小石

本はあまり読みません。水泳と散歩と家事が得意です。 読んでもらえるとうれしいですが、暗…

小石

本はあまり読みません。水泳と散歩と家事が得意です。 読んでもらえるとうれしいですが、暗くて長くてよくわからない話ばかり書いています。

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読書感想文を書くのが嫌いだった

きっとふつうに生きていれば人生についての感想文を書くことはない。 ふつうに生きるってどんなことなのか想像もつかないしぜんぜんわからないけれど、多くの人はいろんなことを考えながら生きていたとしてもそれをわざわざ書いておくことはないんじゃないのかと思う一方でそんなこともないのかもしれないとも思う。 自分が想像もつかないようなことを経験しながら平然と日々の生活を送って話しかけてきた人に笑いかけてきちんとコミュニケーションをとって誰かのために自分を差し出せる人のほうが多い。でも自分は

    • 見つからなかったボールのようなとにかくそんなもの(キッチン、本を読むこと、生活のルール)

      正直に言えば、僕は別に料理が得意ではない。ただ、自分が食べたいと思ったものがなんとなくちゃんと食べられるものとして作れる、というくらいだ。おいしく作る秘訣も、それを得るための努力も、起死回生の冴えた勘も、たぶんあんまりない。 でも、僕は僕なりの考え方で料理をして、それがけっこう好きだったりする。むかしはよく人に料理を作って出したような気がするけれど、今は誰かに出せるようなものをちゃんと作れている自信もあんまりない。 僕はよく、キッチンで食事をする。 折り畳みの椅子を出して、

      • 身体感覚に対して精神感覚と名付けたものについての感覚の記録(本屋と書店のちがい、部屋にあるもの、泳ぐこと)

        僕の部屋にはとてもシンプルなものしか置かれていない。 大きな物入れの棚が一つある。いろんな生活に必要なものと本が詰め込まれた棚。眼鏡が入っているのも給与明細が入っているのもここだ。小さな引き出しが4つと大きな引き出しが2つある。 テレビ台にはダビングしたブルーレイディスクが数十枚と気に入って買ったCDが同じく数十枚。大きなテレビが一台上に置かれている。後ろにはニンテンドースイッチが置かれていて、プロコンもその横に(今は役目を少し休んで)置かれている。モバイルスピーカーもある

        • 僕の語ることに意味はあってもなくてもいいけれど聞いてほしいことはある(母に会いに行った日記)

          先に断っておくけれど、とても長いし暗いので、了承しておいてほしい。了承したうえで読んでもらえると、とてもうれしいです。 … 雨が、降っている。 ここのところずっと降り続いている雨の音に耳を傾けていた。空きコマの静寂のなかで、ひとり部屋で微睡の中に沈む間際に、夜に歩き回って傘の下で急に止まった瞬間に、雑踏や駅のホームの騒がしさの中で。そしてわかったことがある。そのそれぞれすべてには独自の音があり、何かしらを訴えかけてくるような響きが含まれている。 6月、この地でしか感じられ

        読書感想文を書くのが嫌いだった

        • 見つからなかったボールのようなとにかくそんなもの(キッチン、本を読むこと、生活のルール)

        • 身体感覚に対して精神感覚と名付けたものについての感覚の記録(本屋と書店のちがい、部屋にあるもの、泳ぐこと)

        • 僕の語ることに意味はあってもなくてもいいけれど聞いてほしいことはある(母に会いに行った日記)

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        記事

          閉じた世界ばかり見ていた(飲み会のことを思い出した日記)

          「回送」の文字を電光板に映しながら走り去っていくバスを見て、あの暗い車内のなかで運転手は何を考えているんだろうか、とふと帰り道に思った。人を運ぶためのものがその目的を失ってから進む先を思い、その閉じてしまった目的性になんだか物悲しくなった。だからかどうかはわからないけれど、急に分かったことがあったので日記にする。 僕はよく映画を観る。とても多くの作品を観るような映画通ではないし、さまざまな作品をきちんと覚えていて、それらから得たものをきちんと意識して、その人自身を輝かせるよ

          閉じた世界ばかり見ていた(飲み会のことを思い出した日記)

          誰かの頭の中に住んでいるわけではない(書けそうな感覚の正体、法要、感情の迷路)

          先日、万年筆を買った。 新しく何かに挑戦しようといろいろ考えていたら、例えば映画なんかで何も乗っていない机が大写しになっていて急に画面の外からスッと何かが書かれた紙を差し出されるように、とても自然におすすめをされて買った。 それからというものの、毎日書き心地を確かめるように、それが綴る文字の形に手を慣らしていくように、いろんなことを手あたり次第に書くようになった。 何かを聴こうとすると、我々の耳にはいろいろな言葉がつぎつぎと入ってくる。曲の歌詞、ラジオの雑談、立ち止まった雑

          誰かの頭の中に住んでいるわけではない(書けそうな感覚の正体、法要、感情の迷路)

          失うものがあるのは怖いから曖昧さを許せる気がする(強い作品の怖さ、夢、長くも短くもない一日の日記)

          2コマ分、今年度最後の授業があった。 何事もなければもう二度と関わらないかもしれない人たちがいるかもしれないと思うと、心のどこかがさびしい反面、背負っていたものを地面に降ろして休むことができるとほっとする部分もある。 この仕事をしていると、普通の人(というのはけっこう語弊のある言葉だと最近よく思う、僕だって「普通の人」だ)は人生で一度しか経験しないことを、立場は少し異なるけれど、何度も繰り返し経験することになる。 人生で何度も卒業式に出席する人がどれくらいいるだろうか。最後

          失うものがあるのは怖いから曖昧さを許せる気がする(強い作品の怖さ、夢、長くも短くもない一日の日記)

          あるいは何か話すべきことがあったのかもしれない

          布団に入って寝るとき、いつもなんとなく窓のほうを向いて寝てしまう。何かその向こう側にあるかもしれないものを気にしているのかもしれない、とそれに気づくと考える。 ここのところずっと忙しくて、何かを書こうという気持ちはあっても身体が追いつかなかった。仕事に追われ、生活と格闘し、やるべきことをこなしているとあっという間に一日が終わり、休みの日も完全に休んでいる自分を感じていて、それ以外に何かすべきことが見つからなかったようにも思う。 年末になるとたくさんのお金がもらえる。まるで

          あるいは何か話すべきことがあったのかもしれない

          息継ぎをしていても泳ぎ続けるのはそれなりに苦しい(日々の記録)

          一息に話してしまうと、自分が何を話したのかいまいち覚えていないときが多い。 そうやって言葉を紡いでみると考えもしなかったことが口から出ていき、実際に自分がそういうことを思っていたのだということにやっと気づく。 自転車に最近よく乗っている。 気ままにペダルを踏み、行けそうなところまで行ってみる。 進めば進むほど疲れるかもしれないし、戻るときの自分に果たして気力が残っているのかわからないまま進むのは少し憂鬱な気持ちになる。 けれど、自転車に乗ってとにかく漕ぎ続けると必ずどこかに

          息継ぎをしていても泳ぎ続けるのはそれなりに苦しい(日々の記録)

          意識より下のほうから湧き上がるのにはっと気づく(秋に起きること、夢、仕事に関する日記)

          大きな災害が起きると、どうしてもそれらの詳細を伝える無機質な報道から目を離せなくなる。あるときからずっとそうだ。 あの日は家に一人で、うみべの家に住んでいたので繰り返しテレビに映される波にのまれていく町から目が離せなかった。直前まで動いていてついに乗っていた人が降りてこなかった軽トラックが黒い波にのまれるのを見た。漁港がなくなり、家が流され、そこらじゅうが瓦礫と火災(信じられない量の水があるのに燃えていた家)であふれかえっていた光景が目に焼き付いている。 たいていの恐怖が

          意識より下のほうから湧き上がるのにはっと気づく(秋に起きること、夢、仕事に関する日記)

          身体を繋ぎあわせるために書くのかもしれない(ひどい一週間を乗り切った日記)

          久しぶりの日記かもしれない。 毎晩眠るとき、電灯を消すと同時に目を瞑ってそのまま眠るようにしていた。暗くなった部屋を眺めずに眠るほうが、なぜだか楽に思えたからかもしれない。癖みたいなもので、もう必要がないはずなのでふと気が付いた時にはやめるようにしているが、なかなかこれが抜けないもので、習慣の恐ろしさに感じ入る。 思い返してみると、先週はずっとこの癖が抜けなかったから書いた。 これは、むかしむかし(今は昔、とはよく言ったものだ)今日と次の日の間がわからないほど働き尽くして

          身体を繋ぎあわせるために書くのかもしれない(ひどい一週間を乗り切った日記)

          恒例行事がある日々(うまく言葉にならない記憶に関する日記)

          もうここ数年ずっとこの時期になると楽しみにしていることがある。実家で母と一緒に栗を剥くことだ。外皮もついているつやつやした初物の栗を買ってきて(なるべく大きくて数がそんなに多くない、ちょっといいやつ)それを一心不乱に二人で剥くのだ。 年代物の栗剥き器がこのときを待ってましたとばかりに活躍し、僕も手慣れたもので、一つ一つ渋皮だけをきれいに残して硬い外皮を剝がしていく。人によってはとてもじゃないけれど面倒に思ってしまう作業を、毎年心待ちにしているくらい楽しんでいる。 昔からそ

          恒例行事がある日々(うまく言葉にならない記憶に関する日記)

          季節の変わり目の日記(夏から秋)

          成人してからほとんど風邪をひいたことがない。季節の変わり目に体調を崩す人が多いなか、たとえ季節の変わり目だろうと冬の真っただ中であろうと春の終わりだろうと、体調を崩すという経験をしたのはずいぶん昔のことのように思える。 体調を崩さずに過ごしていると自分が強くなったような気がする。 多少疲れていても身体はきちんと動いている(ような気がする)し、短い睡眠でも朝起きることが難しいということもない(が疲れはおそらく残っている)。食事も一応喉を通るし、風呂に入れば気分もよくなる。しか

          季節の変わり目の日記(夏から秋)

          物語を読む日記(物語としての日記および生活のなかに埋もれている記録)

          何か書こう、と思うと、たいていの場合最近起きたこと、つまりエピソードを一つずつたどってみてあんなことがあったとかこんなことを考えたとか、に肉付けしていくことになる。だからか、何か書くとおおむね日記のようになり、同時にエピソードを集めた物語のようにもなる。(いつも滝口悠生さんの小説にたいへん心を動かされるのだ) この前模試の監督をしているとき、国語の問題を眺めていたら川上弘美さんの『七夜物語』が出てきた。登場人物たちは夜の中へ、夢の中へ惑っていく、昔読んだ覚えのある物語だった

          物語を読む日記(物語としての日記および生活のなかに埋もれている記録)

          健康診断の日記

          今日は学校で健康診断があった。 健康診断があるたびに、座高を測らなくなったときのことを思い出す。あるときの健康診断から突然測られなくなったのだ。 いつからか「必要ないのにやっている」ということをみんながなんとなくわかり始めて、座高は測られなくなったらしい。いったい何のために測り始めたのだろう。調べればわかるだろうが、わざわざ調べて明らかにするつもりもない。 調べれば大抵のことはわかる。今の時代では常識だが、それは今までも常識ではあったはずだ。調べ方の問題であって「調べればわ

          健康診断の日記

          2021年8月21日深夜の怒りを書いた日記

          こういうことも考えていたのだな、ということを残しておこうと思って書く。読み返して「そんなこともあったな」とうまく笑うこともできない気恥ずかしさを感じる日のことを考えながら。 自分の中で、怒りと向き合う日々が続いていることに辟易している。 何かに怒り、言葉を探してそれをどこかにぶつけようとして、思いとどまってやめて、怒りを感じていないかのように見える人たちを見かけて憤り、怒って憤っている自分を横から見てそれにまた多少怒っている。不毛。 いったい何にそんなに怒って憤っているん

          2021年8月21日深夜の怒りを書いた日記