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手作りを嗅ぎ分ける

「ママは僕になにも作ってくれないね!」
との小3男子の一言が、わたしの何かを刺激したのは間違いない。

「このランチョンマット嫌だった!ずっと!」

子どもが古びたランチョンマットを投げ捨て泣き出したのは月曜の夕暮れ、宿題にとりかかって2分経過した頃だった。
<書くこと>が苦手な彼は、漢字の書き直し前に、かならずひと儀式やらかしてくれる。連日の暑さの中、運動会練習の疲れも相まって、その日は少し過剰ではあった。

2年前に彼のリクエストに応えて作ったバナナ柄のランチョンマットは、そろそろ変え時かとは思っていた。何も言ってこないのでこれでいいのかと変えずにいたけど、やっぱり不満だったのか。

「なんで突然嫌になったの?ずっと使ってたじゃん」
「だって、使いづらいもん」
「古くなったから?そりゃ、よれてはいるけどまだ使えるよ」
「だって、これ大きさが違うんだもん。学校のみんなはもっと大きいよ!」
「大丈夫だよ。2センチくらいでしょ?」
「違うよ!ぜんぜんちがう!!僕だけ、僕だけ、なんでこんなのなの」

マットの長さが2センチ足りないと、そんなに悲しくなるのか君は。
彼の神経質さにげんなりして、頭の中で昔のNHK深夜放送の後の音が鳴り響く。ツ―――――――。

学校で出された基準通りかどうかに、彼はとても敏感だ。それを『神経質』と言ってしまうと途端に奇妙な不安スイッチが自分に入るので、それらを『敏感』で済ませているのは、私の処世術のようなものだ。
ああーあーうるさい敏感ちゃんめ。と思うだけにしているのは、それが元でこの癇癪の歯止めが吹っ飛ぶことをわかっているから。


彼の敏感さを目の当たりにするとき、むかし、社会科の授業で習ったことが思い出される。

高原地帯に精密機器工場が多いのは
空気がきれいだから

高原地帯の空気と地上の空気とが、如何ほどに異なるのか真偽は知らないが、彼の感受性の感度はまるで精密機器のようなのだ。
良好な感度のお陰で、人の多い空間ではことあるごとに意味のない罪悪感を増殖し、彼の世界を完璧な基準で満たそうとして、ガタがくる。でも頼むから、夕方6時にやめとくれ。

「僕はずっと嫌だった!ずっと嫌だった!みんなも見てくるんだもん!一生懸命隠してたんだもん!」
「ほんの少しでしょ?みんなきっちり同じ大きさではないとおもうよ」
「そんなことない!あいつもあいつも…」
「ああはいはい。それがずっと嫌なのに、なんでもっと早く言わなかったの?」
「いま思い出したんだもん!!!」

運動会練習の疲労を溜め込んだ上、嫌な宿題を皮切りに、嫌なことを芋づる式で思い出したのだろう。
すごいな、君の中身に埋まっている嫌なジャガイモ、大収穫祭じゃないか。
思い出したって、なんでこのタイミングなのだよ。もう味噌汁作っているんだけど。自由だな!!フリーダム全開であっぱれだよ!!と思ったところで、奇妙な笑いが自分の中に生まれた。

なんか、うれしくておかしいな。

「あんたさ…嫌なこと素直に言えていいね…。
まあいっか。嫌か。ずっと嫌だったのか。早く言いなよ。新しいの買ってくるよ。今日はもう出掛けられないから明日見てくるね。1日だけ我慢して~」

と、味噌を冷蔵庫から出したときに、冒頭のセリフが登場する。

「ママは僕になにも作ってくれないね!」
「……よう言ったな…」

よう言ったな。おまいさん。
君がおしっこ垂らしていた頃からどれだけの量の何を作ってきたと思っているのか。まったく、親の心子知らずとはまさに。と思ったとき、あれ?なにか思い出した。

(わたしは作ってもらったこと、ない?)

あった。そういえば一番古い記憶は、保育園の頃に母が作ってくれたアイスクリーム。
銀色のバッドの中に敷き詰められた白くて黄色いものを見て、これは何だろうと覗き込んだ。仕事用のブラウスを着たまま母は、大きなスプーンでそれをガラスの器に盛った。暑い西日の差す部屋で、弟と一緒に夢中で食べた。

2DKのアパートに家族4人で住んでいた頃、自宅は事務所と兼ねていた。保育園から帰ると、台所にはいつも父の仕事仲間のおじさんたちがいる。
その中をすり抜けた先に、ふすま1枚隔てた8畳くらいの和室エリアがある。そこでおじさんたちが帰るまでテレビを観て過ごしていた。9畳くらいの台所は自分の家なのに長居が出来ないし、触ってはいけないものだらけだったが、さらにその奥には「絶対不可侵」の冷蔵庫があった。その冷蔵庫から出してくれた銀色のバッドが「子どもたちのため」であることに、わたしは一番敏感になった。
いつもは使わない来客用のガラスの器を出した母は、どこか嬉しそうだった。なんだかすごく良いことが始まる気がする。器に移されたばかりのアイスが、食べるまでアイスクリームだとわからないくらいに嬉しかった。器の底まで舐めとって、ピカピカにしたのを覚えている。

わたしも親の作ってくれるものにとても敏感な子どもだった。
母が作ったアイスクリームは何度もお替りして、あっという間になくなった。空のバッドに舌を這わせると危うく火傷しそうになって、驚いた。

子どもを産んでから、初めて自分でアイスクリームを作った。これが、意外に手が掛かった。くちどけを柔らかにするには、冷やし固めたアイスを何度か攪拌しては空気を混ぜ込まなくてはならない。固まりすぎるとうまく混ざらないし、溶けてしまっても固くなる。
その1日かけて作ったアイスを、夫と子どもはものの数秒でたいらげてしまい、今度は次の日にも残るものを作ろうと思った。手作りのアイスクリームは割に合わない。けど、確かに美味しい。

はて母のアイスクリームは一度きりだったろうか。記憶がない。もしかしたら、最初のアイスクリームのインパクトに敵わなくて、また作ってくれたことを忘れてしまったのかもしれない。「親の心子知らず」は、わたしも例外じゃない。

けれど「お母さんのアイスクリームが食べたい」と言えなくなったことは覚えている。親が「手作りのオヤツ」どころじゃない状況に追い込まれていることにも敏感だった。

文句が言えない、ワガママが言えない、思ったことを素直に表せない。そんな大人しくて従順で我慢強い子の中に、とんでもない量のジャガイモが増殖することに、実感がある。ジャガイモが殖えたのは、ワガママを叶えてもらえなかったからじゃない。「お母さんのアイスクリームをもう食べたいと思ってはいけない、それはワガママだから」と我慢したからだ。

あの頃の母と、母を見つめたわたしを思い出すと、二人の目はどうしても合わない。私は気を使いすぎたのだと思う。あそこには不器用な人ばかりいた。でももし、あの時の私が我慢せず、母に気持ちを伝えてもいいと思ったとしても、多分言わない。あの母もあの私も、この時制も、どうにもならないお話なのだ。

ただそんなことを思い出したからか、素直にして欲しいことを言える子どもを前にして、思わず目を見開いた。次にうれしくて笑ってしまった。ああ君は幸せだなって。それから、すごく驚いた。わたし、子どもがワガママを言えるような親なのかと。

ジャガイモで溢れた土にコンクリートで蓋をした女の子は、もう遠いようで近い。過去の子ども心は、今のわたしと子どもとの関係に刺激されて、たまに顔を出す。とっくに終わった小説のワンシーンとして。一度は書かれた文字として。

味噌汁が出来る頃には、もう彼はランチョンマットの不満を忘れたようだった。漢字の直しに立ち向かう真剣な横顔は、夕紅色に塗られていた。「今夜はリクエストのお肉だよー」と、思うだけにして声には出さないでおいた。

ああなんかいま幸せだなあ。

そう思えたのは、あの子ども心が彼のワガママと出会えたからだろうか。まるであの母子の遠い記憶がひとつの挿絵に代わり、わたしの内にある小説を補完したかのようだ。時制を超えた時間に、ちょっと感動したのかもしれない。

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