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1965年の相米慎二 青森県田子町相米をたずねて①

 『セーラー服と機関銃』(1981年)、『台風クラブ』(1985年)、『お引越し』(1993年)などのヒット作を世に発表し続けた映画監督・相米慎二(1948-2001)。53歳で世を去った、岩手県盛岡市生まれの相米監督は地方の視点を常に持ち続けていた。

 青森県大間町、北海道増毛町を舞台にした『魚影の群れ』(1983年)、北海道札幌市の豊平川を舞台にした『雪の断章 ー情熱ー』(1985年)、北海道から上京してきた大男が主人公の『光る女』(1987年)、北海道を主人公が旅する『風花』(2000年)……。
 相米慎二の影響を受けた世代が活躍している。『おおかみこどもの雨と雪』などの細田守、『こどもしょくどう』などの足立紳など枚挙にいとまがない。

 今回は青森県田子町(たっこまち)をたずねてみたい。
 田子町は相米監督の父方のルーツである。有名なエピソードは相米監督作品で助監督をつとめた榎戸監督のコメントがある。

座談会 「生きている時から懐かしい奴」よりhttp://www.siff.jp/talk/2004talk/2002talk_soumai.html
「榎戸:相米さんのお家は、青森県三戸郡田子町大字相米上相米というところなんですけど、相米さんの村には相米家が一軒しかなくて、まぁ、領主みたいなかんじなんだろうなというふうに、お兄さんとか遺族の方からお話は聞きました。お父様は戦前、教育関係の仕事で中国に行ってらっしゃったらしいんですけど、戦後引き上げてきて、ちゃんと街に出て教育した方がいいんじゃないってことで盛岡に住んでたらしいです。相米村の方には夏休みとか、お休み中はずいぶん帰ってらっしゃってたみたいです。」

 監督も田子町相米地区にある先祖代々の墓に埋葬されている。「映画監督相米慎二を語りつぐ会」(会代表は山本晴美田子町長、顧問は相米琢磨氏(相米監督の令兄)と榎戸耕史氏(映画監督))により、毎夏、「相米慎二監督映画祭り」と「映画監督相米慎二をしのぶ会」が開催されている。写真は2018年の第5回映画祭り(映画上映『雪の断章-情熱-』)より、左より榎戸監督、榎木孝明さん、斉藤由貴さん、山本町長、相米琢磨顧問。

 相米地区には「相米慎二慰霊碑」が建立された。兄の琢磨さんが私費で建設したものだ。琢磨さんによれば、監督になってからも囲碁を打ちに帰ってきたことがあるという。相米川が流れている。

相米監督の墓前から見える風景だ。現在は、新幹線八戸駅から自動車で1時間程度のこの場所から、相米監督は相米地域を見守っているのだろうか。
相米監督と「地方」(北海道、東北)との関係をおってみたい。

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