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クラシック音楽について

 クラシックと聞くと敷居が高く感じます。
それでクラシックをあまり聞いたことがない方も多いと思います。
 ただ、それはとてももったいないように思いました。
 なので、クラシックにどんな歴史があるかをみていきたいと思ったので書いてみました。

1、クラシックとは

ざっくりいうと「19世紀初頭までの西洋音楽全体」といわれています。

バロック、古典派、ロマン派あたりがクラシックと呼ばれています。

なので、昔の音楽全てをクラシックというわけではないみたいです。
個人的に、バロックから古典への変化についてぜひ知ってほしいです!

2、クラシック以前の音楽

グレゴリオ聖歌

 音楽はいつ始まったのでしょうか。原始に生きた人たちに思いを馳せると、
声を出して、また誰かの声に心動いていたのではないかなと思います。

 音楽で気持ちを伝えるという行為が生まれると、今度はそれが「祈り」と結びつけらるようになっていきました。はじめは身近な対象への祈りでしたが、次第に神に祈るための音楽へと進化していきます。

 その過程で生まれた、西洋音楽最古の聖歌と言われているのが「グレゴリオ聖歌」です。グレゴリオ聖歌は、ローマカトリック教会で9世紀頃に生まれました。

2、ルネサンス音楽

 ルネサンスとは?

 ルネサンスとは、14世紀から16世紀までの文化運動全般を指します。そのときの音楽を、ルネサンス音楽と呼ぶわけです。

 それ以前は、5世紀から15世紀にかけて、中世と呼ばれる時代が続いていました。長いですね。この時代は、暗黒時代とも呼ばれており、宗教や民族の名のもとに、多くの戦争が行なわれていました。それだけではなく、キリスト教の教会が絶大な力を持っており、民衆には自由な表現が許されていませんでした。

 こうして多くの人たちが、我慢をする生活が何世紀も続きましたが、転機が訪れます。

 感染症の流行と、大飢饉の発生です。交易や戦争によって、たくさんの人たちがさまざまな場所を行き交うようになったことで、ペストという感染症が大流行し、特効薬もワクチンもなかった当時は、人口が一気に減ってしまいました。そんな光景を目の当たりにしていれば、「次は自分が番なのではないか」と、みな不安になりますよね。

 人口が減れば、国のお金も無くなります。そうなると、国は税金を引き上げます。ただでさえ恐怖の生活なのに、高い税金の支払いが重なり、農民をはじめとする民衆は武器を手に取り、国に歯向かいます。そして、宗教においても対立に対立を重ね、カトリック教会が大分裂し、なんと教皇が3人もいる時代がありました。

 そこでみな、「きっと中世よりも前の時代(古代ギリシア・ローマ)は、いい時代だったんだろうなぁ」「そんな時代に生まれ変われたらなぁ」と思うわけです。

これが、ルネサンスなのです!!

ルネサンスという言葉は、「ル」と「ネサンス」に分けることができるフランス語なのですが、「ル(re)」は再びを意味し、「ネサンス(nessance)」は誕生を意味します。これがくっついたことで、生まれ変わることや、再生を意味する言葉となっています。

 ルネサンスの芸術では、まさに人間性や個性に重きが置かれるようになりました。それまで抑圧思考にあった中世からの解放です。

単旋律から、
ルネサンス期に近くなるにつれて、複数の旋律を同時に持つようになります! これを、ポリフォニーと呼びます。全員で同じメロディを歌うのではなく、違うメロディを歌うことが主流となったのです。

2、バロック派音楽

バロック派についてです。

バロック音楽は主な作曲家はバッハ(音楽の父)、ヘンデル、ヴィヴァルディなどです。(ヘアスタイルが派手)

年代で言うと1600-1750年ごろです。
ヨーロッパの政治的には絶対王政とよばれ、王族貴族が強い権力を持っていました。

そのため、音楽のメインスポンサーは教会や王侯貴族のために作られていました。
つまり宗教音楽と宮廷音楽の全盛期だったわけです。

その頃の音楽は、優雅です。

3、古典派

次に、古典派です。

古典派の主な作曲家はハイドン モーツァルト(神童)、ベートーベン(苦悩の天才)です。

年代は1750-1820年ごろです。

そもそもなぜ古典派なのでしょうか。
当時の人が作っている音楽は当時で言うともちろん最新です。後の人たちが古典派と名づけるようになったわけですが、理由があります。

それは決して古臭くて堅苦しいからではなく歴史があります。

 簡単にいうと、
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンともにドイツ語を母語とします。
一方、バロックごろの音楽はイタリア、ローマ帝国、音楽の都パリといったように、ラテン語圏の国々がは振りが良かったそうです。

それに対抗してより昔の文化で自分たちは素晴らしかったと高らかにうたったのが古典派というわけです。

そのプライドから、我らが世界最高の音楽団だとドイツの首都ベルリンで結成されたのがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団です。

ちなみにその双璧のライバルがウィーンフィルハーモニー管弦楽団であり、音楽も自由と規律と対照的です。

戻ります。
古典派のころ、
時代は絶対王政から市民革命が起こり権力が
王侯貴族から市民へと移りました。

そのため、音楽家は自分たちの音楽活動を続けるために、たくさんの市民からお金をいただく必要がありました。

そのため音楽も優雅な音楽から、たくさんの人がいても聞こえ、尚且つ楽しめるような強弱のあるポップな音楽へと移り変わりました。

つまり、古典派は当時ではたくさんの人に聞いてもらうためのポップスであったわけです。

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5、ち。

 大学生のころ、「ち。」を読みました。

キリスト教では地動説を説いたら処刑される時代に、それでも地動説が正しいんだと信じた人たち。
自分の死よりも自分が信じた信念みたいなもののために全力で時代に逆らう姿に感動しました。

 6、第九 ベートーヴェン

 クラシックに触れて、ベートーヴェンの第九をしりました。
第九には、合唱がありますが、その一節がこれです。

「空を複数の太陽が駆け巡る」

この一節は、当時天動説が主流だった頃の考えでは異端とされる、カントの「星雲説」に基づくものでした。

当時のカトリック教会にとってこれは受け入れらがたい内容でした。

にもかかわらず、彼はこの第九の初演をキリスト教カトリックの都ウィーンで行います。

7________感想

「第九」という曲がすごくカッコよく思えたのはこのストーリーを知ったからです。

バロック派から古典派への移り変わりは、その頃の市民が自由のために権力に挑んだ背景を感じられる気がします。

音楽に歴史を感じられてより深みがました気がしました。

省いてることだらけなのと、知らないことだらけなので、まだまだこれから知っていけるのが楽しみです♪


ありがとうございました。

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