小さな政府化した世界 中才敏郎 「ヒューム」

こないだメイヤスーを読んでいて「そういえばヒュームって全然知らねえなぁ……」と勉強の必要を感じており、Tさんに相談したらこちらを勧められた。中央公論新社から出ている『哲学の歴史』第6巻に収録されている「ヒューム」の章。ヒュームの生涯と著作、著作の解説の部分では主に『人間本性論』と宗教論がらみの論考をとりあげている。

ヒュームの観念論については、この人は、一般観念を認めていないらしい。すべてが個物であって、一般観念に見えるのも全部特殊観念の集合体なのだ、と。このへんはまあなんとなくわからないでもない。

因果論。ヒュームは一般的な因果性(すべてのものには理由がある)を否定して、そもそも因果的な推論はどのように可能なのか、というメカニズムの解明に入っていく、とある。メタ哲学的であるなぁ。で、ヒュームが言うには、因果推論を可能にするには、対象のあいだに「信念」という「生き生きした観念」が働くからなのだ、という。このへんルソーの方法と非常によく似ている気がするのだが、どうなんだろう。

一貫して感じたのは、ヒュームが人間本性に対して大きな力を与えていないことであって、こうした表現が正しいのかどうかわからないのだが、世界が小さな政府化している、ように感じられる。世界を司るユニバーサルなものをまったく認めていない、というか。個物同士がたまたまそこにあって、つながっているように見えるその世界観は、大変今の哲学を先取りしているように読めるのだがメイヤスーやドゥルーズからさかのぼってヒュームにアクセスしているからなのかもしれない。少しドゥルーズのヒュームへの言及なのも読んでみたくなってくる。

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