見出し画像

叔母の施設へ。

昨日の続きである。

9時過ぎに、昭和レトロな旅館を出た旦那、母、私の三人は、隣にある叔母が入所している施設へ。

約、10年以上前に会ったきりだ。

叔母は脳性小児麻痺で、長くにわたり施設に入所している。
当日は、秋の祭典が行われる日。

出店が並び、沢山の人が居り、小さいながらステージもある。

今時、大々的に催し物を行う施設は珍しいと思う。
コロナを期に、催し物を無くした施設や病院は多いと思う。

叔母は、70歳。
度々病気を繰り返す叔母は、小さく細くなっていたが、相変わらず笑顔が可愛らしかった。
精神年齢的には5歳位だろうと母から聞いていた。
言葉にもならない発語が聞かれる。
両手足は麻痺と拘縮と不随意運動がある。

母が看護師を目指すことになった原点だと、母は言う。


ステージでは、プロの和太鼓や、毎年よさこいソーラン祭りで上位となっているチームの出し物があり、和太鼓に圧倒された。

母は「昔はもっと長く演奏していたのに、短くなった」等、過去に縛りついていて「ここまでやるだけ凄いことだよ。昔は昔。」と私。

旦那も、私と共に、よさこいチームのメンバーのやる気のない青年を見て笑ったり、叔母の着替えの手伝いをしたりと、とても気遣ってくれ、感謝しかない。

叔母はクレープを食したようだが、私と旦那は食欲がなく、施設内や作業療法で作ったクラフト細工を購入したりと、まったりと過ごしたが、なんせ、夜眠れなかったので眠たい。

母に、そっと「旦那が夜眠れなくて疲れているみたいだから、そろそろ」と13時位に帰宅したい旨を伝える。
母は、素直に叔母を自室に戻し、帰路についた。


母は、車の中で、私が物事にこだわることについて「こだわる必要ない」としつこかったので、イラっとした私は「病気だから仕方がない。今はこだわることも良いことだと思っている」とハッキリと伝えた。

やはり、この病気についての理解は薄い。
ただ、うつ状態が良くなっただけで、時間や物事への固執やこだわり、摂食障害は治っていないのだ。

そして、母を実家へ送り、私と旦那は帰宅する。

飲み食いしながら、旅館や施設での話など。
しかし、お互い非常に眠かった為、早々に就寝する。


「あぁ、うつが良くなったんだね」と実感した。
そして、うつが良くなると思考も前向きになるんだなぁと実感。
以前なら、確実に車内で母と喧嘩になって終わりだった。
母が子供に戻っていき、私が成長している感覚になる。

守ってもらうべき人から、守らないといけない人になったんだなぁ。
そうも、思った。

しかし、この旅で、母と話し過ぎて疲れたのでしばし、この家に引きこもろうと思う。

病気から、旦那の事を不満に思っていたあの頃。
度々実家に避難していたが、今はもう旦那の存在が愛おしくて大切。

次のプチ遠出は、隣町の旦那の故郷にビジネスホテルを予約した。
11月、結婚記念日だ。
激安、口コミが酷すぎ!!
だから、ある意味楽しみである。

ホテルに到着後、早々に居酒屋巡りをする予定である。
旦那について行けるよう、少しアルコールが飲める身体にしておかなければ。(家では、6%2本位しか飲んでいない。飲めなくなった。)

さて、本日は生理にて体調が悪いので横になるとしよう。

最後まで読んでくださった皆様、有難うございます。
今日の札幌は秋晴れです。風は強いです。

皆様にとって、良い日になりますように。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?