っこに、確かにその甘い匂いがする場所があって、昼休みのドッジボールの外野でひましてる間とか、体育の授業で自分の番が終わって他の子が走ったり跳んだりしてるのを見てる時間とか、そういうときにふらっとそっちの方に寄って行って、その匂いをこっそり嗅いでいた。ような気がする。

思い出せるのは校庭の、校舎から遠い側の隅の、学校の敷地を示す緑色のフェンスと背の高くて寂しい感じの木が数本立っているだけの一角だったこと。
正体を探そうとしても花の付いている木は見つけられなくて、ただ少し冷たい風に乗って甘い匂いだけがしていたこと。

そのときのわたしが想像していた匂いの正体は白くてほろほろした花木だった。今思うと白木蓮の匂いと百日紅の花のイメージが結びついて生まれたような、架空の木だったと思う。

思い出せるシーンはいつも昼か午後の少しだけ眩しい時間で、うすく曇っていて、甘い匂いがして、涼しさと眩しさが「白」のイメージと結びつく。

両親も東北の出なので、四国に住んでいるのは家族の中ではっきりと「人生の中のイレギュラー期間」という認識だった。だから、いつか近いうちにここからいなくなる、という前提で過ごしていた数年だった。

だからというわけでもないけど、そういう色々な人生のタイミングだったんだろう、記憶に残っている出来事やシーンが多く、思い入れが深い。

寒くなってきた午後、金木犀の匂いを嗅ぐと泣きそうになるのは、遠くの記憶が呼ばれるらしい。少なくともわたしは…

そのうち一人で、かつて住んでいたことのある場所を旅したいなと思っている。

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