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祖母が亡くなった。

6月17日の月曜日、祖母が亡くなった。

6月に入ってから施設と病院の行き来を繰り返し、頑張った祖母。

亡くなる2日前、入院中だった祖母は少しだけ話せた。笑顔も見せてくれてトロミ水も飲んでいた。
が、モニターに映し出された画面からは、明らかに頻脈で、呼吸数は少なかったのが理解できた。

まだ、一週間は持つだろうと思った矢先だった。

亡くなる当日まで、母は祖母の個室で寝泊まりしていたようだ。
一時、落ち着いたので一度実家へ帰宅し、入浴など済ませた所で病院から電話が鳴ったそうだ。

そして、病院に到着した時には息が無かったと。

事業所のzoomを受けていた私の元に電話がかかってきたのは母が病院に向かっている時だった。

私が来たら、心電図の波形が動いたと。

祖母は、眠るように、少し微笑んだ表情で、まだ温かかった。

その後、弟も来て、後にDrから死亡を告げられた。

・・・泣いている暇はほぼない、その後は葬儀屋やお寺への電話。書類関係、今後の流れなど、怒涛の日々で一日一食生活が続く。

翌日は、湯かんやお坊様がお経をあげたり、夜はお通夜。

もうもう、ぐったり。

しかし、旦那や身内も到着し、母も少し落ち着いた様子。
身内だけの家族葬。お経や祖母の歴史を聴き、皆で泣いて、お通夜はパーッと、という母の思いとは裏腹に、身内は皆実家に帰るとのことで飲まず。
飲んでいるのは母と私と旦那だけ。
食欲はなく、疲労で酒欲もさほどなく、早々にお通夜は終了し。

夜な夜な、身内二人と私と旦那でしっぽり飲みながら色々な話をしていたが、私は早めにリタイア。

その後も、最終的には母と旦那が飲んで語っていたそう。

旦那には、感謝しかなく、旦那へ持っていた不信感もまっさらとなる。

翌日は葬儀だったのだが、一番辛かったのは、焼き場へ行く前に祖母の周りに花を供える時だった。これで、祖母の微笑んでいる顔を見るのも最後。そう思うと涙が止まらなかった。

旦那も、一緒にたくさん泣いてくれた。

その後、骨になってしまった祖母を見たとき、悲しみ・空虚・冷静、そんな感情が湧き出てきた。

支払い等も終了し、実家にて仏壇を立てて、遺骨や遺影を飾り、それを見送って我が家へ帰宅した。

旦那とは、本当の家族になれたと実感する。
身内と話をしてくれた旦那。母に付き合ってくれた旦那。「ハルの家族になった」と泣いてくれた、両親の居ない旦那。

生前の祖母が、遺言のように「良い旦那さんだから大事にするんだよ」と言っていた。一緒に正月、温泉に行ったもなぁ。
うん。
大切にします。遺言を、守り寄り添っていきます。

初七日も、旦那は実家へ来てくれて、母に付き合ってお酒を酌み交わしてくれた。

・・・上記に出てきてはいない一番のお助け人は、弟だ。

ずっと、祖母の面倒を見てくれて、母に付き添ってくれた。
家庭(子供も)があるのに、仕事もしているのに、全て支えてくれている弟に感謝しかない。

それから、少しずつ食事に関しても、眠る時間に関しても、拘りが減ってきている。

今日は2度ほど延期したカウンセリングへ。

そこで言われたこと。
「常に自分がどう感じているか、今何をしたいのかを自分に尋ねる。どんな時も、自分の感情に目を向ける。」

私は、やはり脳で考えてしまって、他者の目を気にしながら生きていることで、感情を無視している。

先生も苦笑してしまうほど、私は自分の事を深堀り出来ていないみたい。

次回のカウンセリングまで、自分の感情を意識して生活をする。
少しは、感情に目を向けて生きることができるだろうか。

そして、このお酒の飲めない時間。

この後、重要なことがある。
それは、パートの面接である。
17時30分~という、普段なら寝る間際の時間。
友人の職場でもあり、現状も伝えており、週一から自分のリハビリ程度の時間で働かせてくれる場所。
受かるか受からないかは、まだわからない。が、緊張もしていない。

そして、受かった場合は、事業所を卒業という形になるらしい。
それはとても淋しいし、中途半端でもある。

しかし、私が選んだ道だ。
受かろうが受からなかろうが、感情のままに選んだことに意味がある。

そんな、最近の私の怒涛の出来事である。

さて、あと一時間位で家を出なければならないので、ここらでお暇致しましょう。


読んでくださった皆様、有難うございます。
感情のままに動く、感情に素直になる。皆様は出来ていますか?
出来ていない方は、一緒に頑張っていきましょうか。
なるようにしかならないのです。

皆様、良い夜をお過ごしください。










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